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日替わりメモ

早朝の更新作業でミス多発です 見付けたら直ちにメールしてください  
アドレスは
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 今日は何の日欄は 原則としてインターネット航空雑誌ヒコーキ雲に情報が載っている件に限ります

日替わりメモ 9月18日

NN487

羽田飛来機通信  ロシア連邦安全保障会議書記特別機


 

〇 ロシア連邦安全保障会議書記特別機

 15日から17日まで羽田のV1スポットに滞在していたイリューシン96に乗ってきた人物は、プーチン大統領の信頼が厚いニコライ パトルシェフ ロシア連邦安全保障会議書記のようです。一般紙は殆ど報じませんが、3日間も東京にいたということは雲の上(官邸内)でかなり濃密な動きがあったのではないかと思います。表舞台には出ないけれども歴史的な舞台回しの特別機として記憶しておきましょう。

  

今日は
何の日

1960年 日本の航空50周年記念ページェント  東京国際空港 掲載ページ 写真で見る東京国際空港の歴史1960 

 

日替わりメモ 9月15日

DC8研究外来機

航空歴史館  ダグラスDC-8研究 外来機を開始 定期便の2番目はKLM


 

〇 KLM Royal Dutch Airlines

 海外航空会社のDC-8の羽田乗入れ二番手は、1960年10月20日KLMオランダ航空でした。南回りのヨーロッパ線を香港から延長しました。
 北回り線は、1年後の1961年8月になりますが、アムステルダムから羽田に来て終わりではなく、1964年3月まで、驚くべきことに南洋はニュ-ギニア島のBiak空港
まで飛んでいました。当時、Biakはオランダ領西イリアンだったからです。独立運動が激化し、現在はインドネシア共和国になっていることはご承知のとおりです。今月現在で、KLMの東京〜インドネシア線はないみたいですね。

お尋ね : 1972/11/02 KLMのDC-8-33 PH-DCFが胴体左にガルーダとKLMの提携PR、ガルーダの胴の帯、尾翼はKLMという塗装で羽田に降りたそうです。どなたか写していませんか?

  

今日は
何の日

1960年 海上保安庁S-58 JA7202 三菱で横転破壊 60年度南極観測は海上自衛隊HSS-1Nが代行
掲載ページ 
宗谷搭載機

 

 

日替わりメモ 9月15日

A3931-01

都道府県展示保存機総覧  山梨県鳴沢村 河口湖自動車博物館飛行館 零戦52型


 

〇 12日の続き  YS-11ネットオークション

 YS-11A(c/n2079)のネットオークションは、入札者なく終了してしまいましたが、期間中36件もの質問回答がありました。関心のあるお金持ちらしい人から、買う気はないが何とか残してほしい歴史記録派マニアらしい人たちまでがいろいろと質問していますが、出品者はいずれにも丁寧に答えておられます。

 売れなかった場合、博物館などへ寄贈されるお気持ちはという質問に、考慮の中に入れているとの回答、これには驚きました。建設重機関係の商売をなさっている人だろうと推察しますが、航空法も勉強しておられるようで、今後もいい買い手が現れることを願ってあげましょう。

 

 

日替わりメモ 9月14日

A3326-05

航空歴史館  所沢航空発祥記念館 アンリ ファルマン展示


 

〇 アンリ ファルマン

  臨時軍用気球研究会が設けた所沢飛行場では、徳川大尉が日本初飛行に成功したアンリ ファルマン、同じく日野大尉のグラーデ、ブレリオ単葉、ライト複葉、会式、モーリス ファルマンが訓練や公開飛行を重ねて、わが国航空の基礎を築きました。

 その中で、現物が残っているのはアンリ ファルマンとモーリス ファルマンです。
 アンリ ファルマンは、入間の教育講堂の倉庫に保管されているのをこのたび所沢航空発祥記念館が借りてきて74年ぶりの里帰りと宣伝しています。米軍が接収してアメリカへ
送っていたからで。なるほどと思うのですが、日本へは1960年に返還されていますから、その時も里帰りではあるわけで、ちょっと戸惑いましたが、埼玉の所沢に熱くこだわりを持つ記念館ですから、なるほどと‥。

 

 

日替わりメモ 9月13日

DC8研究外来機

航空歴史館  ダグラスDC-8研究 外来機を開始 トップはノースウエスト航空

同万博飛来機

航空歴史館  ダグラスDC-8研究 外来機 1970大阪万博飛来機


 

〇 ダグラスDC-8研究 外来機

  航空情報の1960年8月号国内ニュースに、「★ NWAのDC-8日本一番のり」とあります。7月8日でした。
同社のDC-7Cに代わる東京〜ニューヨーク線第1便は7月14日に就航しました。
 もちろん日本航空が一番乗りを狙っていたと思います‥‥ が、ダグラス社のストライキの影響で引き渡しが遅れ、羽田には7月22日到着でした。

 さて、今朝から、DC−8研究の最終章となる外来機の部を開始しました。とりあえず、日本一番のりのノースウエストと既発表済みの’70大阪万博のチャーター機を取り上げておきます。2日にも下記のように掲げています。数百機に上るでしょうからすべては無理なので、皆さんの写真ストックの中から、これはと思うものを投稿してください。後世に残しましょうよ。

