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日替わりメモ

早朝の更新作業でミス多発です 見付けたら直ちにメールしてください  
アドレスは
 dansahicat。ne。jp  を入れる

今日は何の日欄は 原則としてインターネット航空雑誌ヒコーキ雲に情報が載っている件に限ります

日替わりメモ 1月21日

NN512 ニュースフラッシュ 2020年1月 F-4EJ改、RF-4EJ改の終焉間近の百里基地

 

〇 F-4の終焉間近の百里基地

 百里基地の外柵には、外国人を含めて百人以上ものマニアで賑わっていたそうです。お天気が良ければ、平日でもこのような状態が続くのでしょう。やはり、ファントムUの人気、その終焉を目にカメラに焼き付けておきたいのでしょう。

 ところで、F-4とRF-4のパイロットと整備員は、次はどの機体へ行くのでしょうか、当然訓練を受けていると思いますが、F-35Bが揃うまでにはかなり時間が掛かるので多くの人員が休養? そんなことはないでしょうから 、LCC会社などが即戦力として割譲を求めて暗躍中? 

 割譲ごとに、彼らの養成に注ぎ込んできた国費の一部を移籍金として国庫に納めて貰おうじゃありませんか。

 

 

 

日替わりメモ 1月20日

NN511 ニュースフラッシュ 熊本空港 陸自と海兵隊共同訓練飛来機 MV-22B C-130J
移譲ご挨拶 日替わりメモ  謹告 インターネット航空雑誌ヒコーキ雲移譲の件  酒井 収氏のご挨拶

 

〇 熊本空港 陸自と海兵隊共同訓練飛来機

 新聞によると、大矢野原演習場での共同訓練は6回目となり、今回は、陸自第8師団第12普通科連隊(鹿児島県)の約450人と在沖縄米海兵隊約150人が参加。離島防衛を想定し、小銃や迫撃砲の実弾射撃、海兵隊輸送機オスプレイの夜間飛行などを行います。27〜29日には霧島演習場(宮崎県えびの市)を「敵」に奪われた「島」に見立てて奪還する想定で戦闘訓練を展開、陸自隊員を米軍のオスプレイで輸送する訓練もあるということです。

 普天間や本土から尖閣までCH-47ヘリだと一日仕事になる兵員輸送が、オスプレイなら短時間でできるということですから、備えよ常に、しっかり訓練して頂きましょう。

 

〇 インターネット航空雑誌ヒコーキ雲移譲の件

  移譲先の酒井 収氏からご挨拶を頂きました。彼には、変色していた安物のカラーポジフィルムを修正してもらったり、アドビの画像処理ソフトを借りたりなど随分世話になっています。
 挨拶の中に「御自宅の高層階管制室でお話し」とあるのは、私専用のパソコンや図書資料などある3階の狭い部屋のことで、この時は、岩国フレンドシップデーのその夜に来てくれて、生々しい写真を私のパソコンにコピーさせてくれたものです。

 酒井氏以外の人にも後を継いでくれないかと声を掛けて来ました。いずれの人も同じように信頼できるし、ヒコーキに関する情熱もカメラワークも優れた方々ばかりです。それぞれの固有のご事情を考慮して、酒井氏に決めた訳ですのでご了承ください。酒井氏とて、いとも簡単にインターネット航空雑誌ヒコーキ雲を手掛けられるほどの事情にはありませんので、悩み多しと思います。
 インターネット航空雑誌ヒコーキ雲に関わるすべての皆さんが、共同編集者のような気持ちで、彼に何かとアドバイスなど送ってやってくれれば幸いです。

    酒井氏のメールアドレス fiestaclass●yahoo.co.jp ●に@を入れる。

 
 

    
   謹 告 (3回目の掲載)

インターネット航空雑誌ヒコーキ雲制作の移譲について

                              2020年1月10日 
                     インターネット航空雑誌ヒコーキ雲制作 佐伯邦昭

 インターネット航空雑誌ヒコーキ雲が膨大な量と質に達し、かつ日々新たな情報が蓄積する現状に、私の心身が適切に対応できなくなって参りました。
 不慮の途絶で、皆様に大きな迷惑を掛けることも高い確率で予想されます。よって、かねて後継をお願いしていた方々の中から千葉県の酒井 収(ペンネームYS45)氏に引き続きの制作と編集をお願いすることと致しました。この厄介な仕事を引き受けてくださる ことに感謝の念でいっぱいです。
 2月中を引き継ぎの準備期間とし、レンタルサーバーとの契約が切れる2月29日をもって私は引退し、3月から酒井氏が制作と編集に当たることになります。

