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航空歴史館

 

航空自衛隊ノースアメリカンF-86研究

掲載開始 05/01/14
最終更新 13/05/25
 

目 次

 合体メカの実例とシリアルナンバー変更の理由
     1-1 #497の場合 
   1-2  #877の場合
   1-3  合体メカの理由とシリアルナンバー変更の理由
    参考 三菱製F-86Fの銘板
  展示機のシリアルナンバー書替え
     2-1 “航空ファン 955号機の怪”への答え
   2-2  岐阜基地の92-7897(-40)が62-7427(-30)のナンバーをつけている理由及び実験航空隊のマークを描いている理由
   2-3  河口湖自動車博物館と浜松広報館の同一ナンバー機
   2-4 八幡浜フェリーターミナル のF86-F シリアルナンバー書き替えの怪 
  岐阜基地展示場にあったF-86D04-8182に04-8209を記入した疑問
  F-86の計器盤 各型

 

     1 合体メカの実例とシリアルナンバー変更の理由

1-1  #497の場合

 
 なんと 497がふたつ!! どっちが本物だ?? 
大きな疑問を残す2枚の写真は滅多に見られない瞬間のたいへん貴重な記録です。


向うが#497から#456へ  手前が元#456#497
撮影1982 入間基地  予備三曹

 
 予備三曹さんは、 手前の機体に向うの機体の主翼を取り付ける交換作業で、左主脚を担当し、テストフライトで無事収納されるを見届けてほっとしたそうです。

 さて、手前の機体のもとのシリアルナンバーは#456でした。

 交換作業で#456#497の主翼をつけ、シリアルナンバーも#497に変えてしまいました。そして、1982年3月に航空自衛隊F-86F退役式(航空歴史館8参照)に臨みました

 #456には#497の主翼がつけられ、シリアルナンバーも(この写真撮影後)#456に 変えられて用途廃止になりました。

 常識的には、主翼を取られた飛行機はそのままスクラップ場行きだと思うのですが、わざわざ欠陥主翼を取り付けられるという、その手間はいったい何故? 

F-86F-40NA 62-7497の経歴

1956/08/08 USAF S/N 55-3937 Japan Air Force S/N 62-7497 
  第1航空団など遍歴
1966/10 木更津へ格納(モスボール)
1977 主翼を62-7456と交換し、S/Nを62-7456とした
  用途廃止 アメリカへ返還 (QF-86へ移行の説もあ る)
 

F-86F-40NA 62-7456の経歴

1956 USAF S/N 55-3877 Japan Air Force S/N 62-7456 
  第6航空団など遍歴
1963 Tacan装備
1966 サイドワインダー装備
1977 主翼を62-7497と交換し、S/Nを62-7497とした
1981 総隊司令部飛行隊所属
1982/03/15 用途廃止 上記退役式のとおり

 

  ところが、#497のその後もいろいろと疑問に包まれています。

@ カリフォルニア州ホーソン飛行場のWestern Museum of  Flightに展示してある#497です。
  航空ファン自衛隊航空機オールカタログ(1999/11発行)に詳細なレポートがあり、山康弘氏は#497に間違いないと断定しています。


排気口カバーのプレート

 この写真は、2004/05に予備三曹さんの友人が撮影したものですが、 ネームプレートも見当たらず、すでに#497とわかる痕跡は失われて います。

 山康弘氏の断定は、機首に薄っすらと残る機番から#497としているものであり、製造プレートについて触れていませんので、元#456#497か、#456の下から#497の文字が表れていたのか、やや疑問が残ります。その疑問を広げてしまうのが次の写真です。

 

A 退役式のあった同じ年1982年11月の入間航空祭に展示された機体です。

 

 #497は退役式のあと米国に返還されて嘉手納基地のゲートガードになったという報道もあり、撮影したたかさんが#497は返還されているのではないかと整備士に確かめたところ 、「ネームプレートで#497に間違いない」と断言されたそうです。

 ネームプレートが#497というと、これは#456から主翼をもらって#456へ書き換えたはずの#497ではないだろうか、ナンバーを書き換えずにそのまま入間に保管してあったのではないだろうか。

 もう、確かめようもありませんが、大きな疑問が残ったままです。

 

1-2  #877の場合 

 

 宮城県の瀬峰場外離着陸場に置いてあったF-86F 92-7939です。左写真は、里帰り零戦が仙台空港から飛来すのをる待っている人々です。この時に、機体をこまかに観察した伊藤憲一さんは、キャノピーナンバーが92-7877となっているのを発見しました。

撮影 瀬峰場外離着陸場1978/11/11  伊藤憲一 撮影 瀬峰場外離着陸場1989/08  シシオ

 第1節の例でいくと、#877の胴体に#939の主翼をつけて、シリアルナンバーも#939に変えてしまったということが考えられます。

           

 一方機首に#877と書いている機体については、AIR JAPAN に1979年7月に松島基地内で用廃状態にあった写真とともに「福島県ハワイアンセンターにあったものを引き上げてきた」とのっています。

福島県ハワイアンセンターから引き上げて松島基地に保管(放置状態) 撮影1979/07 遊佐 豊

 更に、1979年9月に、伊藤憲一さんが岩手県江刺市の町外れにあった#877を見ています。

 写真と手記を整理してみると次のようになります。

1978/11/11  瀬峰場外離着陸場で#939撮影 キャノピーナンバー92-7877を確認
詳細時期不明 福島県ハワイアンセンターに#877があった
1979/07 松島基地内で#877撮影
1979/09  江刺市内で#877目撃
1989/08  瀬峰場外離着陸場で#939撮影

