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日替わりメモ

早朝の更新作業でミス多発です 見付けたら直ちにメールしてください
アドレスは
 dansahicat。ne。jp  を入れる

今日は何の日欄は 原則としてインターネット航空雑誌ヒコーキ雲に情報が載っている件に限ります

日替わりメモ 2月19日

H19研究米軍 航空歴史館  シコルスキーS-55・H-19研究 在日米軍の部を開始 


〇 シコルスキーS-55・H-19研究 在日米軍の部

 H-19研究の最終章、在日米軍の部の先ずは空軍から着手、といっても空軍機は高田さんが立川の三軍で写したものしかありません。明日以降発表予定の陸軍、海軍、海兵隊機も手持は少ないです。それだけに、貴重なものが隠れているかもしれませんので、皆さんのアルバムを探してみてください。
      

インターネット航空雑誌ヒコーキ雲の移譲に際して所感など その12

 ページのデザイン 

 ホームページは広く見てもらうのが目的です。プロもアマチュアもホームページ作成ソフトの能力を最大限に活用していいものを作ろうと努力していることでしょう。

 私は、既に廃盤になって久しいFrontPage 2003にしがみついているため、機能も限られ、Microsoftからのフォローもありませんが、とにかく便利なので、高価な新しいソフトに切り替える気は全く起こりませんでした。
 制作作法としては、第一にシンプル、第二に見易い、第三に更新しやすい、をモットーとしています。
 ご覧のように、
    バックは濃紺、
    本文記事は黒バックの中に、白でMSPゴシックの3ポイント活字
    本文内の画像は、横640ピクセル、ニュースフラッシュは横800ピクセル
    リンク文字は青、
    分類表示は緑の中に黒の正調祥南行書体EXP文字
等々が原則です。一応シンプル、見易い、更新しやすいの意にかなうスタイルになっていると自分では納得しているのですが、さて、皆さんの評価は?

       

今日は
何の日
1959年 T33A 81-5338 築城で不時着水  掲載ページ 冷静沈着な判断による不時着水

 

日替わりメモ 2月18日

A3537-02 航空歴史館いしぶみ  印西市西の原公園 印旛飛行場掩体壕跡、平和の碑
T61-10 写真で見る東京国際空港の歴史  1961年 航空自衛隊広報活動 C-46DとH-19C 


〇 
印旛飛行場掩体壕跡、平和の碑

 千葉県内のいしぶみは、インターネット航空雑誌ヒコーキ雲上の都道府県中では最多です。
 航空揺籃期の民間飛行士のものもありますが、殆どは大東亜戦争に関係するもので、首都防衛のために千葉県の上空で幾多の激戦があったこと、飛行場急造のために多くの原野が収用されたことを間接的に示すものと言えるでしょう。そういう犠牲の上に今日の平和があることに思い致します。

 

インターネット航空雑誌ヒコーキ雲の移譲に際して所感など その11

  量販店で、オイスターソースを探すとウースターやお好みソースの棚はにありません。店員に聞くと中華材料の棚へ案内してくれます。店側もどっちに置くか悩ましいところでしょうが、私も永年同じ問題に悩まされ続けてきました。図書館や博物館学の教室に通って分類の基礎知識を学びたいという衝動に駆られるのです。

 その4に提供画像の保存分類について書きましたが、ヒコーキ雲上で使う場合に、どこのページに挿入するか、新しいページを作るか等々の方が、世間に与える影響としてはるかに重大問題であることはお分かりと思います。

 開設当初に、筋道立てて構成を考えておけばまだしも、とにかく、紙機関誌で中断しているダグラスDC-3研究をネットで復活させたいというところから始まって、様々なジャンルの投稿が増えるにつれて、航空史探検博物館→インターネット航空雑誌ヒコーキ雲と膨張してきたのですから、公開している分類も、場当たりが多く、それらを再分類してみたり、統合してみたりの右往左往の歴史をたどってきています。

 SITEMAPにある本日現在の分類項目が佐伯編集者のまあまあの決定版です。

 しかし、決して満足できる(科学的に公平であるとか、閲覧者や後世に対して引きやすい)ものとは思っていません。移譲後に、酒井氏がどのように改編されようと文句を言う立場ではありませんし、分類の専門知識を持つ方からのアドバイスや、参考書の紹介などしてあげてくれたらなと思っている次第です。

    

今日は
何の日
1964年 日東航空のマラードJA5067 尼崎市に不時着大破、爆発 掲載ページ  水陸両用機
1976年 日本飛行機鰍ェモーターグライダーNP100を初公開 掲載ページ  日本飛行機NP100
1995年 幕張メッセで1995年国際航空宇宙展開催 掲載ページ  1995国際航空宇宙展

 

日替わりメモ 2月17日

A3522-04

航空歴史館  ロッキード スターライナーL1679A N1102の展示
                @  入場券の写真撮影地は、名古屋空港に決定
                A  新潟空港での写真を載せているブログ紹介                  


〇 
ロッキード スターライナーL1679A N1102

@ 入場券の写真撮影地は、名古屋空港に決定

 FLY Teamにハミングバードさんが1972/12/18に名古屋空港で全日空の応援を受けている6枚の写真があり、入場券の図柄と一致しました。よって名古屋空港に決定しました。