定期便の会社
 Northwest Airlines   KLM Royal Dutch Airlines   Scadinavian airlines system   Canadian Pacific Air Lines   Alitalia   Garuda Indonesian Airlines   Philippine Air Lines   Swiss Air   Flying Tiger Line   Thai Airway International   Trans Mediterranean Airway   Varam Air Siam   Korean Air Lines   Unaited de Transport Airlines   Air India   Air New Zealand   Arrow Air  Rich Interanational

米軍チャーター便
 Pan American Airways   Airlift International    Trans International Airlines   Seabord World Airlines   Capital International Airways   Overseas National Airways   Saturn Airways   Universal Airlines   Trans Carbbean Airways Unaited airlines  American Flyers Airlift  Word Airways   Evergreen International

その他
 Aeronavas De Mexico   Air Canada   Douglas Aircraft   Atlantis Flugdinenst   Martinair Holland   Air Congo   Eastern Air Lines   Iberia   Balair Finnair ほか多数     

 

 

日替わりメモ 9月12日

YS11JDA

航空歴史館  YS-11研究 RP-C2252(元JA8723) ネットオークション

A3931-01

都道府県展示保存機総覧  山梨県鳴沢村 河口湖自動車博物館飛行館 零戦21型スケルトン


 

〇 YS-11 ネットオークション

  内堀@一読者さんから話のタネにとメールがありました。いやはや、話のタネどころか事と次第によってはザ ヒロサワ シティに保存されるJA8610以上の話題になりそうな情報です。

 製造番号2079のYS-11Aは、VASP向けに完成し、引渡し前には入間の第2回東京航空宇宙ショーに展示という光栄に浴し、ブラジルではSAMURAIの名で活躍しました。いったん日本へ帰って最大離陸重量を引き上げた-500型に改修され、東亜国内航空(きび号)〜日本エアシステムのJA8723として19年間飛んだ後フィリピンに売却、彼の地でもいろいろ変遷がありましたが、↓のように航空学校の教材機となり、このたびヤフオクへ出品されました。6月にマニラからスリランカへ飛んで引渡を待っているそうで、れっきとした現役です。
 即決価格は5千万円、さて、どうなりますか!

Airlink International Airways & Aviation School 撮影2008/05 マニラ国際空港 YS45

 

今日は
何の日

1992年 米内光正揮毫の日本海軍発祥乃地碑を復元設置 掲載ページ  宮崎県日向市 

 

日替わりメモ 9月10日

A1223-41

都道府県展示保存機総覧  北海道 陸上自衛隊東千歳駐屯地 新たにOH-6D展示


 

〇 IATHのOH-6D

  光線の加減でよく見えませんが、エンジンカバーにはIATH31276とあります。第1対戦車ヘリコプター隊は、バートルやチヌークが強調されますが、OH-6Dも居たとは、偵察や連絡用に当然の配置なのでしょうが、ちょっと意外な気がしました。東千歳駐屯地の配慮に感謝です。


 今日は、産経新聞が日比谷公園でR-6AとUH-12Bヘリコプターを初公開し、日本の民間航空にヘリコプター時代を切り拓いてから67年目に当たります。

 

今日は
何の日

1952年 産経新聞のR-6A JA7001 ひよどり号・UH-12B JA7002 ひばり号 日比谷公園で命名式と公開飛行
                                                                                               掲載ページ
日本の初期登録航空機全集 bT

 

日替わりメモ 9月9日

A3931-01

都道府県展示保存機総覧  山梨県鳴沢村 河口湖自動車博物館飛行館 三菱零戦21型


 

〇 河口湖自動車博物館飛行館 三菱零戦21型

 2008年当時は、完全塗装された零戦21型が館内の主役のような存在でした。せっかくなので、その時に撮った九三中練と一式陸攻も合わせて振り返ってみることにしました。零戦21型は、エンジンカウリングがまだ作ってなかったなど、原田さんの工作の経緯も分かります。皆さんの写真ストックもたくさんあると思いますので、スケルトンの零戦52型をはじめ、いろいろな機体の変遷を調べてみるのも一興と思います。

 館の方からそういうことはやめてくれと注意があれば、勿論中止しますが‥。

 

今日は
何の日

1931(昭和6)年  リンドバーグ予備空軍大佐への叙勲を若槻禮次郎総理が決裁した  掲載ページ 国立公文書館保管資料
1970年  米ウエストモーランド参謀総長がYS-11A 82-1153で大阪国際空港へ万博視察  掲載ページ 航空自衛隊のYS-11
2014年  艦船と航空機両道のマニア 中井八郎さん逝去  掲載ページ 追悼中井八郎さん

 

日替わりメモ 9月8日

富士山空撮  宇部〜羽田 ANA692便 房総半島南から

A3023-01 都道府県展示保存機総覧  茨城県筑西市 ザ ヒロサワ シティにYS-11 JA8610保存へ


 