移譲に当たって
 移譲に際しては、インターネット航空雑誌ヒコーキ雲の骨組みは維持して貰えるものの、制作者・編集者が変われば、内容に新たな考えや工夫が反映されるのは当然であり、私は、それを容認したうえで移譲することとしております。
 しかし、情報提供者・閲覧者・利用者の心理までをくくってしまうことはできませんので、移譲後に酒井氏へどんどん意見を言って頂きたいと存じます。
 佐伯宛に提供されてきた情報(画像)の使用権については、酒井氏に移譲することの是非は、はっきりしておく必要があると存じます。
 そこで、設問を用意しました。

次の設問を電子メールに貼り付けて dansa●hicat.ne.jp  (●に@を入れる)まで返信してください。期日は1月31日とします。期日までに返事がない場合は、YES とみなします。 

 「インターネット航空雑誌ヒコーキ雲移譲に関する設問」

貴方が佐伯宛に投稿してきた情報(主として画像)の使用権を酒井氏に与える

YES又はNO (必須 どちらかを記入してください)


ご意見(任意)


お名前(任意)

ハンドルネーム(必須)

メールアドレス(必須)

住所・電話番号(任意)

 

メール回答締め切り 令和2年1月31日、以後の回答はすべて YES とみなします。

挨拶

 酒井 収氏のご挨拶

 千葉県八千代市在住、製造業関連のサラリーマン、年齢は還暦を越えました。少し前はラジ
コンを飛ばしたり堤防釣りをやったりキャンプをしたりと。現在はツーリングとこの趣味だけに
なりました。

 飛行機熱は、中学生の頃にプラスチック模型とカメラを始めた辺りより、厚木下総百里成田な
どロールフィルムを小分けにして休日というと撮影と現像を繰り返していました。

 現在は関東近県の基地祭中心と保存機回りですが、資料としていた航空雑誌は一時期熱が
下がった時に全て処分してしまい現在は全くありません。


 佐伯氏と直接お会いしたのは、20042月に成田の航空博物館にお越しくださった時が最初
ですが、メールでのお付き合いはそれ以前からもさせて頂き、以降自分が岩国遠征などで何度
かお会い頂き御自宅の高層階管制室でお話しなどさせて頂いております。

 ヒコーキ雲につきましては今現在大きな内容変更は考えておりません。
 佐伯氏が熟成させた今の形がベストのように思います。

 本筋は引き続き、自分も含め読者で編集部員である皆様方から頂ける情報の記録更新や基
地祭見学紹介、軍民航空歴史館資料の更新などを続けてまいります。

簡単ではありませんが新たな航空機の歴史の立ち上げも出来たら良いです。巨大サイトで隅々
まで手が回らないと思います。ここはこうしたらどうか?等提案を頂ければ反映させていきたい
と考えております。

 ただ一つだけ悩みがありまして。
 佐伯氏が続けておられる日替わりメモです。大太刀でバッサリ叩き切る豪快な文章で日々のヒコーキ雲を確認する楽しみのコーナーです。これは文才ある佐伯氏により更新出来るもので、私は知識も平凡で毎日の仕事もあり、時々お茶を濁す程度でお許し頂けるのであれば更新出来るのですがいかがでしょうか。
 

 以上簡単ではありますが、私の紹介と新たにインターネット雑誌「ヒコーキ雲」を続けていく考え
を大雑把ではありますが書かせて頂きました。

 多くの方々の御協力により、今では消えてしまった貴重な機体写真や詳細で正確な記録が数
多く掲載されており、その火を絶やすわけにはいきませんし力不足は重々承知の上で少しでも
お手伝いが出来れば思い挙手させていただいた次第です。

 切り替えが行われる前に皆様方の屈託の無い御意見を頂けたらと存じます。宜しくお願い申し
上げます。

                                      2020年1月20日   酒井 收

 

 

 

日替わりメモ 1月19日

S55H19研究 航空歴史館 シコルスキーS-55 H-19研究   ルール無視のシリアルナンバーの付け方

 