A  新潟空港での写真を載せているブログ

 にいがた文明ハイカラ館というブログを作成している方が、1973/01に新潟空港で写したカラー写真を載せています。@から新潟へ飛んだ時のもので、稼働状態の最後の姿、実に貴重です。ブログを読むと、当インターネット航空雑誌ヒコーキ雲の記事でL1679A N1102と判明したとあるのですが、リンク先が古い時のものであり、それを大石さんが、新しいアドレスになっていることを投稿しています。

 以上により解決しましたので、質問箱から元の展示記事へ戻しました。何かと頭の体操で当たってくれたGTさん、れあるさん、TRONさん、大石治生さん、どうもありがとうございました。

 残る疑問は、「習志野で5年間置かれた後、1984年頃、名古屋の新しい場所に移動する。」としたアメリカのサイトの記事ですが、習志野で解体された部品を名古屋の業者が引き取ったとも考えられ、いずれにしてもバラバラ部品の末路だと思います。操縦席のペデスタルだけが福岡の音楽館にあります。

   

 

日替わりメモ 2月16日

H19研究空

航空歴史館  シコルスキーS-55・H-19研究 航空自衛隊の部  2機の写真を追加

T61-10 写真で見る東京国際空港の歴史  航空自衛隊広報活動 体験搭乗機の非常時に備えるH-19C


〇 
羽田の航空自衛隊H-19C

  東京国際空港で航空自衛隊輸送機の体験搭乗が行われ、傍らに救難ヘリが待機しているという。今では絶対にあり得ない風景です。C-46の機内からガラス越しにH-19を写したETさんの写真が懐かしい記録となりました。(搭乗したC-46の内外を写しておれば送ってください。) 
 この年、ETさんは、日航オぺーレーションセンターの見学にも当選しています。くじ運に恵まれていたのですね。  

     

インターネット航空雑誌ヒコーキ雲の移譲に際して所感など その10

 一昨日は、受信した画像などの保管をご常連の伊藤さんの例で紹介しました。実は、このように見事に整理出来ているのは、少数派なのです。
 送られてくる画像情報の態様は千差万別ですから、
@ 郵便で送られてきた写真は一枚ごとにスキャンし、便箋もスキャンして新しいフォルダーに格納
A メール添付ファイルの画像は、メール本文をメモ帳にコピーして、一緒に新しいフォルダーに格納し
という手間をかける訳ですが、貧しい頭脳で、内容を確認しながら新しいフォルダーを作るという作業に相当の神経と時間を取られます。

 眠気の残る早朝の更新作業で、間違いが多いですからと、常に断っていますが、本当は、日中にやらざるを得ないこのような前処理の方がはるかに作業量が多いのです。分類先や件名も場当たりのことが多くなりミス発生の原因になっています。助手が欲しいなあ!

 有料サイトでは許されませんが、ここはマニアの趣味のサイト、ミスは皆さんの校閲で訂正することでお許し願いたいし、移譲する酒井氏はサラリーマンの身分ですので、発表の遅延などは十二分に察して助けてやってほしいと願っています。

       

 

日替わりメモ 2月15日

質問箱57

航空歴史館質問箱  ロッキード スターライナー搭乗券の撮影地はどこだ?


〇 続々 
L1679A谷津遊園の搭乗券の図柄撮影地

 TRONさんから、空中写真の判断から「恐らく」付きの判断で、やはり名古屋空港ではないかとの考察が届きました。
 たかがチケットの背景写真ですから、航空史的にどうのという程のテーマではないかもしれませんが、太陽の位置とか空撮の読み方など、科学の分野に入りますので、興味を持って質問箱に格上げしました。引き続き推理をお願いします。

  

 

日替わりメモ 2月14日

H19研究空

航空歴史館  シコルスキーS-55・H-19研究 航空自衛隊の部  一応完了

STARLINER

航空歴史館  ロッキード スターライナーL1679A N1102の展示
                    谷津遊園の搭乗入場券の図柄撮影地に異論


〇 シコルスキーS-55・H-19研究 航空自衛隊の部  一応
完了 

 お寄せいただいたものや手持ちの各所展示の写真で、空自のH-19C全21機を一応 完了しました。1957年から1973年までの21年間に事故で失われた機体が5機で、残る16機は1973年3月11日に一斉に用廃処分となっています。

 初期や中期には活躍しましたが、タービン機のS-62、KV-107が配備されてくると、一刻を争う救難活動にウオーミングアップに時間がかかるレシプロエンジン機の出番は少なくなり、お荷物となって一斉用廃の運命となったのでしょう。   
 

〇 L1679A谷津遊園の搭乗券の図柄撮影地は名古屋空港 に異論

 れあるさんから名古屋空港とするのはおかしいとの考察が寄せられました。実物写真を拡大して検討する必要があるので、昨日、お願いした「たくぼん」さん、早くここを見てほしいです。
      

今日は
何の日
1991年  第8回国際航空宇宙展 幕張メッセ 掲載ページ1991国際航空宇宙展

インターネット航空雑誌ヒコーキ雲の移譲に際して所感など その9

  上記の「たくぼん」さんが寄せてくれた写真は、ヒコーキ雲用に加工して載せているのですが、保存してあるはずの元の送付画像が見当たらないのです。

 受信した画像などの保管をご常連の伊藤さんの例で紹介します。赤で囲ったように分類し、撮影した年月日毎に小分類フォルダーを新設しています。

 これで、完璧のように見えるのですが、先日、陸自のH-19の写真が小さいので、元の画像で横640ピクセルに加工しようとしたら、元画像が見つからず、急遽、伊藤さんに再送して貰った‥‥ というように、保存したつもりが保存できていない、或いは、いつの間にか失ってしまったらしい等々のトラブルがしょっちゅう起こります。