〇 富士山空撮

  撮影9時4分というと、伊豆大島の上空を過ぎて房総半島へ掛かろうかと旋回していた時刻の撮影と思います。今月5日はまだ前線が列島を縦断していたので、富士山は厚い雲の上に顔を出しています。

   

今日は
何の日

1943年  陸軍航空本部が王子製紙に木製戦闘機キ-106の生産を命じた  掲載ページ 王子航空機江別製作所現況報告書
1978年  西部方面航空隊のT-33A 81-5337が狭山市内に墜落  掲載ページ T-33A全機の経歴と写真

 

日替わりメモ 9月7日

NN486
T08-4

羽田飛来機通信 第7回アフリカ開発会議 特別機
           (参考) 2008年 第4回アフリカ開発会議 特別機


 

〇 第7回アフリカ開発会議 特別機

  ハロースクエアさんが写した特別機の範囲内だけでも、南アフリカとエジプトを除いてはビジネスジェット機での飛来です。トップが乗ってきたのかどうかはわかりませんが、参考までに付した11年前の第4回会議でずらっと大型機が来ていた羽田と比べてみてください。

 会議の実質的な内容の変化、というよりもアフリカ諸国の劇的な変化が既に「開発 Development」という名目の意義を失わせているような印象を、特別機群から受けざるを得ません。時代が大きく変化していますね。日本も変わらなくっちゃ。

 

 

日替わりメモ 9月6日

DC8研究-60

航空歴史館  日本におけるダグラスDC-8研究  -60シリーズ 全機写真掲載完了

A3931-01

都道府県展示保存機総覧  山梨県鳴沢村 河口湖自動車博物館飛行館 三菱一式陸攻


 

〇 日本航空DC-8 -60シリーズ 

 写真が欠けていた-61の4機と-62Fの1機 計5機の写真がgeta-oさんから届き、これで日本航空DC-8 64機の写真が揃いました。
 日航の場合、JAレターの表示が機体に対して小さいので、横640ピクセルの画像では、特に細く長い胴体のDC-8では、どれも同じような機体に見えてしまうので申し訳ない気持ちを抱きながらの編集作業でした。勿論、皆さんから投稿の大半の元写真ではJAレターもきちっと確認できますから、必要があれば、ご覧に入れますので申し出ください。(CONTRAIL誌からの複写を除く)

 

〇 河口湖自動車博物館飛行館の一式陸攻

 機首の偵察員用九〇式爆撃照準器の実物は、ヒコーキ雲初登場です。
 それにしても、22型で機首を三方透明にしてしまった設計、B-17以降の米軍爆撃機でも、戦後のP2Vでも一式陸攻22型ほどの極端な透明化はないように思います。乗せられた兵士は怖かったでしょうね。高所恐怖症気味の吾輩が写真を見ての感想です。

 

 

日替わりメモ 9月5日

A1310-01

都道府県展示保存機総覧  北海道 航空自衛隊八雲分屯基地のT-33Aの現状 


 

〇 河口湖自動車博物館飛行館 一式陸攻の全体写真

 昨日の全体写真のお願いにさっそく2件提供がありましたが、これは、誰が写しても真横全体は無理な展示であることが分りました。従来から、詰込み状態の館内に一式陸攻の大きな胴体を新設ですからやむを得ませんね。それで、飛行館の価値が下がるものではなく、個人経営でよくぞここまでと敬服します。

  ところで、昨日掲載の九三中練について、以前原田さんから直接聞いた話として、全体はレプリカであり、タイヤは中練の本物、エンジンはジュピターを入手して付けてあるとのことです。

 

日替わりメモ 9月4日


A3931-00
A3931-01

都道府県展示保存機総覧  山梨県鳴沢村 河口湖自動車博物館飛行館
                 館内写真に関する新たな掲示
                 館内展示 一式戦隼1型、九三式中間練習機  


 

〇 河口湖自動車博物館飛行館

  館内の展示機等の発表を開始しました。すべては無理なので主要な機材としますが、それでも長くかかりそうです。(お願い、一式陸攻の全体写真を携帯カメラで写しておられましたら提供してください。)


〇 日替わりメモ2日の柳田邦夫氏のことについて  4Tさんからメール

 毎朝、楽しみに読ませて頂いております。
 「マッハの恐怖」は1971年刊、「続マッハの恐怖」は1973年刊です。いずれも1982年の片桐機長事件より10年ほども前のこと。柳田氏は2冊がベストセラーになったことで、すでに航空事故の専門家として名を馳せていました。
 
この時点ではすでに退職していたので「NHK記者」ではなく、航空(事故)評論家としての出演でしょう。操縦装置を持ち込んでというのは記憶にありませんが、民放各社が一斉に「心身症」という、当時耳慣れない言葉一色のなか柳田氏だけが「現時点で軽々に決めつけることは出来ない」との、誠実で慎重な対応が印象に残っております。

佐伯から : 軽々な勘違いを書いてしまって汗顔の至りです。メールを受けてすぐに取り消し線を引いておきました。こういう率直な指摘は大歓迎です。誤った情報が独り歩きしないように、これからも監視の目をよろしくお願いします。

              

 

