伝説の時代から現代まで 航空史抜き書き

 

航空歴史館

 

ポストカードに見る
     1940〜50年代を競ったロッキードとダグラス

 

 超空豚はねぶた 解説 佐伯邦昭

 超空豚はねぶたさん宅に保存されている絵葉書です。おじいさんが息子さん宛に出されたものだそうで、青インキの万年筆で達筆の旧漢字に時代を感じます。

 また、登場する旅客機を見ていると、第二次大戦後に演じられたロッキードとダグラスの熾烈な競争に思わず興奮してしまいます。

ロッキード コンステレーション

表面のキャプション拡大









 着色写真と思われますが、機体の特徴を生かしたエールフランスの流れるようなラインが美しく描かれています。 胴体の長さと丸窓からスーパーコニーが出る前の、L749あたりの機体と考えられます。
 キャプションに「大西洋横断を65000回以上もこなし、強力なエンジンと優れた快適性で有名である」と書いているように、コニーはまさに大西洋横断の空の女王でした。

 

ダグラス DC-4


 1958(昭和33)年の富山国体の切手が貼ってあります。この頃日本航空にはこの高千穂号をはじめ10機のDC-4が活躍していました。

 ダグラスDC-4はもともと民間機として開発されましたが、むしろC-54として軍事輸送で名声を博しました。戦後、民間に登場したものの、ハワードヒューズの野心的な要求で躍り出たロッキードコンステレーションの速度、与圧、航続距離のすべてに圧倒され受注がストップしてしまいました。

 しかし、日本では、米国の幹線航空路に既にDC-4の姿がみられないときにも「なお揺るがぬ信用を誇る傑作機です」と中古機を宣伝せざるをえない航空復興途上の現実があったわけです。

 

 

ダグラス DC-6

 

 DC-4ではコニーに対抗できないと戦中から考えていたダグラスは、DC-4の胴体を延長して与圧とし、P-47サンダーボルトなどで実績にあるR-2800ダブルワスプエンジンを搭載したDC-6を開発しました。

 SASの絵葉書には48 seatsとあります。IATAによるツーリストクラスなどの区別は1952年から設けられて、DC-6は最大76席という資料がありますから、それまでは、実にゆったりした豪華な空の旅を楽しむことができていました。

 しばらくの間はコンステレーションとDC-6が拮抗して世界を結んでいました。

 

 DC-6の形状は基本的にDC-4を大きくしただけなので、コニーにくらべると、スマートではありません。しかし、DC−3以来の蓄積による技術で、地上整備など扱い易い飛行機として好評でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 文面ではインドのカラチ到着ですから、南回りでヨーロッパへ向かい、西ドイツで切手を買って投函されたものでしょう。

 DC-6がインド大陸を延々と横断してきた様子が伺えます。

 
ダグラス DC-6B


 
 航空業界の競争はやむところがありません。ロッキードはコニーを大型化したスーパーコニーを開発し、対抗してダグラスはDC-6をストレッチしてB型を開発します。これが名機DC-6Bの誕生です。最大で84席(日航は64で運用)というぺイロードは大きな経済性を生み、戦後のピストン旅客機の中で最もバランスのとれた旅客機だと言われています。

 この葉書は、1964(昭和39)年ごろで、写真の機体はCity of Kyotoと思われます。

 キャプションには Pacific Courier と書いてあり、ナショナルフラッグキャリアーのJALに貢献した飛行機のひとつでありましたが、国際線にはDC-8が飛び、1年後にはボーイング727もやってきます。

 

 思えば、ロッキードとダグラスの熾烈な主導権争いは、スーパーコニーとDC-6Bの時代が頂点でした。ロッキードは トライスター、ダグラスはDC-8の後継DC-9やDC-10ではボーイングの対抗馬になりえず、旅客機の世界から消え去ったように見えます。

 今や、エアバスとボーイングの戦いに絞られてしまいました。吉川英治さんが音戸の瀬戸、清盛碑に「君よ 今昔の感 如何に」と揮毫しています。

 古い絵葉書をみながら、ふと思い出しました。

 

(後記) LとDの熾烈な競争といいながら、スーパーコニーの絵葉書が欠けているのでは、やや画竜点睛を欠きます。お持ちの方は提供してください。


OKUBOさんから

 画竜点睛を欠かないように、50年以上前に貰っている絵葉書を送ります。TWA、KLM、BOAC、エールフランスの当時の代表的なエアラインにまじって、キューバのスーパーコニーもあります。1950年代には米国とキューバは犬猿の仲ではなかったのですね。