 「たくぼん」さんのフォルダーも、画像件名に〜suzuki.jpgとしているので、鈴木名でのフォルダーを探すのですが、無いんです。

 ヒコーキ雲を開始したころは、確かWindows95だったと思うのですが、98、Me、XP、Vista、7と変わってきて今はWindows10のマシンという具合ですから、基礎知識を持たない素人がデータ移し替えで起こした失敗も数々ということであります。喪失したデータを提供してくれた皆さんには、本当に申し訳ないと思っています。

       

 

日替わりメモ 2月13日

STARLINER

航空歴史館  ロッキード スターライナーL1679A N1102の展示
             谷津遊園の搭乗入場券の図柄撮影地は名古屋空港     


〇 
L1679A 谷津遊園の搭乗券の図柄撮影地は名古屋空港

 小牧基地を民間空港側から写した写真には、長方形の窓がいくつも連なっている倉庫が写り込みます。谷津遊園の搭乗券のスターライナーを正面から撮った写真の撮影地を、日本的な風景でないから出発地のバーバンクかもしれないなどととしていたのですが、GTさんが子細に観察して、この倉庫群ではないかと考察してくれました。よって撮影地を名古屋空港とすることにしました。

 なお、この搭乗記念チケットの写真を提供してくれた「たくぼん」さん、実名は鈴木さんだと思います。ここを見ていたら、ご連絡ください。もう一度大きいサイズで写して送って欲しいのです。


〇  秋水について

 一昨日はよく調べずに秋水復元機の公開をと書いてしまいました。小規模板工房さんから、名古屋の三菱大江工場に展示のご連絡がありました。愛知航空ミュージアムの零式艦上戦闘機と一緒に送られていました。
   https://www.mhi.com/jp/expertise/museum/nagoya/
   https://www.asahi.com/articles/ASN1Z5T40N1ZOIPE009.html

 見学には、くどいほどの制約と条件があって、カメラを含む一切の荷物を持ち込めませんので、画像の紹介はできません。一応、そのページだけ作っておきました。A4611-05 三菱重工に写真を頼んでみようと思います。多分、相手にしてくれないと思いますが。

      

 

日替わりメモ 2月12日

H19研究空

航空歴史館  シコルスキーS-55・H-19研究 航空自衛隊の部  写真を追加


〇   紀元節の佐伯節   熊本のHKさんからメール

 佐伯節拝見しました。私も朝から近くをウォーキングしますが、日の丸の旗が上がっていたのは我が家を含め3軒のみでした。まぁ時節柄仕方ないですね。
 本居宣長の和歌でやはり真っ先に思い出されますのは、第一次神風特攻隊で使用された‘敷島隊’あと大和隊、朝日隊、山桜隊と続いたと思いますが、敷島隊の指揮官だった関行雄大尉はまだ23歳で小さな子供さんがいて、彼らの崇高な気持ちのおかげで今があるのを忘れてはならないと思いますが、もうこんな事を言うと古いですかね。

佐伯から : 古いと言わせておけばいいです。大東亜戦争を悪として絶対的ネガティブにしか考えない連中は、特攻隊員の死を犬死と捉えているのでしょうから、彼らを神として靖国神社や護国神社に祭り、各地に顕彰碑や慰霊碑を建立している国民を馬鹿にしているのでしょう。 古墳に見られるように、生活を守ってくれた集落の支配者を手厚く葬るという日本人の魂のアイデンティティが特攻精神にもつながるというと、彼らは鼻の先で笑いますよ、きっと。
 75年もたって、特攻の精神を考えるような教育が未だになされていないことの方が大問題だと思います。

      

 

日替わりメモ 2月11日

A3612-02

航空歴史館  東京都世田谷区二子玉川園  1963年春の航空博  飛燕と秋水の写真を追加


〇 
1963年春の航空博  飛燕と秋水骸

  57年前に二子玉川園で開かれた航空博覧会は、 (ヒコーキ雲の編集を続けてきた経験上)飛行場以外の土地で行われた展示式博覧会の中では最大の規模であったと断言できます。防衛庁の全面的な協力とともに、米軍が昭和の修復を終えた飛燕の返還式を場内で挙行しているなど、戦後航空史を 大きく彩る1頁になっています。

 今朝は、屋内に置かれた飛燕と(横浜の日飛から掘り出された)秋水残骸 を、事もあろうに外に向けて逆光無視で写した写真をアップしました。常識を破る写し方には何かお考えがあったのでしょうか。

 この秋水残骸といえば、長く岐阜基地に保管され、それを三菱が完成機の姿に復元し 、小牧南工場に展示しました。資料室の閉鎖後、零戦とMU-2Bは引き取られましたが、秋水はどうしているのでしょうか。
 幻の完成機にしてしまった行為はあまり褒められたものではないにしても、桜花ととともに往時のロケット機の技術を伝えるものですから、遺産として開放すべきと思いますが、三菱さん如何ですか?