日替わりメモ 9月2日

DC8研究-60

航空歴史館  日本におけるダグラスDC-8研究  日本航空所有機とリース機一応完了  


 

〇 DC-8研究  日本航空所有機とリース機一応完了

 ダッシュ61の残っていた3機の発表をもって、DC-8の経歴と写真を一応完了しました。
 日本航空の日の丸五本線と鶴丸マークを付けて飛んだダグラスDC-8は、延べ66機、うち日航(子会社を含む)の所有機は51機、Nナンバーのみのリース機は13機
、内訳は次表のとおりです。
 

    延べ機数 改造機 日航所有機 リースのみ
DC-8-32   6 -53へ1機 5  
DC-8-50シリーズ -53 7 -32から1機 7  
-55 5 -55Fへ1機 4  
-55F 6 -55から1機 2 4
DC-8-61   27   18 9
DC-8-62シリーズ -62 10   10  
-62AF 5   5  
   

66(実質64)

  51 13

 公的資料が無いので、桑原研究と下郷資料等からインターネット航空雑誌ヒコーキ雲が独自に判定した数値に過ぎません。亡き両君に代わって厳しくチェックしてくれる人物が現れることを期待します。


〇 予想だにしないことが起きた JA8061の事件

・ 滑走路を目の前にして最も緊張する瞬間にスロットルレバーを押し、逆噴射スイッチを押して羽田手前の海に墜落させ多数の死傷者を出した事故、全く予想だにしないことが起きたのでした。原因が次第に分かってくるにつれ、片桐清二機長の精神疾患を知りながら乗務を続けさせた日航の無責任体質があらわになりました。

・ 当日のNHK17時のニュースに登板した柳田邦夫記者が、どこから借りてきたのか本物の操縦装置でスロットルレバーをぐっと押し出す映像が、佐伯の目に未だ焼き付いています。これで名を挙げた柳田氏は、”マッハの恐怖” ”続マッハの恐怖”を著わして、航空機ものや軍事もののベストセラー作家に仲間入りしたのでした。


〇 飛来した各国のDC-8の写真提供のお願い

 桑原君は、定期便や臨時便で日本へ飛来したDC-8の1987年ごろまでの詳細なウオッチリストを残しています。膨大な量で、ネットに載せるには無理がありますので、皆さんから写真を提供してもらって、その都度「DC-8の外来機」として紹介していきたいと思います。
AIR CANADA   撮影1970/06/25 濱野博司

  すでに大阪万博のページに↑のように紹介していますが、まだま長期にわたってたくさんのエイトが↓のように飛来しておりますから。

定期便の会社
 Nortwest Airlines   KLM Royal Dutch Airlines   Scadinavian airlines system   Canadian Pacific Air Lines   Alitalia   Garuda Indonesian Airlines   Philippine Air Lines   Swiss Air   Flying Tiger Line   Thai Airway International   Trans Mediterranean Airway   Varam Air Siam   Korean Air Lines   Unaited de Transport Airlines   Air India   Air New Zealand   Arrow Air  Rich Interanational

米軍チャーター便
 Pan American Airways   Airlift International    Trans International Airlines   Seabord World Airlines   Capital International Airways   Overseas National Airways   Saturn Airways   Universal Airlines   Trans Carbbean Airways Unaited airlines  American Flyers Airlift  Word Airways   Evergreen International

その他
 Aeronavas De Mexico   Air Canada   Douglas Aircraft   Atlantis Flugdinenst   Martinair Holland   Air Congo   Eastern Air Lines   Iberia   Balair Finnair ほか多数     

              

今日は
何の日

1968年  東北電力川崎ベル47G3B-KH-4 JA7446  岩手県に墜落  掲載ページ 東北電力の川崎ベル47
1973年  新田原救難航空隊MU-2S 03-3027 滋賀県彦根市に墜落 掲載ページ 捜索救難機 MU-2S

 

日替わりメモ 9月1日

A2633-03
T6写真集

航空歴史館いしぶみ  福島県猪苗代町 安達太良山 石楠花の碑 T-6墜落犠牲者慰霊碑
航空歴史館  ノースアメリカンT-6研究 航空自衛隊写真集 52-0056の経歴


 

〇 安達太良山 石楠花の碑 

  何かのきっかけで航空関係の画像があるブログを見つけて知らせてくれる人(はねぶたさん)、その画像の転載を許可してくれる人(渡辺正さん)、こういう注意と好意の積み重ねもインターネット航空雑誌ヒコーキ雲成長の要因のひとつです。

 今朝の石楠花の碑については、T-6が墜落して二人の犠牲者が出た半年後に、標高約1670mの地点に建立されたもので、赤石岳九七重爆慰霊碑の標高2769mには及びませんが、いずれにしろ山男たちの熱き心遣いに敬服せざるを得ません。いくつかの登山ブログを読むと、これらの慰霊碑が道しるべとなって登山者を援助していることが分ります。

  及ばずながらヒコーキ雲もその一助に。
 心暖かき人たちよ、インターネット航空雑誌ヒコーキ雲に載せるべき情報だと気付
いたら無視せずに送ってくださいね。それは佐伯に対する恩ではなく、今朝の紹介のように航空史の空白 を埋めていくある意味学術分野への 貢献につながっていくわけですよね。分かるかな!