 いずれも用廃後の記録なので、#877の現役時代に#939の主翼を貰って飛び、#939#877と書き換えられて用廃、福島県ハワイアンセンター→松島基地→江刺市と置き場所が変わっていったと推定するしかありません。しかし、両機が合体されていたらしいことは間違いないでしょう。

 

 

1-3  合体メカの理由とシリアルナンバー変更の理由

 

 以上たいへん入り乱れた説明で申し訳ありませんが、要は、二つの例を通じて、航空自衛隊のF-86Fの一部は、主翼を交換した際に、主翼のナンバーを機体の固有シリアルナンバーにしてしまうという事実がはっきりしました。

 そして、主翼を提供して用途廃止になる方の機体は、ナンバーを書き換えられ たものもあれば、そうでないものもあるらしい‥。

 いろいろな資料から交換機体のナンバーをあげると次のとおりです。

62-7497 → 62-7456  
62-7491 → 82-7794  
62-7437 → 02-7958
62-7445 → 82-7991  
62-7451 → 62-7435  
62-7473 → 02-7974
62-7475 → 02-7969  
62-7497 → 72-7720  
62-7487 → 72-7772  
62-7491 → 82-7794
62-7497 → 62-7456  
62-7506 → 02-7948
62-7516 → 02-7971  
62-7521 → 72-7723  
62-7525 → 02-7969  
62-7481 → 62-7512  

 このために起こる混乱がF-86Fの経歴リストづくりをたいへん困難なものにしております 。航空自衛隊としては、あとでマニアや歴史家が困ろうが泣こうが知ったことではないわけですが、それにしても、なぜこのような処置をとったのでしょうか。

 

@ 幸田恒弘さんの推論

 F-86Fの主翼交換に「合体メカ」という実にふさわしい呼び名をつけたのはハチロク研究家の幸田恒弘さんでした。

  合体メカそのものは、一種の部品取りということで当たり前の行為なのですが、F-86Fに限って異常に多いのは、当初は木更津基地内にモスボールされていた 耐用年数(飛行時間)未了の主翼を持つF-86Fの有効活用であったと思われます。

 既にタカンやサイドワインダー改修を施している機体の主翼を取り換える必要が生じたときに、モスボール機を持ち出してこれらの改修 をするよりも、手っ取り早く主翼だけを頂戴しろということです。 木更津基地のモスボール機に限らず、耐用年数未了でまだ使える主翼ならどの機体のでもよかったのかもしれません。

 

A 佐伯の推論

 ご丁寧に親元の胴体のナンバーを変えてしまったのは、機材を眠らせておくのはおかしいじゃないかという批判に対抗するため、あたかも全機飛んでいるかのごとく偽装したの で はないかと想像します。当時パイロット養成が間に合わなくて木更津に格納されていた機体(一部はそのまま米国へ返送)について、国会で議論になった事実があります。

 

B Blueさんから反論

 佐伯さんのあたかも全機飛んでいるかのごとく偽装という説にどうも納得できません。

 F-86Fの寿命は、主翼の疲労度合いから決められていたと考えるのが自然だと思います。

 であれば、合体メカを作った際に、胴体側の機体番号を与えてしまうと、せっかく若い主翼を付けたのに、胴体側の年齢で寿命が早く来てしまうことになります。管理上、より長く飛行機を使おうとして合体メカを作ったのであれば、主翼側の機体番号で管理しなければ、意味がないと思います。

 従って、合体メカに対する空自の措置は、マニアの眼から見れば不自然であっても、目的からすれば管理上の合理的な措置だともいえるでしょう。

 

結論

 一般論としては、例えば、民間機は登録記号を胴体のかまちに打刻することが義務付けられているように、事故等の際に機体を確定する必要から胴体を固有番号としています。

 民間機で、主翼を取り替えたときに登録記号の変更を認める例があるのかどうか、疑問ですし、変えたところで実益はあまりないように思います。要は、航空局の検査で寿命を延ばしておけばいいだけのことです。

 自衛隊の場合には、その例外規定があるのかどうか知りません。想像ですが、シリアルナンバーの変更はF-86Fに限られた特殊な取り扱いであると思います。その理由は、AとBをミックスしたものではないでしょうか。

 あくまで推定に過ぎませんので、F-86F合体メカについて皆さんのご意見を承りたいと存じます。

 

参考 三菱製F-86Fの銘板

○  三菱製ノースアメリカンF-86Fの銘板

 TADYBEARさんにガラクタの中から是非探し出してほしいとお願いしましたら、ミニカー棚から発見したそうです。
 誤解を恐れずにいうなら、雑誌・インターネットを通じてF-86の銘板を公開できたのは初めてです。歴史派・記録派マニアにとっては感激ものであります。

 

 何故かというと、解体ショーで取り外してきたTADYBEARさんもコックピット後方のどこにあったか詳しく覚えていないというほどややこしい場所に貼ってあり、なかなか見付けられないからです。この時は、キャノピーがはずしてあったそうですが、浜松広報館ではキャノピーが開の状態で展示なので、佐伯が座席の後ろを確認しようと首を突っ込んだらボランティアさんに露骨に嫌な顔をされたというようなこともありました。

 そもそも、F-86の銘板にこだわるのは、主翼を付け替えた合体メカや、シリアルナンバーを替えた機体が存在するために、未だに全機の確実な経歴リストが作られていないという事情からです。 

 92-7879の銘板が出てきたことをきっかけにして、せめて残存しているF型とD型のすべてのプレートが確認できることを願うものです。

 ○ 銘板の貼り付け位置

航空自衛隊浜松広報館エアパークのF-86F 操縦席後方の左サイドで確認できました。

撮影2010/05/01 TADY BEAR 



 

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