〇  紀元節の佐伯節

 ぜんぶ調べたわけではありませんが、どこの国にも建国の記念日というものがあるだろうと思います。伝説であろう が事実であろうが国づくりの起源の日を国民こぞって祝うのです。

 日本だけ、21年間もそれがありませんでした。GHQの占領政策による悲しい呪縛でした。
 1966(昭和41)年、かっての紀元節が「建国記念の日」として国民の祝日に制定されました。左翼は与党の横暴だと怒りましたが、なぜか、民主党政権になっても廃止されませんでした。

 日本書紀によれば、紀元前660年に神武天皇が高天原から大和まで東征して2月11日橿原で即位しました。そこから数えて2600年の昭和15年、♪ 金鵄輝くにっぽんの 〜 紀元は二千六百年 ああ一億の胸は鳴る‥  との歌とともに国を挙げて祝いました。もちろん、国策によるものです。
 因みに、サッカー日本代表チームのエンブレムは、熊野の山中で神武を導いた八咫の鵄(ヤタノカラス)をデザインしています。

 今年は紀元2680年に当たります。アナクロニズムと言われようとも、これも日本国民の常識として知っておくべきでしょう。

 国立歴史民俗博物館の学者たちは、それはでたらめである、発掘(実に乏しい史資料)の結果からして神武東征は、4世紀頃、つまり推古(女性)天皇の頃だろうと推定し、紀元節を偽の歴史で国民をたぶらかしたものと、つまり、「建国記念の日」を公然と否定しています。これも日本国民の常識として知っておくべきことです。彼らは今日一日をどうやって過ごすのでしょうか?

 彼らは「建国記念の日」の代案をお持ちなのか、まさか「ポツダム宣言受諾の日」???

 という訳で、伝説であろうが事実であろうが国づくりの起源の日を、私は、日本人として、国旗を掲げ、本居宣長の和歌を吟唱してお祝いいたします。
 

     敷島の大和心を人問わば 朝日に匂う山櫻花   本居宣長
                     
                  小林秀雄著 新潮社版 本居宣長 絵 奥村土牛

    

                                          紀元節の佐伯節 失礼しました。

      

 

日替わりメモ 2月10日

A2328-12

航空歴史館いしぶみ 宮城県仙台空港内 翼の碑  翔魂碑


〇 
仙台空港内のいしぶみ

  仙台陸軍飛行学校時代に戦没した将兵の慰霊碑(翼の碑)の横にもう1基慰霊碑が建立されていました。同じく陸軍と航空大学校の殉職者名が刻まれています。震災で傷ついたためか、文字が見難くなっていますが、航大は毎年慰霊祭を行っているそうです。

          

 

日替わりメモ 2月9日

PNN514

ニュースフラッシュ  岐阜かかみがはら航空宇宙科学博物館
                 
企画展 スピードを追い求めた幻の翼 研三 -KENSAN-


〇 
スピードを追い求めた幻の翼 研三 -KENSAN-

  5日の所感欄で報告した研三展の模様が、早速届きました。ボランティアさん達が作った段ボールと発泡スチロールの実物大模型、世界スピード記録を抜きそうな感じで、なかなかの出来栄えです。記録映画もあるそうなので、見に行きたいですね。

私事 : 夕べ飲み過ぎて遅い起床、更新を休むつもりでしたが、このニュースは早い方がいいとPCに向かっている次第。(午前10時)

   

 

日替わりメモ 2月8日

S55研究海

航空歴史館  シコルスキーS-55・H-19研究 警備隊・海上自衛隊の部 写真を追加

A3513-05 航空歴史館いしぶみ  千葉県館山市 海上自衛隊館山航空基地の建物など


〇 館山のS-55

  海上自衛隊のS-55を探していて、世界の航空機1957年8月号にヘリコプターの基地館山(海幕)基地を訪ねてというグラビアに、1〜3号機の写真がありました。それも貴重なのですが、米軍さん置き土産のカマボコ兵舎など珍しい風景もあるので、館山航空基地のいしぶみに加えておきました。

  

インターネット航空雑誌ヒコーキ雲の移譲に際して所感など その8

  今朝の更新の基になった雑誌世界の航空機は、航空情報とともにヒコーキ雲研究書の一翼を担ってきました。日大出身の荻原四郎さんが設立した鳳文書林から、荻原さん自身が編集し発行していたものです。航空情報と競っていたようですが、いつの間にか消えてしまい、鳳文書林は、日本航空機全集や法令集など単行本に特化しました。

 世界の航空機は、Air Pictorialなど8社と特約したり、当時の高レベルの執筆陣を揃えたりでなかなかの内容でした。航空情報とともに全巻揃えたい古書ですが、ネットオークションにも出てきませんね。次の号をお持ちの方、少しの間お貸し願えませんか。

1952年 1953年 1954年 1955年 1956年 1957年 1958年
2月号 1月号 6月号 7月号 1月号 2月号 発行してあれば全巻
  11月号     3月号 6月号
        6月号 7月号
        7月号 9月号
        11月号  
        12月号  

 編集を降りるのに、まだ資料が必要なのかって? はい、『無い』となると、欲しがるのが幼児性を捨てきれない佐伯の性癖。死ぬまでに何かの役に立つかもしれないので、応援してください。

    

 

日替わりメモ 2月7日

A4413-21  都道府県展示保存機総覧  川崎重工業岐阜製作所の展示T-4の現役時写真を追加
A2331-09

航空歴史館いしぶみ 東日本大震災後 航空自衛隊松島基地の定点観測
       第11飛行隊20周年記念碑 ブルーインパルス震災被害尾翼の現役時写真を追加


〇 松島と岐阜の展示T-4

 松島のは、展示といっても11SQの20周年記念碑に、震災で水をかぶったT-4の尾翼をモニュメント化したものですが、ブルーインパルスの5番機として活躍していた写真を加えることで、震災後の定点観測に華を添えることができました。