      

今日は
何の日

1961年 海上自衛隊岩国教育航空群設置 第202教育航空隊編成 JRB-4配備 掲載ページ ビーチクラフトJRB-4
1983年  大韓航空機ボーイング747がソ連領空侵犯により撃墜  掲載ページ 稚内市祈りの塔

 

日替わりメモ 8月31日

DC8研究-60

航空歴史館  日本におけるダグラスDC-8研究  何かと修正が多いです


〇 DC-8

 例によって早朝作業でミスが多いです。特にDC-8のダッシュ62とダッシュ61は、JA登録が入り乱れているうえにNナンバーもあって、机上での整理がつかないまま入力してしまうことが多く、今朝になって-62のJA8035の欄が見えない? などなど。出展された方は、DC-8全体を何度もチェックしてくださいね。

 


・ 航空機騒音

 昨日アップした-61 JA8060のDC-8国内線最終飛行は、タ−ボファン付きのJT3D-3といえども騒音規制をクリアできないために強制引退させられたのでした。ダグラス社は、FAAの騒音規制を見越して、-60シリーズのエンジンをGE/SNECMA CFM56に改装させて-70シリーズとして各社に提案したのですが、日航は採用しませんでした。てんびんに掛けたら新鋭機を買ったほうが得だと判断したのでしょう。

 最近は、岩国の騒音問題がニュースになるくらいで、民間空港での苦情が影を潜めているような感じがします。 昨日から羽田アプローチの新ルートの検査のためにセスナCJ4が飛んでいます。大型機が飛び始めたら、品川区あたりの住民が何か動きを始めますかね。

    

今日は
何の日

1991年 全日空のYS-11 新潟〜仙台で有償旅客定期便の最終運行(ラストフライト) JA8756 掲載ページ ありがとうYS-11 
2003年 エアーニッポンのYS-11 千歳〜女満別〜千歳 でラストフライト JA8772 掲載ページ ありがとうYS-11  

 

日替わりメモ 8月30日 本日の更新

 

〇  27日発表の↓の写真について撮影場所が秋田空港であることについて
撮影1981/07  秋田空港 CTSsuga
 
JA8053 
撮影1985 秋田空港 CTSsuga

 日航が秋田に路線を持っている訳がないので、同港の空いた時間を利用して訓練をしていたのかと思い、CTSsugaさんに問いましたら、1981(昭和56)年に秋田空港の滑走路が1500mから2500mに延長されたため、チャーター便のDC-8が寄港するようになったとのことでした。

 とすると、他の空港でも日航エイトが写されている可能性大ということになりますが、ヒコーキ雲編集者としては初めて見るローカル航空での写真です。秋田県の皆さんにとっても貴重な航空文化財ではないでしょうか。

      

 

 今日は何の日

1962年 YS-11試作1号機が名古屋空港から初飛行 掲載ページ  国産旅客機YS-11試作(準量産)1号機

 

日替わりメモ 8月29日 本日の更新

DC8NAME

航空歴史館  日本におけるダグラスDC-8研究  ネーミング考

 

〇 かなりいい加減なネーミングだった

  そもそも、国際線投入のために採用したDC-8ですから、愛称をローマ字で描き入れたのは理解できるし、1番機のFUJIは、日本を象徴するものとして、社長以下胸をはっていたことでありましょう。しかし、その時に、DC-8を50機以上も飛ばすことになろうとは予想もできず、ネーミング候補もダッシュ51の最終機、つまり18番機のASOあたりまでリストアップしていたのではないでしょうか。

 さて、次の長距離型-61 -62型に飛びついたのはいいが、ネーミングの続きをどうするか社内の混乱が始まったと思うのです。外国人は勿論のこと、国内線の日本人でもローマ字表記の固有名詞を正しく理解できない人が居ても不思議ではありません。
 外人と隣席の日本人の会話 
  What kind of meaning is NASU ?
   That's the meaning as the eggplant of vegetables.
てな具合となって、乗務の現場からいい加減にしてくれと苦情が出たとか出ないとか‥

 という訳で、鶴丸マークの新デザイン採用と同時に面倒なネーミングをやめてしまったのであります。

 古谷さん作成の一覧表に、日本国内航空と旧海軍/海上自衛隊艦艇の同名も付記してくれていますが、両者とも十分に検討した上で妙な誤解を生まないように命名していたように思われます。

 

 

日替わりメモ 8月28日

今日は
何の日

1909(明治42)年 臨時軍用気球研究会長岡外史 、田中館愛橘、日野熊蔵、相原四郎、奈良原三次、徳川好敏など14名に桂太郎総理大臣から辞令が交付された 掲載ページ国立公文書館保管資料

 

日替わりメモ 8月27日 本日の更新

A3326-13

航空歴史館いしぶみ  所沢市 木村 徳田 両中尉殉職之處石碑  犠牲者記念塔

 

〇 木村 徳田 両中尉殉職之處石碑  犠牲者記念塔

 今年もお盆にHSC-Mさんがお参りをしてくれました。航空関係者を代表してインターネット航空雑誌ヒコーキ雲からお礼を申し上げます。

 