〇 シコルスキーS-55 H-19研究

陸上自衛隊 H-19C

H-4001
40001
H-4002 H-4003
 
40002
H-4004
 
40003
H-4005
 
40004
H-4006
 
40005
       
            40006 40007 40008 40009 40010

  このようにリストアップせざるを得なくなるまで、今朝4時から3時間半もかかりました。陸上自衛隊がシリアルナンバーをH何々からJG何々に変更したときに、3号機の番号を2号機に繰り上げてしまったのが原因です。2号機の4002というのが墜落用廃となっていたために、繰り上げ措置を取ったと思うのですが、官庁会計の 備品管理ではありえないことだし、後世の研究者を悩ます原因を作ってくれたのでした。

 下郷資料では、その経緯がきちんと載っているのですが、佐藤正孝さんのJMASでは、そこを飛ばして新ナンバーだけのリストになっているので、陸自H-19Cの全機数が下郷資料では51機、JMASでは50機となっています。

 山内流に一次資料を当たりたいのですが、広島に居てはそれもかなわず、孫引き資料ばかり見ていますが、4号機のH-4004がJG-003となった後に墜落した日付も本によって異なるという副産物まで現れて、さんざん悩まされた今朝の作業でした。

     

 

日替わりメモ 1月18日

S55H19研究 航空歴史館 シコルスキーS-55 H-19研究を開始

 

〇 シコルスキーS-55 H-19研究を開始

 DC-8研究をひとまず終えて、2月末の移譲までやや手持ぶたさになりましたので、要望の出ているボーイング系列727、737、747をと思いましたが、自衛隊の初期系列でまだ手を付けていないのが、L-16、L-21、T-28、バンパイア、H-19、H-21、V-44、S-51、S-62、C-46、TBM、S-51等々大量にあるのであります。

 比較的、皆さんの写真が多いボーイングジェットライナーよりも、初期自衛隊機の写真を集めるのが先決だと思い直しまして、取り敢えず2月末までにまとめられそうなものの中からS-55 H-19を選びました。今朝は、そのイントロダクションとして陸自の1,2号機をアップしました。警備隊、海自、海保、陸自、空自、民間で70機余りが活躍し、米軍の救助機もオールドファンにはお馴染みでしょうから、多くの写真が集まることを期待しています。

   

今日は
何の日
1975年 東京国際空港ターミナルビルのYS-11公開を終了、撤去 掲載ページYS-11強度試験機

 

日替わりメモ 1月16日

YS11TDA 航空歴史館 国産旅客機YS-11の歴史  東亜国内航空の写真を追加
A3718-11 航空歴史館 厚木の米海軍展示機塗装変遷   SNJがNAVY・海自塗装で復帰

 

〇 厚木の米海軍展示機塗装変遷  ノースアメリカンSNJ 6196 

 去年の9月には姿を消していたSNJについて心配していましたが、Face Bookに再展示の様子が掲載されました。

 SNJ(海自6196)は、退役後下総の第3術科学校の教材機を経て厚木に引き取られ、トレーニングイエローの機体に左側NAVY、右側海自のマーキングで基地祭で公開されていました。

 次いでCAW-5のホームベースのゲートガードとして、Libarty BellsでおなじみのVAW-115塗装となってマッカーサーガーデンの傍に展示され、隊長が変わるごとにキャノピー左下の名前を変えてきていました。

 CAW-5艦載機部隊が岩国へ移転してしまったため、当初の左側NAVY、右側海自のマーキングに戻したものと思われます。とすると、岩国のゲートガードのOA-4M(H&MS-12)も変化するか?

 マニアにとっては、基地開放の楽しみが一つ増えましたね。

   

今日は
何の日
1953年 保安隊が浜松基地でL-5とL-16で航空訓練を開始  掲載ページ日本におけるスチンソンL-5の歴史
1957年  ロッキードPV-2ハープーン 海上自衛隊へ供与開始  ロッキードPV-2ハープーン研究
1956年 ロッキードT-33A ノックダウン生産1号機 61-5201初飛行 掲載ページロッキードT-33A研究

 

日替わりメモ 1月15日

A2331-17 航空歴史館 航空自衛隊松島基地のF-2B記念塗装機

 

〇 松島基地のF-2B記念塗装機

 1月4日以来、松島基地の15年前前後のT-4やF-2Bの記念塗装など遊佐さんの写真で変遷を伝えてきましたが、どうも鮮明な画像が少なくて残念です。同じく、山崎さんのYS-11などモノクロ写真にも残念なものがあります。