 川重岐阜のT-4も現役時の写真が入りました。館内のいい写真が入手できれば満点なのですが。

 

 

インターネット航空雑誌ヒコーキ雲の移譲に際して所感など その7

  交流が途絶えた人の続き、ヒコーキ雲の姉妹誌インターネット航空雑誌ヒコーキジャーナルのMAVERICさんです。去年の10月で更新が止まり、本欄で何度か呼びかけましたが、メールにも返事がありません。メールも打てないような事情というのは相当に深刻だと思います。

 彼がインターネット航空雑誌ヒコーキジャーナルを始めたのは、私が勧めたからです。というのも、彼が送ってくる情報が、極端に言えば微に入り細に入りというほど本格的な観察眼によるもので、それだけに1回の分量が膨大なものになり、私の方が音を上げてしまって独立を勧めたのです。
 ある程度の手ほどきはしましたが、彼独自の手法で既に275回分の公開をしていること、ご覧の通りです。

 実は、昨日のC原因の一人に彼も該当します。私がつまらぬ意見を送ったために、何にも言ってこなくなりました。釈明はしましたが、彼も、大阪の某公共団体に勤務する立派な社会人であり、尊厳を保ちたかったものと勝手に解釈しています。

 今、どういう環境下にあるのか分かりません。もし、病気であるとすれば、早く復帰してくれるように祈るばかりです。

     

 

 

日替わりメモ 2月6日

H19研究空

航空歴史館  シコルスキーS-55・H-19研究 航空自衛隊の部  写真を追加


〇 航空自衛隊H-19Cの1号機
の写真は、重要航空写真遺産だ!

 1号機は、1957年7月29日に名古屋港に 着いて小牧の三菱に運ばれ、組立調整して1か月後の8月21日に航空自衛隊に引き渡されます。翌年の春休み、戸田少年(写真)が友人と浜松基地を見学しました。

 空自H-19Cの標準塗装とは全く違いますね。日の丸とシリアルナンバーは取り敢えずの仮の描き入れのようですし、全体の塗装は、薄い黄色でしょうか、皆さんは何色と見ますか?
 機首エンジン部の特徴ある外観がのっぺりしていて、ダルマさんだよ!

            

 モケイ屋さん、ド派手な標準塗装とその前の?塗装に製作意欲が湧きませんか? ついでに、陸、海、保、空と並べてみたら、面白いでしょうよ。

 

 

インターネット航空雑誌ヒコーキ雲の移譲に際して所感など その6

  昨日は、全国のマニアとの交流について書きましたので、今日は、インターネット航空雑誌ヒコーキ雲(以下「ヒコーキ雲」と略します)での交流が途絶えた人のことを書きましょう。

 紙機関誌の広島航空クラブ時代から付き合ってきた人は企業団体も含めて約600人に及びます。その中から、ヒコーキに興味を失なった、災害などでヒコーキ趣味どころではない、病気や高齢化であまり動けない、死亡したなどの諸事情で縁が遠くなっている人は、8割くらいでしょうか。

 私は、マニアを追っかけないし、年賀状も頂いた人にだけ返事を差し上げる主義ですので、 あれっ? いつのまにかメールが来なくなったなということで気付く訳です。
 
 しかし、原因が分かっている人もいます。人間、感情の動物、佐伯やヒコーキ雲に腹を立てて去っていった人々です。

A

 私はマニアのサイトへの批判は自粛していますが、自衛隊など政府組織、自治体、大企業、出版社、公的性格をもつ団体等には遠慮なく批評批判を行います。そのため、関係した(する)人が頭にきて去っていった例

B

 忙しい時は情報メールに対して、ヒコーキ雲にアップしたことで返事に代えていますが、直接のメールによる応答が無いと怒って去っていった例

C

 当方の妻の死亡前後の混乱でヒコーキ雲更新にミスが多発し、謝っても許してくれずに去っていった例

D  日替わりメモ佐伯節などの思想が一方的であるとして去っていった例

 4例ともに、去られる原因は私が作っているわけですから、やむを得ませんが、移譲後においては、酒井氏の手法を見て助けてやってくれたらうれしいです。それだけ力量の或るマニアが多いのですから。

     

 

日替わりメモ 2月5日

Heron

航空歴史館  デ ハビランド ヘロン・タウロン研究 東亜航空のタウロン


〇 
東亜航空のタウロン

 MickeyKazuさん が、お父上のアルバムを整理していて見つけた東亜航空機から降りたところでの記念撮影らしい写真の判定を依頼されました。
 登録番号が三桁のところで切れ、人物の頭がエンジン部分を隠しているという、失礼ながら、歴史派マニアを困らせるのはこういうアングルに限ると言いたいような位置で写した写真です。勿論、写した人も写真に納まっている方にも責任はありませんがね。

 まず、JAの三桁は616で明瞭に写っており、東亜航空のJA6162又は6163とのどちらかですが、それ以上の判定は不可能です。
 次に、HeronかTawron(プシークイーンをコンチネンタルに換装)かですが、一番識別しやすいエンジン部分が見えず、これには苦労しました。やっと見つけたのが、胴体屋根の衝突防止燈です。JA6162と6163が改造後の形式証明を受けた1965/04/23以降に写された他社のHeronの写真、例えば全日空練習機のJA6161には衝突防止燈が見えませんので、Tawronへの改造時にそれを新設したのではないかと推定し、この機体はTawronであり、少なくとも1965年4月23日以降の撮影だと判定します。飛行場は分かりません。