 

日替わりメモ 8月27日 本日の更新

DC8研究-60

航空歴史館  日本におけるダグラスDC-8研究  -61シリーズ 新規12機
                              -62シリーズ 更新3機

 DC8研究-50 航空歴史館  日本におけるダグラスDC-8研究  -50シリーズ 更新2機

 

〇 ダグラスDC-8 -61シリーズ

 1970年の大阪万博以後の国内線需要の急激な増大のために、日本航空はイースタン航空からDC-8をリースしてしのぎました。桑原さんによると14機リースし、そのうちの9機はドル減らしのために購入に切り替えられたそうです。

 リースのみの機体については、取り敢えずCONTRAILに掲載されている写真を転用しまし た。→のように写植のB5判に10機も詰め込み、Nナンバーだけの説明で、誰がいつ写したのかも分からないひどい編集ですが、一応情景として信用しておきたいと存じます。 日航社史でもリース機については、情報ゼロに等しく、桑原記録が世界で唯一の資料となってしまいました。元写真が欲しいですね。

 幸田さん、もう一度探してみてくれませんか!

 

 


〇 冷静沈着な判断による不時着水   グライダーマンの古谷さんからメール

 昨日の記事を読んで、パイロットの端くれとしては、瞬時の様々な的確な処置によって最悪の事態の回避に成功した山脇氏の冷静な判断に驚嘆するとともに、拍手を送りたいと思います。 

 説明文にあるように、高度700フィートでエンジンアウトという事態にもかかわらず、 
 
@ 滑走路の状況をしっかり把握して、迷わずディッチングを選択したこと。
 A 前例をしっかり頭の中に叩き込んで、脚上でディッチングに備えていること。
 B さらに、接水後の脱出に備えてキャノピーを開けたこと。それも空気抵抗を考えて接水寸前で開けていること。
 C 足を計器盤の上に上げ、体を突っ張って衝撃に耐えるとともに、足の負傷を回避したこと。
 D そして、すべての準備を整えて、接水の瞬間のフレアのタイミングに全神経を集中したこと。
 
 ディッチングの成功は、これだけの周到な事前準備があれば、ある意味当然のことでしょう。

 私は、一度オーストラリアの麦畑に不時着した経験がありますが、降りたところが広大無辺の麦畑であっただけで、グライダーにとってはごく普通の着陸でした。

佐伯から : 同じ感想を持たれた人が多いでしょう。いい紹介ができたと思っています。
 

 

 

日替わりメモ 8月26日 本日の更新

T33A研究事故

航空歴史館  ロッキードT-33A研究 冷静沈着な判断による不時着水 81-5338

 

〇 冷静沈着な判断による不時着水 81-5338

 24日に予告した築城のT-33A不時着水事故の詳しい内容をアップしました。冷静沈着 な判断で人身事故にもなりうる重大事故に至らしめなかった経緯とエンジントラブルの原因が分かります。
 

 

 

日替わりメモ 8月25日 本日の更新

DC8研究-50

航空歴史館  日本におけるダグラスDC-8研究  -50シリーズ JA8008と5019写真追加

 

〇 DC-8 JA8003 → JA8008 → OB-R-1223 
               HAKONE
MATSUSIMA SANTA BARBARA

  本日発表のOB-R-1223の写真は貴重な航空文化財です。
 
DC-8 JA8008がペルーへ売られ、日本アジア航空のロゴとマークを消し、胴体の日航ラインは残したままOB-R-1223として羽田を発った1981/07/03その日に経由地のアンカレッジで写したCTSsugaさんの写真です。トランジット中の姿として世界初公開ではないでしょうか。

 本機は、1960/09日航エイトの3番機として、HAKONE号の愛称でデビューし、半年後にオーバーランで首を折るなどの重傷を負い、2年かけて修理してMATSUSIMA号として再デビュー、18年間もJAナンバーで活躍してからEARONAVES PERUへ、1982/06/01にからFAUCETT PERUに移り、SANTA BARBARAの愛称で親しまれました。ネットで検索すると2017年撮影の写真が出てきましたので、まだ稼働しているとすれば御年60の高齢旅客機であります。すごいね。
 https://www.flickr.com/photos/154191970@N03/34715486841

 

 

 今日は何の日

1962年 YS-11試作1号機 地上滑走テストを開始  掲載ページ  国産旅客機YS-11試作(準量産)1号機
1964年 運輸省航空局がYS-11型に型式証明を交付 掲載ページ  国産旅客機YS-11試作(準量産)1号機

 

日替わりメモ 8月24日 本日の更新

T33A全機

都道府県展示保存機総覧  ロッキードT-33A研究 新規写真81-5338

T34A全機 都道府県展示保存機総覧  ビーチクラフトT-34A研究 新規写真51-0385

 