 これについては、撮影当時の腕やレンズが悪かったのではなく、昨日「当時のフイルムには焼き付けされずに眠っている機体のコマ」と書きましたが、十年以上前のネガやプリントをスキャンしてみると、ああ保存方法が悪かったかなあと後悔先に立たずの現象によるものと推定しています。

 JPEG方式で画像を保存していてもやはり経年劣化が進むようです。(容量が許せばbmpやTiffでの保存が適当) インターネット航空雑誌ヒコーキ雲上の画像は、100%JPEG方式でアップロードしていますので、古いものは、ぼけてきているようです。

 容量軽減でレンタルサーバーの料金をケチりたい本音と、記録として残すことを最優先課題としている建前によるものですから、不鮮明で細かいところが見えづらいじゃないかという苦情はこらえて頂くようお願いします。無償でサイトを運営している者の限界の弁明でした。

  

  

 

日替わりメモ 1月14日

YS11TDA 航空歴史館 国産旅客機YS-11の歴史  東亜国内航空の写真を追加

 

〇 東亜国内航空の写真を追加

 1971年に日本国内航空(JDA)から東亜国内航空(TDA)となり、それから17年を経て日本エアシステムとなりますが、今朝TDA時代の写真を編集してみて、同社のYS-11の写真が意外に少ないことに気付きました。
  その昔の全日空DC-3と同じように、どこへ行ってもTDAと全日空のYS-11で、カメラを向ける気分にならなかった、写してもフィルム現像だけで お終いということだったのでしょうか。
 当時のフイルムには焼き付けされずに眠っている機体のコマもかなりあることでしょう。劣化して使い物にならなくなる前にデジタル化しておくことを勧めます。 インターネット航空雑誌ヒコーキ雲でも、その他でもきっと役に立つはずです。

  

 

日替わりメモ 1月13日

YS11ANA 航空歴史館 国産旅客機YS-11の歴史 全日空とエアーニッポンの写真を追加
JA2000-2100 航空歴史館  日本初期登録航空機全集 ソアラ―グライダーの部 JA2100の撮影場所判明

 

〇 JA2100の撮影場所

 撮影日・場所不明としていたJA2100 三田3改1の写真について、写した本人の東大航空部監督の井上さんから「19694月東京大学駒場キャンパスだよ」との連絡がありました。併せて「グライダー写真を懐かしく見させていただいております」との言葉も。インターネット航空雑誌ヒコーキ雲が広く普及していることの一端でもあり、素直にうれしいです。ありがとうございました。

 

〇 全日空とエアーニッポンのYS-11

 山崎さんのストックから伊丹の写真を数枚アップしました。機体もですが、自然林や民家や工場と空港施設が混在していた19ような70年代の西側の風景、地元マニアさんには懐かしいことでしょう。
  

 

日替わりメモ 1月12日

A2331-16 航空歴史館 航空自衛隊松島救難隊の松島基地 の初期F-2B Professional Training Squadron

 

〇 町内餅つき大会準備のため、これから出かけます。 更新文なしで失礼。  

  

 

日替わりメモ 1月11日

A2331-15 航空歴史館 航空自衛隊松島救難隊の記念塗装機 U-125A UH-60J

 

〇 松島救難隊の記念塗装機

 松島に救難航空隊の分遣隊が設けられたのが1960年、配置された航空機はH-19CかH-21Bではなかったでしょうか。その後、練習機から救難機に変更されたT-6が加わり、MU-2Sを経て1990年代からU-125Aとなり、ヘリコプターがUH-60Jとなって今日に至ります。
 華やかな戦闘機や練習機の陰で、黙々と捜索救助に励む救難隊員たちがアピールする場は、航空祭での実技展示と、今朝紹介するようなスペッシャルマーキングでしょうか。今年9月には、松島分遣隊創立から60周年になります。更に腕を振るった記念塗装が見られることでしょう。


〇 サイトマップの移設

 トップページの容量軽減のため、検索SITEMAPを分離しました。
  各ページでは依然としてHOME・SITEMAPとなっていて、クリックするとトップページが開きますが、そこからSITEMAPへ飛んでいただくようお願いします。

  

 

日替わりメモ 1月10日

A3023-01 都道府県展示保存機総覧 茨城県 筑西市 ザ ヒロサワ シテイ YS-11 JA8610 移転準備作業

謹告 インターネット航空雑誌ヒコーキ雲制作の移譲について

 