 アルバムにあったもう一枚の客席内写真に、天井に衝突防止燈のパネルらしいものが見えるのも根拠の一つになりました。

 この客席内撮影には、サービス中の東亜航空スチュワーデス、イギリスらしい豪華な客席、ネットの特設荷物棚などが写っています。往時のローカル旅客機の内部を知る貴重な記録です。MickeyKazuさん 、ありがとうございました。

       

 

インターネット航空雑誌ヒコーキ雲の移譲に際して所感など その5

  28日にこやまの航空宇宙博物館雑記帳が12月14日から更新が途絶えて おり、小山さんの体調不良でなければいいのですが、と書きましたが、昨日、小山さんから『病気でも何でもなく、2/8()より空宙博で開催される特別企画展「スピードを追い求めた幻の翼 研三」の準備(サプライズ展示・・・まだ秘密)にずっとかかりきりになっていたからでした』とのメールが届きました。一安心です。
 「研三」企画展は、かかみがはら航空宇宙博物館と国立科学博物館とのコラボ企画で、なかなかの内容らしいですよ。 http://www.sorahaku.net/event/1000810.html

 ヒコーキに関するホームページに携わっている以上、全国のマニアと交流が広まるのは至極当然。小山さんとの厚い付き合いがその一端に過ぎないほどであることは、長年、インターネット航空雑誌ヒコーキ雲を見てきた人には十分にお分かり頂いていると思います。

 しかも、今朝のMickeyKazuさん のように新たに仲間に加わってくださる人が毎月増えていきます。その輪こそが、インターネット航空雑誌ヒコーキ雲の航空史的評価を高めてきたのだと自負しています。使用権移譲に関して寄せられた意見の一つを紹介しておきます。

 TSさんから : 都道府県展示保存機総覧を拝見してどうしても実物を見たくなり、見学に行った箇所が数か所あります。各地の航空機に関する情報が多く、とても参考になります。ホームページが存続するとお聞きし安心しています。

     

 

日替わりメモ 2月4日

A1301-01

都道府県展示保存機総覧  北海道 航空自衛隊当別分屯基地のF-104J 撤去


〇 また1機 マルヨンの消滅

 TRONさんから紹介があった当別分屯基地の北部航空警戒管制団機関誌に、機体の老朽化や道路拡張のために撤去とあります。岐阜の実空から当別に来て約35年間、風雪に耐え、ソ連とロシア機の侵入ににらみを利かしてきた36-8551 苦労様でした。

 1機、また1機とマルヨンが消えていきますが、岐阜には、新たにF-4EJが展示されたとのニュースもあり、保存展示機の世界の新旧交代、受け入れざるを得ないですね。

       

 

インターネット航空雑誌ヒコーキ雲の移譲に際して所感など その4

  アップする画像には、必ず横文字で件名を付けなければなりません。都道府県展示保存機総覧の写真は、北海道がa1001から始まり、沖縄a88**で終わるナンバーを付けています。模範的な件名を説明しておきます。 
         a1002-01-Hokudai-NisekoZero-20180719-Kita (1).jpg

a1002  大分類 北海道札幌市北区
-01-Hokudai   小分類 北海道大学
-NisekoZero  展示物の固有名詞
-20180719  撮影年月日
-Kita(1)  撮影者名と画像の順番
.jpg 

 画像形式 インターネット航空雑誌ヒコーキ雲では、GIFやBMPで送られてきても、すべてJPGに変換して使用している。

 この大分類について、始めた頃は、47都道府県を対抗駅伝と同じように二桁で表示していたのですが、市町村の情報が増えてくるにつれて、北海道や東京都では対応できなくなり、四桁に改めました。
 今回、移譲するに当たって、まだ、修正できていない二桁表示の都道府県を北から順に四桁表示に切り替えつつあるものの、東京都の半ばでギブアップの状態です。
 そして、悪いことにパソコンが、こっちの指示に応じてくれないものが続出しているのです。例えば、今朝の当別の写真を四桁に切り替えると、F-104研究に載せている同じ写真も切り替えますよと、次の表示が出ます。

 更新しますか?と問うので、はい をクリックしても、アップロードしてみると更新されていない、しかも×印になっている例がかなりあるのです。反抗しているとしか思えない機械的なサボタージュ、実際に起こっているから困りますね。まあ、原発のサボタージュではないから、罪は軽いか。

 

 

 

日替わりメモ 2月3日

S55研究民間

航空歴史館  シコルスキーS-55・H-19研究 全日空と三菱重工業のJAナンバー機

H19研究陸

航空歴史館  シコルスキーS-55・H-19研究 陸上自衛隊40010、40012の写真を追加


〇 S-55C 全日空と三菱重工業のJAナンバー機

 3自衛隊と海上保安庁で使われたS-55が民間では、たったの2機でした。右側ドアから入って、操縦席へはよじ登らなければならないという、搭乗員の使い勝手の悪さが評価を落としたのでしょうかね。