〇 T-33A 81-5338

  久しぶりのT-33A研究です。#338機は、下郷資料では引渡後1年で用途廃止となっている記録だけなので不思議に思っていました。

 このたび、山脇利雄さんから「私が海へ落した張本人です」と写真付きのメールが届き、不時着水で用廃になったものと分かりました。離陸後エンジントラブルが発生し、滑走路には後続機がいるので、そのまま海へ降りると決断し、見事な不時着水をやってのけたのでした。見事というのは、咄嗟にあらゆる知見を駆使して、もっとも安全な行動を取ったことを指します。

 その見事な不時着水の経緯は、引き揚げた機体の生々しい写真とともに月曜日に詳しく載せることとし、今朝はとりあえず、#338機の元気な頃の写真を発表しておきます。写っている人物が航空自衛隊操縦学生第1期生山脇利雄さん が教えた訓練生の一人です。

〇 T-34A 51-0385

 空欄になっているのでと山脇さんが#385の写真を送ってくれましたので、調べてみるとA-330さんとRENATさんの写真も準備しながらアップ未済のままだったことが分かりました。

 ヒコーキ雲の扱う量が多すぎて、こういうミスも多々発生しているようです。皆さん、佐伯へ送っているのに、まだ出てこないぞという情報がありましたら、挨拶抜きで催促してくださいね。

  

 

日替わりメモ 8月23日

今日は
何の日

1964年 東京オリンピックの聖搭載の日航DC-6B火がアテネ空港を離陸 掲載ページ ダグラスDC-6B研究

1965年 全日空がYS-11の名称をオリンピアとした
 掲載ページ 国産旅客機YS-11研究全日空 

夫馬信一 1964東京五輪聖火空輸作戦

 

 

日替わりメモ 8月22日 本日の更新

A8815-03

都道府県展示保存機総覧  沖縄県宮古島市総合博物館 F-86の増槽らしきもの

 

〇 F-86の増槽らしきもの

 大刀洗の旧平和記念館に、アメリカ兵が福岡の大濠公園でボート遊びをしていたという零式三座水偵のフロートがありましたが、宮古島では、F-86の ものらしい増槽がバナナボート風に加工してありました。宮古島市総合博物館 のサイトをみると、海の生き物観察会など海岸での学習をしているので、そんな時に使っているのでしょうか。なかの油の匂いを消すのに随分苦労したことでしょう。

 台湾から与那国島まで丸木舟を漕いで渡った学者男女がいますが、支援救助の船舶が随行するからできたことでしょう。
 おっと、今朝のF-86の増槽らしき話題には関係ありませんでした。失礼。


 昨日の日本におけるダグラス旅客機研究総目次を一応完成させておきました。インターネット航空雑誌ヒコーキ雲の原点が日本におけるダグラスDC-3研究でしたから、DC-2からDC-8までの揃い踏みに感慨深いものがあります。

 更には、DC-10とMDシリーズを加えるべきなのでしょうが、マクダネルやボーイングの年代に入ってくると、ドナルド ダグラスやケンダル スミスなどがTWAからの要請で旅客機製造に着手した頃のダグラスらしき雰囲気が大きく変わってしまっているので、手を付ける気が起きません。新たな感覚で研究してくださる若い人に、後継を託したいです。

      

 

日替わりメモ 8月21日 本日の更新

DC研究総目次

DC8研究-60

航空歴史館  日本におけるダグラス旅客機研究 総目次 (作成中)

航空歴史館  日本におけるダグラスDC-8研究  -61 -62シリーズの写真補充

 

〇 日本におけるダグラス旅客機研究 総目次

 テーマイラストをお願いしている古谷画伯に、これまで欠けていたDC-4、DC-6B、DC-7Cを描いて頂いた機会に、振り返ってみると、DC-2からDC-8までの、いわばダグラス社として成功例の旅客機が曲がりなりにも全機インターネット航空雑誌ヒコーキ雲に登場していることに気付きました。

 取り敢えず、4から8までのスケッチを添えて日本におけるダグラス旅客機研究  総目次に着手してみました。脇道のお遊びですが、今やボーイングとエアバス全盛の時代に、ダグラスが日本の航空界に相当の地歩を占めていた歴史を振り返るのも悪くないと思っています。

    

 

日替わりメモ 8月19日 本日の更新

DC8研究-60

航空歴史館  日本におけるダグラスDC-8研究  -61シリーズを開始

 

〇 DC-8-61シリーズ

  日本航空のDC-8の中で一番多くかつ最後まで使われたのが長胴型のダッシュ61シリーズでした。このうち6機は国内線専用の内装で発注されており、国際線の拡充と共に、国内幹線のジェット化が推進されました。

 今朝掲載の機体の中で、1970年1月登録のJA8039 HAKUSAN号以下7機は、既に愛称が決定していたものの、1979年の機体外装デザインの変更方針に伴って実際に用いられなかったことは 既述のとおりです。

 実際上も、
   IZU〜英語読みすればアイズウ?
   BIWA〜琵琶と読むか枇杷とよむか?
   NASU〜那須と読むか茄子と読むか?
   ASAHI〜朝日岳のつもりみたいだが、分かる人が何%いたか? 
   HIDAKA〜英語読みすればハイデッカー?
 等々ローマ字表記のために内外で混乱を招いていたかもしれませんね。 考えすぎですか?
  