〇 YS-11 JA8610 移転準備作業

 羽田を追い出される国立科学博物館所有のYS-11の茨城県筑西市ザ ヒロサワ シテイへの移転状況をHAWKさんが元日に確認してくれました。エンジンなどが運び込まれ、セスナ2機を片付けて、YSの展示場所を確保するためらしい地盤工事が行われている様子です。
 羽田での解体作業の撮影はむつかしいでしょうが、ザ ヒロサワ シテイの秋に向けての組立状況など経過報告が欲しいです。


〇 謹告 インターネット航空雑誌ヒコーキ雲制作の移譲について  後3回毎月曜に掲載予定

 酒井 収さんからメール  

 時間を掛けて大きくなった大切な航空遺産を引き継ぐ思いでとても緊張をしております。今活躍されている同好の氏やこれから世に出てくる多くの航空機ファンへの素晴らしい道標として、利用研究に少しでも役にたってくれたらこんなに幸せなことはありません。

 どこまでやれるかは未知数ですが、楽しみを持って末永く続けていけたらと思っております。

 やむを得ない事情で何時の日か、私の元から離れていく時も同じ趣向の次世代へ受け継がれていく事と思います。

 なんといっても日本国内においてこれほどの情報量と、多くの証拠画像に彩られたものは他に類を見ません。これから世に出てくる多くの航空機ファンへの素晴らしい道標として、利用研究に少しでも役にたってくれたらこんなに幸せなことはありません

 

 佐伯から;何かと複雑な心境な今朝の空気であります。Change to Mr.Sakaiまでのあいだ、駄弁も交えながら追々に来し方など振り返ってみたいと存じます。今朝はこれにて。 

  

 

日替わりメモ 1月9日

A2331-22  都道府県展示保存機総覧 宮城県 JR仙石線 鹿妻駅前広場 のT-2 ブルーインパルス

 

〇 鹿妻駅前広場のT-2 ブルーインパルス

・ 2013/01/29の表紙絵のキャプション
  This is a symbol of the air defense which is reviving forcibly from the Great East Japan Earthquake.

・ 2016/01/18の日替わりメモ   ”希望の象徴”  仙石線鹿妻駅前のT-2ブルー
  去年の5月30日、仙台〜石巻間の仙石線が4年3ヶ月ぶりに全線開通しました。沿線は、いまだ荒涼たる景色から脱していませんが、その途中の鹿妻駅前に佇立(ちょりつ)するT-2ブルーの雄姿は、ここに降り立った松島基地の隊員はもとより多くの人々に何かしら安心感と希望を与えてくれるのではないでしょうか。きれいに磨き上げている関係者の皆さんに敬意を表します。

・ 今年も、上記と全く同じ気持ちで編集しました。感謝です。

   

今日は
何の日
1957年 F-86F 62-7494と62-7515が遠州灘で空中接触 ハチロクの初墜落事故 掲載ページF-86F研究

 

日替わりメモ 1月8日

A2331-14 航空歴史館 ブルーインパルス向けT-4のモスボール

 

〇 T-4のモスボール

  ブルーインパルス使用機の耐用年数が切れたらすぐに別の機体を投入できるように小牧基地に長期格納していたとは。航空自衛隊も味なことをやりますね。寡聞にして知りませんでした。

 予算要求の席で、自衛隊も収入を考えたらどうかと麻生財務大臣から言われた河野防衛大臣ら幹部が考えたのが、用廃でスクラップ化していた武器の中の一部、例えばF-4Jの操縦桿とかをマニアに売ろうじゃないかと報じられました。
 みみっちい話ですなあ‥‥ 操縦桿を取り外して、実際に売りに出す一連の人件費などコスト (多分書類上米政府の許可も必要と思う)の元を取ってさらに上積みの値段を掛けても、国庫にいかほどの貢献があるのか。 
 丸ごと売り出して民間防衛航空隊でもつくらせたら、退職した有能なパイロットや整備員も救済出来て、一石三鳥だと思が‥‥  その時のために退役全機モスボールは如何?
 ああ、また佐伯の暴言かと叱られないうちに退散、退散。 

   

今日は
何の日
1916(大正5)年 伊藤音次郎氏が恵美号で稲毛から帝都訪問飛行 往復55分成功 掲載ページ伊藤音次郎展
1956年 小田勇氏が東飛SA JA2004で28時間8分の耐空日本新記録樹立 掲載ページ初期登録機全集2000番台