 それで思い出すのが、広島航空クラブの岩国三軍見学で、幸田さんがよじ登りの場所で上に居るパイロットの説明を聞きながら、ヤー、ヤーと相槌を打っていたことです。あのペラペラの英語を理解できていたのかと聞いたら、ヤー、ヤーと答えておけば、向こうさんは通じていると思うんだと。
 成程、これは使えるなとはいうものの、上っ面の儀礼が、実は大変な失礼に当たりますわいなあ! H-19のつまらぬ思い出でした。

 

 

インターネット航空雑誌ヒコーキ雲の移譲に際して所感など その3

 今朝の更新写真の中に横幅の異なるものがあります。
 ホームページを始めた頃は、サイズはあまり気にせずにいたのですが、当時のパソコンでは、すぐに空き容量が無くなってしまうので、横355ピクセルを2枚並べる方式に統一し、必要に応じて横600ピクセルの画像を使うようにしました。

 以後、パソコンを買い替えるたびに、メインメモリの大きいものを選ぶようになり、横600ピクセルを標準とし更に、横800(ニュースフラッシュ画像)、横640(都道府県展示保存機総覧など殆どの画像)、横314(航空情報のニュース記事切り取り)に切り替えて今に至ります。それは、マイクロソフトのピクチャ―マネージャーがサイズを6段階に分けて提供してくれており、とても使い勝手がいいからです。

 以前にアップした画像を時に応じて修正はしていますが、すべてに手を入れる膨大な時間は敬遠しています。見ずらい点はご勘弁願います。

 

 

 

日替わりメモ 2月2日

H19研究空

航空歴史館  シコルスキーS-55・H-19研究 航空自衛隊の部を開始


〇 H-19研究 航空自衛隊の部を開始

 H-19Cの航空自衛隊 全21機の編集に入りました。おととい書いたように遅い時期の導入ですから、写真もたくさんあると思います。投稿を待ちます。

 

 

インターネット航空雑誌ヒコーキ雲の移譲に際して所感など その2

 パソコンの寿命は5年だと販売店が言っていますから、2017年7月から2年半しか使っていない我が愛機は、まだまだ元気なはずです。しかし、何かにつけて速度が遅くなり、心臓部かなりくたびれてきたように感じます。

 毎朝、スイッチを入れて、打てるようになるまで約3分、皆さんからのメールをチェックするoutlookを開くのに2分、インターネット航空雑誌ヒコーキ雲更新のFrontpage2003のアイコンをクリックして画面が出るまでに4〜5分、更新を終えてアップロード画面を出すのに3分、更新ページや画像のアップロードに多い時は約5分もかかります。その間、凍り付くことが数回あり、その回復に約10分を要します。

 まだ、青壮年の域にあるべき愛機がここまで老化してしまった原因は、インターネット航空雑誌ヒコーキ雲による酷使にほかなりません。そうとしか考えられませんが、これも裏返せば、皆さんの投稿によって、書庫の中に日々情報が蓄積され、新たに更新されているからであり、航空史のために喜びとしなければならないでしょう。

 待つ間に、電気カミソリで髭を剃ったりしながら、我が愛機を老化させた皆さんに感謝するとともに、瀕死の状態になる前にインターネット航空雑誌ヒコーキ雲の移譲が決まったことに安堵しているのであります。

 

 

日替わりメモ 2月1日

NN513 ニュースフラッシュ  東京国際空港 ポーランド共和国首相特別機 ー V2スポットの照明塔を消去 ー


〇 東京国際空港
 邪道ではありますが ー V2スポットの照明塔を消去 ー 

 日本で撮影した飛行機に横1280ピクセルの素晴らしい写真を続々と発表しているgeta-oさんが、東京国際空港V2スポットでボーイング737が照明塔で串刺しになっている原画と、照明塔を取り去った修正画を載せています。いささか驚いて、その画像を借用し手法を説明して貰いました。ご本人が邪道と断っておられるので恐縮ではありますが、P3駐車場からの撮影で照明塔に悩まされている皆さんへ、こういう事例もありということで  ‥‥

 この種の邪道は、国や企業の宣伝工作のイロハのイの字であり、デジタル技術からAIへとその手法はますます進歩していくことでしょうが、インターネット航空雑誌ヒコーキ雲にもう一つ古典的手法の画像を紹介しているのを思い出してください。戦時中に航空少年が買い集めた軍用機写真中の中島九五式水偵の写真です。

原画と見られる写真 戦後に出版協同社の日本航空機総集に掲載された写真
戦時中販売のプロマイド フロート支柱部分を修正 爆弾を除去

 

 

インターネット航空雑誌ヒコーキ雲の移譲に際して所感など その1

 インターネット航空雑誌ヒコーキ雲の酒井 収氏への移譲まで残り一箇月となりました。
 昨夜で締め切った貴方が佐伯宛に投稿してきた情報(主として画像)の使用権を酒井氏に与える件につきましては、21人の方から回答があり、多少の条件付きを含めて全員がYESでした。
 回答のない人については4回にわたる謹告に記したとおり、すべてYESと見なしますので、ご了承ください。


 引き継いでくれる酒井氏には、精神的に莫大な苦労と、自由な時間の多大な削減を強いることになりました。裏返せば、これまでの私の苦労をそっくり与えてしまう訳で、まことに申し訳ない気持ちで一杯です。皆さんには、そのことをよく理解して頂いて協力してやってほしいと心から願わずにはおれませんし、それが、航空史の空白を埋めてデジタルで後世に残していくという崇高な目的につながるものと確信しています。