    

 

日替わりメモ 8月18日 本日の更新

NN485

羽田飛来機通信 2019年前半の各社特別塗装機 
         ソラシドエア、日本トランスアオーシャン航空、日本航空の部を追加

 

〇 2019年前半の各社特別塗装機 追加

  化石人間には、よくわからないデザインの特別塗装機が増えてきました。特に、全く好きになれない東京オリンピックのキャラクターみたいなのをごちゃごちゃとあしらっている日航のオリンピック協賛機など、皆さんには親しまれているのかしらなどと。

 ソラシドエアの九州のアピールのなかで、串木野市の「薩摩藩英国留学生記念館」というのが目に留まりました。恥ずかしながら、薩摩からイギリスに密航して勉強した若者についての知識を持っておりませんが、維新史上に大きな地歩を占める長州ファイブに並ぶ明治富国強兵の立役者なのでしょうか。

 かねがね、疑問に思っているのですが、日曜日の佐伯節的に問わせてもらうと、その密航のお金、英国での生活費などはどうやって捻出していたのでしょうか、坂本龍馬の海援隊も無から出発しながら大金を動かしています。どうやら、大英帝国の秘策、グラバーなどを通じてお金を用立てていたらしいと、つまり、彼らはイギリスの手の内で踊らされていたに過ぎないのではないかと。
龍馬の暗殺も、英国というキーワードで解いてみるとなるほどそうか!

 てなことを言うと土佐や長州の方々に嫌われてしまいますので、このあたりで終わり。

      

今日は
何の日

1966年 第13飛行教育団 T-1B 5859 芦屋沖に 水没 掲載ページ  T-1B研究

 

日替わりメモ 8月17日 本日の更新

NN485

羽田飛来機通信 2019年前半の各社特別塗装機 スカイマークの部
           タイガース・ファイターズ・タカガール・ヴィッセル

 

〇 2019年前半の各社特別塗装機 スカイマークの部 

  今年も、それぞれの思惑を乗せてスペッシャルマークの旅客機が各地を結んでいます。
 ハロースクエアさんが、休日などを利用して羽田でウオッチングした機体、先ずは、スカイマークから紹介していきます。

 スカイマークは、プロ野球とJリーグです。
 カープ女子の盛況にあやかって名付けた福岡ソフトバンクのタカガール、今年もほぼ優勝間違いなしでJA73NUも楽しく飛んでいることでしょう。
 そのホークスに8.5ゲームも引き離されてしまった日本ハムファイターズ、中田負傷で清宮を4番に据えてみたり、栗山魔術がいささか迷走気味ですな。
 選手と一緒に踊りだす元気な矢野監督の阪神タイガース、巨人に9.5ゲーム差、広島と横浜にも離されてしまっている現状からは、クライマックスシリーズに出られるかどうか、ちょっと無理ちゃいますか?
 ヴィッセル神戸も現在地が15番地か、大物リーガーの話題も過去のものとなり秋風と共に‥。

 さて、勝手なことを書きやがって、お前のところはどうなんだと、チコちゃんに 叱られますが、スカイマークが広島に寄港していないので、カープジェットもサンフレジェットも無し、ご勘弁を。
 なに? 今年は原監督にセ・リーグの宿敵ソフトバンクを破って貰いたいというので、広島東洋カープとDeNAが巨人優勝を陰ながら支えているのでありますよ!

      

 

日替わりメモ 8月16日 本日の更新

DC8研究-60

航空歴史館  日本におけるダグラスDC-8研究  -62シリーズ終了

 

〇 -62シリーズ終了 

 DC-8の最後のタイプである超長距離型-62シリーズ を12機追加し、一応終了しました。
 -62の中には、4機の窓無しエイト ー AF型貨物機があります。日航社史のグラフを見ると国際線の有償貨物量が1970年から1973年度の間に2.5倍も増えており、カーゴの需要が如何に旺盛であったかが分かります。(因みに、田中角栄通産大臣氏が日本列島改造論を発表したのが1972年でした。)

 一方で、日航は、貨物専用機を外人機長に操縦させていたようで、監督の目が行き届かなかったのか、酔っ払ってアンカレッジを離陸滑走していて迷走、丘に激突して、乗員など8人と肉牛8頭を死なせる事故もありました。

  昨日、ロシアのウラル航空機がカモメのバードストライクで不時着した事故、日航のJA8051は、激しい雷雨のなか高度を誤ってゴム園に不時着、死傷者を出した事故を思い出します。ゴムの樹が緩衝材になって死傷者が少なくて済み、雨で火災が広がらなかったということでしたが、昨日のは、育っていたトウモロコシが緩衝材で、軽症者数名という幸運、クルーが賞賛されていました。


○ CONTRAIL誌から転記している写真が粗くぼけていて、ナンバーが確認できず申し訳ありませんが、空白よりはましと考えております。撮影者名の中に「佐藤」とありますのは、CONTRAILに「K.佐藤」と記してあるものです。ヒコーキ雲では、ローマ字と日本字を合わせた氏名表記は採用していません。「K.佐藤」さん、あるいは「K.佐藤」さんをご存知の方ご連絡を待ちます。