 

日替わりメモ 1月7日

人生録72 航空人生録・論文 山内秀樹  私の航空史研究の進め方 紹介佐伯邦昭

 

〇 私の航空史研究の進め方 紹介佐伯邦昭

 とにかく読んでみてください。それからここへ帰ってきてください。
 
 読みましたか?  何と辛口評論じゃのお!とおっしゃりたいでしょう。
 辛口は、山内さんに向けたものではなく、彼が属する航空ジャーナリスト協会の他の会員さんをはじめ、航空史について執筆するすべてのセミプロに向けたものであることを。

 一次資料(公刊文書)を可能な限り収集し、二次・三次資料(図書の内容)の信ぴょう性を検証し、それによって米海軍・海兵隊航空の詳細な年表リストを作成し補正を続けていく、格納されたパソコンと収集された書籍類が詰まった山内家の部屋は、権威ある米海軍・海兵隊航空史料館となりました。

 

・ 史資料の散逸防止について

 山内さんは、米海軍・海兵隊航空研究の先輩である故賀張弘道さん、ロシア航空の権威だった故藤田勝啓さんの膨大な航空関係遺産を自費で引き継いでいます。
 その意味で、故下郷松郎さん、病に倒れた長谷川明さん、或いはダグラスDC-8研究で度々触れてきた故桑原 益さんの資料、改変が伝えられている荒川キャンパスの科学技術展示館の現物資料など、絶対に後世に残すべき航空遺産が各地にあるはずです。
 あわれ古物商の餌食になったり、焼却炉行きにならないようにと心から祈りながら、今回の紹介文を執筆した次第です。

 なお、我が自宅の研究室にある史資料は、航空情報が初刊から1976年末まで全巻揃っているのを除けば、よく知られている書籍ばかりで大した価値はありませんが、死後は、日本航空協会の手に委ねると、元職員の長島さんに話していますが、 永年の航空遺産継承基金への賛助金寄付を終えましたし、後継職員さんとはメール交換もないので、やっぱり古物商行きかな?

   

 

日替わりメモ 1月6日

A2331-11 航空歴史館 ブルーインパルスの10周年と20周年のT-4記念塗装機

 

〇 新年初の佐伯節

  お笑い芸人たちの稼ぎ時の年末年始のテレビ、神社仏閣の歴史など紹介する真面目な番組を除けば、一億総痴呆化現象の何物でもないのですが、一つだけ印象に残ったものがありました。

 桂文珍師匠の高座 枕の噺し 

 除夜に鐘を突きに行きました 不思議なことに百七ツで終わりました 不思議なのでお坊さんに除夜の鐘は百八つじゃないのですかと尋ねたら 百八つ目は”ゴーン”と逃げた‥

 うまいねえ! 客席は、ちょっと間をおいてからの爆笑でした。

 楽器のケースに隠れて、関空からプライベートジェット機で密出国とか、洋画ではよくあるシチエ―ションですが、まさか日本で現実に起きるとはねえ。古典的な航空機の利活用の最も新しい見本でありました。

 日本の司法も舐められたもので、まさに抜け穴だらけの二流法治国家の姿を世界にさらしてくれたし、桂文珍師匠の風刺を織り交ぜたネタのなかでも、秀逸のギャグとなって、日本年末年始の泣きと笑いのテレビ風景と相成りました。はい、お後が宜しいようで‥

                                         新年初の佐伯節 失礼しました

   

今日は
何の日
1931 日本航空輸送初の死亡事故 スーパーユニバーサル J-CBIO
                              掲載ページ
日本航空輸送鰍ニ大日本航空鰍フ旅客機
1969年 第2航空団のT-33A 91-5408 石狩湾に墜落 掲載ページ航空自衛隊T-33A全機写真

 

日替わりメモ 1月5日

DC8研究日航 航空歴史館  ダグラスDC-8研究 日本航空JA8001他 OFICIAL AIRLINE FOR EXPO75の表示
DC8研究外来 航空歴史館  ダグラスDC-8研究 
         新規Air Transport International  追加Hawaiian Air United Parcel Services 

 

今朝も時間切れ、日替わりメモ本文無しで失礼します。

    

 

日替わりメモ 1月4日

A2331-00 航空歴史館  航空自衛隊松島基地 T-4標的曳航機
DC8研究 航空歴史館  ダグラスDC-8研究 CONTRAILから転載の不鮮明写真を入れ替え