 さて、このサイトを2000(平成12)年に始めてから19年の歴史が刻まれてきました。
 当初から付けていたアクセセス カウンターの数字は、2017年7月3日にパソコントラブルで途切れましたが少々振り返ってみます。

   

アクセセス カウンター記録

1 2000/01/01 1
2 2016/07/03 1,617,140
3 2017/07/03 1,963,970
4 3-2= (年間総数) 462,376
5 4÷365(一日平均) 1,267

 この462,376を2017/07/03から2019/07/03まで同じアクセス数だとして計算すると2,888,720となりますが、多分緩やかな右肩上がりで上昇しているはずですから、大まかに今日までのアクセス数を推測するならば、約320万件に達するだろうと思います。ツイッターやフェイスブックなどのブログ形式でないホームページ形式で日々1千件以上のアクセスを仰げるとは、当初夢想だにしなかったこと、我ながら凄いです。

 明日から、その折々の制作者、編集者としての泣き笑いをこの欄で振り返ってみようと思っています。鼻つまみの自画自賛があるだろうし、皮肉っているのは俺のことかと不愉快になられる部分など出てくるかもしれません。例の佐伯節みたいなものですので、お気軽にお読みください。

    

今日は
何の日
1954年 日本航空が日本ヘリコプター輸送にヘロン3機を貸与(後に現物出資として譲渡)掲載ページヘロン研究

1967年 第3航空団のT-33A 81-5354が春日井市の二子山古墳に墜落 掲載ページ  ロッキードT-33A研究

2001年 第13飛行教育団のT-1Aが最終飛行 掲載ページ  富士T-1A/B研究

MAVERICさんへ

 姉妹誌インターネット航空雑誌ヒコーキジャーナルのMAVERICさん、昨年10月から更新が途絶え、メールしても返事がありません。どうしていますか。連絡をください。

日替わりメモ 1月20日

 

〇 インターネット航空雑誌ヒコーキ雲移譲の件

  移譲先の酒井 収氏からご挨拶を頂きました。彼には、変色していた安物のカラーポジフィルムを修正してもらったり、アドビの画像処理ソフトを借りたりなど随分世話になっています。
 挨拶の中に「御自宅の高層階管制室でお話し」とあるのは、私専用のパソコンや図書資料などある3階の狭い部屋のことで、この時は、岩国フレンドシップデーのその夜に来てくれて、生々しい写真を私のパソコンにコピーさせてくれたものです。

 酒井氏以外の人にも後を継いでくれないかと声を掛けて来ました。いずれの人も同じように信頼できるし、ヒコーキに関する情熱もカメラワークも優れた方々ばかりです。それぞれの固有のご事情を考慮して、酒井氏に決めた訳ですのでご了承ください。酒井氏とて、いとも簡単にインターネット航空雑誌ヒコーキ雲を手掛けられるほどの事情にはありませんので、悩み多しと思います。
 インターネット航空雑誌ヒコーキ雲に関わるすべての皆さんが、共同編集者のような気持ちで、彼に何かとアドバイスなど送ってやってくれれば幸いです。

    酒井氏のメールアドレス fiestaclass●yahoo.co.jp ●に@を入れる。

 
 


 

日替わりメモ 11月16日

 

〇 山崎さんから久しぶりのメール

  ご無沙汰しております。ヒコーキ雲楽しまさせてもらっています。75年からモノクロフィルムのすべてのコマのスキャンを始めました。今現在やっと1984年撮影の分まで来ています。
 スキャンが忙しく航空活動はここ3年休止状態です。ただスキャンしても誰かが保管して続けてくれないと自己満足に終わります 。Air Britainのようなしっかりした組織が日本にはないのが残念です。 
  モノクロの次はスライドがありますが、それまで生きながらえるかです。
 今日スキャンしたマルヨンを添付します。84年築城で、防空演習中だと思います。
 今後ともよろしく願い申しあげます。

佐伯から : という訳で、マルヨンの写真をアップしておきました。”Air Britainのようなしっかりした組織が日本にはない”という言葉が耳に痛いです。東京をはじめ各地に出来てはつぶれ、出来てはつぶれの歴史は人生録に書いているとおりであり、JAHSなる会はありますが、情報にきちっとした裏付けがなく、誤謬があっても訂正をしないなど出しておけば何かの役に立つだろうという程度のあまり価値のない編集方針のようですからAir Britainに比べようもありません。
 インターネット航空雑誌ヒコーキ雲は、我が国の航空史の空白を埋めるという目的で頑張っていますので、スキャンした記録の中に、これぞと思うものがありましたら、どうぞヒコーキ雲 に出してください。広く後世に残しましょう。 ネガにしろ、スライドにしろ、紙焼きにしろ、パソコンスキャンの手間と苦労はよくわかります。その苦労を活かすためにも!

    

日替わりメモ 2019年10月13日



〇 災害列島

 東日本の大災害下に、よくものんびりとヒコーキを扱っていられるものだと自分でも、心に痛みを感じながら早朝の作業を続けています。
 お見舞いの気持ちを具体的に表すべきこと百も承知ですが、こちらもお見舞いを受けるべき立場にあることもあり、言葉のやりとりは省いて、お互いに心の中で痛み、祈り、お見舞いをしていきたいと存じます。
 インターネット航空雑誌ヒコーキ雲は、こんな事態下でもドライに編集していくことをお許しください。