 

今朝は時間切れ、日替わりメモ本文無しで失礼します。

    

 

日替わりメモ 1月3日

A8815-01 飛行場空撮  沖縄県宮古島市 宮古空港
A8815-02 航空歴史館  沖縄県宮古島市 下地島空港

 

〇 下地島空港

  全日空などの訓練基地だった下地島空港は、一時は米軍や自衛隊の訓練飛行場に擬せられたこともありましたが、昨年、再び民間定期便の飛行場としてオープンしました。空港地上業務一切を請け負っている下地島空港施設株式会社によってターミナルビルが整備され、全日空の宿舎も下地島コーラルホテルに衣替えされました。路線は、成田からの2便と香港からの1便ですが、観光客が主たる対象でしょうから、経営は苦しいでしょう。

    

 

日替わりメモ 1月2日

今日は
何の日
1959年 全日空DC-3 JA5025で乗客がドアを開けて飛び降り自殺 岩国へ緊急着陸 掲載ページDC3研究JA5025

 

日替わりメモ 1月1日

A1203-02 都道府県展示保存機総覧  北海道旭川市 陸上自衛隊旭川駐屯地 北鎮記念館
A1203-03 航空歴史館  北海道旭川市 (旭川神社境内) 旭川兵村記念館

 

明けましておめでとうございます

    本年も航空史の空白を埋め、現状を後世に伝えていくためによろしくお願いいたします

                  令和二年一月一日  インターネット航空雑誌ヒコーキ雲 佐伯邦昭


〇 旭川の航空遺産 二つの展示施設

 旭川は、未開地開拓の苦闘の一世を継ぐ二世から、航空界においても後の世に名を遺す偉人たちを生み出しています。軍神加藤建夫少将、全日空を築き上げた中野勝義など。屯田兵の事績と共に歴史を伝えていこうとする三世、四世の気持ちが伝わってくる、二つの施設の展示です。   

 

日替わりメモ 12月31日

A5626-04 都道府県展示保存機総覧  兵庫県加西市 鶉野飛行場、姫路海軍航空隊跡 SNJ-5を展示
A3718-10

人生録  1959年の航空情報と2019年のTBS番組に採用されたロッキードU-2の写真
厚木基地のサイドワインダー暴発事件

 

〇 鶉野飛行場、姫路海軍航空隊跡  SNJ-5を展示

 神戸新聞NEXTが、大東亜戦争開戦記念日の12月8日に、トラトラトラにも使われたSNJが鶉野にあると写真入りで報じで皆さんに知られました。鹿屋航空基地史料館で台風で破損したので、鶉野平和祈念の碑苑保存会が借り受けて修理し、来年3月ごろ正式展示する予定ということです。
 KUPANBAさんの写真では、方向舵を新調している程度であり、鹿屋航空基地の工作隊で修復させればお手の物だったでしょうに、史料館が初期海上自衛隊パイロットを育てたこの貴重な機体を手放した気持ちが理解できません。鶉野では、紫電改模型と同じ深緑色に塗装するそうで、多分、零戦もどきにしたいのでしょう。それも、用廃機がたどる運命の一つですから仕方ないですね。


〇 
TBS番組に採用されたロッキードU-2の写真

 その番組は佐伯も見ました。藤沢飛行場への滑空着陸の様子、ご存知セミプロの松崎浩治氏が出てきて、厚木のフェンス際から尾行されたり、家の中を探されたりし、それを知った当時社会党の闘士だった飛鳥田代議士が国会で追及する場面などありました。コンピュータグラフィックで着陸後のU-2の周りに兵士を運んでくるヘリがH-19でなくて、まだ試験飛行もしていなかったバ−トルKV-107だったりのお笑いも 。
 ソ連がミサイルで撃墜したU-2の残骸がモスクワの博物館に展示されていることも初めて知りました。 


 さて、戸田保紀さんから 『もう今年も終わりですが連日の更新大変ありがとうございました。毎朝ヒコーキ雲を見るのが日課になっておりまして、昨日は、羽田の発展を目で見て楽しませて頂きました。』とのご挨拶を頂きました。同じようなご挨拶をたくさん頂いており、この誌上から御礼を申し上げます。

 未発表の情報もあり、それらを抱えたまま越年します。正月三が日、キーが二重三重に見えるほど酔っ払っていなければ、更新を続けるつもりです。

Have a nice New Year !

  

 

 

 

    
   謹 告 (2回目の掲載)

インターネット航空雑誌ヒコーキ雲制作の移譲について

                              2020年1月10日 
                     インターネット航空雑誌ヒコーキ雲制作 佐伯邦昭

 インターネット航空雑誌ヒコーキ雲が膨大な量と質に達し、かつ日々新たな情報が蓄積する現状に、私の心身が適切に対応できなくなって参りました。
 不慮の途絶で、皆様に大きな迷惑を掛けることも高い確率で予想されます。よって、かねて後継をお願いしていた方々の中から千葉県の酒井 収(ペンネームYS45)氏に引き続きの制作と編集をお願いすることと致しました。この厄介な仕事を引き受けてくださる ことに感謝の念でいっぱいです。
 2月中を引き継ぎの準備期間とし、レンタルサーバーとの契約が切れる2月29日をもって私は引退し、3月から酒井氏が制作と編集に当たることになります。

移譲に当たって
 移譲に際しては、インターネット航空雑誌ヒコーキ雲の骨組みは維持して貰えるものの、制作者・編集者が変われば、内容に新たな考えや工夫が反映されるのは当然であり、私は、それを容認したうえで移譲することとしております。
 しかし、情報提供者・閲覧者・利用者の心理までをくくってしまうことはできませんので、移譲後に酒井氏へどんどん意見を言って頂きたいと存じます。
 佐伯宛に提供されてきた情報(画像)の使用権については、酒井氏に移譲することの是非は、はっきりしておく必要があると存じます。
 そこで、設問を用意しました。

次の設問を電子メールに貼り付けて dansa@hicat.ne.jp まで返信してください。期日は1月31日とします。期日までに返事がない場合は、YES とみなします。 

 「インターネット航空雑誌ヒコーキ雲移譲に関する設問」

貴方が佐伯宛に投稿してきた情報(主として画像)の使用権を酒井氏に与える

YES又はNO (必須 どちらかを記入してください)


ご意見(任意)

 

 


お名前(任意)

ハンドルネーム(必須)

メールアドレス(必須)

住所・電話番号(任意)

 

メール回答締め切り 令和2年1月31日、以後の回答はすべて YES とみなします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

日替わりメモ 11月16日

 

〇 山崎さんから久しぶりのメール

  ご無沙汰しております。ヒコーキ雲楽しまさせてもらっています。75年からモノクロフィルムのすべてのコマのスキャンを始めました。今現在やっと1984年撮影の分まで来ています。
 スキャンが忙しく航空活動はここ3年休止状態です。ただスキャンしても誰かが保管して続けてくれないと自己満足に終わります 。Air Britainのようなしっかりした組織が日本にはないのが残念です。 
  モノクロの次はスライドがありますが、それまで生きながらえるかです。
 今日スキャンしたマルヨンを添付します。84年築城で、防空演習中だと思います。
 今後ともよろしく願い申しあげます。

佐伯から : という訳で、マルヨンの写真をアップしておきました。”Air Britainのようなしっかりした組織が日本にはない”という言葉が耳に痛いです。東京をはじめ各地に出来てはつぶれ、出来てはつぶれの歴史は人生録に書いているとおりであり、JAHSなる会はありますが、情報にきちっとした裏付けがなく、誤謬があっても訂正をしないなど出しておけば何かの役に立つだろうという程度のあまり価値のない編集方針のようですからAir Britainに比べようもありません。
 インターネット航空雑誌ヒコーキ雲は、我が国の航空史の空白を埋めるという目的で頑張っていますので、スキャンした記録の中に、これぞと思うものがありましたら、どうぞヒコーキ雲 に出してください。広く後世に残しましょう。 ネガにしろ、スライドにしろ、紙焼きにしろ、パソコンスキャンの手間と苦労はよくわかります。その苦労を活かすためにも!

    

日替わりメモ 2019年10月13日



〇 災害列島

 東日本の大災害下に、よくものんびりとヒコーキを扱っていられるものだと自分でも、心に痛みを感じながら早朝の作業を続けています。
 お見舞いの気持ちを具体的に表すべきこと百も承知ですが、こちらもお見舞いを受けるべき立場にあることもあり、言葉のやりとりは省いて、お互いに心の中で痛み、祈り、お見舞いをしていきたいと存じます。
 インターネット航空雑誌ヒコーキ雲は、こんな事態下でもドライに編集していくことをお許しください。