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航空歴史館
 
川西二式大艇の戦後史

History of the Kawanishi Nishiki Flying boat

 

目  次

1 年 表 再編07/05/13
二式大艇完成記念品 掲載17/02/23
二式大艇設計者 菊原静男氏関連記事 掲載13/11/27
2 アメリカから返還の直後 再編07/05/13
3 米軍マークの消去 再編07/05/13
4 展示(組立)場所へ移動する前 掲載07/07/27
5 船の科学館へ展示開始  再編07/05/13
6 船の科学館 展示20年後の状況 再編07/05/13
7 二式大艇の搬送風景に出会う 再編07/05/13
8 鹿屋基地へ移送決定 防衛庁長官へ岩国基地格納庫廃材転用で二式大艇上屋を要望 再編07/05/13
9 海上自衛隊鹿屋航空基地史料館屋外に展示開始 再編07/05/13
10 2005年の状況 再編07/05/13
11 二式大艇返還に関わった者 として感想 掲載07/05/13
12 2010年の状況 掲載10/06/23
13 2013年の状況 再整備 再び上屋を要望する  掲載13/11/27
 

 

1 年 表   年 表

1945/08/15 香川県詫間海軍航空隊に3機の二式大艇が現存した
1945/*/* 占領軍指令により、うち1機を保存機とし、2機を破壊処分した
1945/*/* 海軍第801航空隊司令日辻常雄少佐に保存機を横浜へフェリーするよう命令が出る
1945/*/* 呉の海軍第11航空廠の7人の整備員により弾痕の修復など飛行可能状態に整備
1945/11/10   米極東戦略爆撃調査委員会のシルバー大尉がPBYカタリナで詫間に飛来 (注1)
1945/11/12 米極東戦略爆撃調査委員会のシルバー大尉がPBYカタリナで詫間に飛来 (注2)
1945/11/11  日辻少佐の操縦で詫間から横浜へフェリー、PBYが先導 (注1)
1945/11/13 日辻少佐の操縦で詫間から横浜へフェリー、PBYが先導 (注2)
1945/*/* 船で米国へ搬送
1945/12/*  ノーフォーク海軍航空基地へ陸揚げ オーバーホール後再組立
1946/05/23 テスト飛行(これが最後の飛行となった)
1946/08/22 水上滑走テスト開始
1947/01/30 エンジン故障のためテスト打ち切り 米国での運航時間12.6時間
1947/02以降 外翼を取り外し、機体をゴム被膜で包んでモスボール化
1959 新明和興業顧問の菊原静男氏が米海軍の招きで米国を旅行し、返還について原則了解を取り付けた  
1979/04/23 現地で日本への返還式挙行 
1979/06/19 コンテナ船にゅーじゃーじー丸へ積み込み 日本へ搬送 (注3)
1979/07/13 大井コンテナ埠頭からはしけで船の科学館へ搬送 陸揚げ (注3)
1979/07/20 東京都船の科学館で式典 日辻元少佐も列席
1980/02/20 修復保存工事開始 (注4)
1982/03/27 修復保存工事終了 一般公開開始 (注3)
200*/*/* 火星エンジン2基を小牧市三菱重工名古屋誘導システム製作所名誘ギャラリーへ貸与  
2003/12 日本財団から防衛庁へ譲渡
2004/03  東京港から鹿児島県鹿屋航空基地へ移送
2004/05 鹿屋航空基地史料館屋外で公開

   出典
      注1 海上自衛隊安全月報  日辻常雄元海将補記「大空への追想」
      注2 航空ジャーナル1982年3月号 蘇れ2式大艇 Part3 ロバート C  ミケシュ記事
      注3 航空情報1960年2月号地の人空の人欄  4月号菊原静男 アメリカの旅から(下)
      注4 2000年オフイスHANS発行 未来につなぐ人類の技 @航空機の保存と修復

 

二式大艇完成記念盃

     叔父が川西の二式大艇の設計部にいて、完成記念に貰ったもののようです。

提供 濱野博司    

二式大艇設計者 菊原静男氏関連記事    菊原

    航空情報1960年2月号 地の人空の人欄
    

航空情報1960年4月号 菊原静男 アメリカの旅から(下)の一部

 


 

2 アメリカから返還の直後2

アメリカから返還の直後 撮影1979  阿施光南

 


アメリカから返還の直後  鈴木紳吾  

     コクーン(保護皮膜)をはずした時のもの
     

     到着直後の操縦席
     


 



3 日の丸塗装作業 米軍マーク消去
3

撮影1980/02/11  にがうり

最初の作業が日の丸を新しくすることでした 米軍マークを消すことでした

 



4 展示(組立)場所へ移動する前
4-1

撮影1980  Ota

右胴体の米軍マークを消して、展示場所の基礎工事を待っている段階と思われる

 

5 船の科学館へ展示開始4

撮影日不明  阿施光南

撮影1981/12/8  にがうり 

 

6 船の科学館 展示20年後の状況5

撮影2003/04/23  にがうり 

撮影2003/12/21  佐伯邦昭
 

6

7 二式大艇の搬送風景に出会う

撮影2004/03/16  ゼロナナ

 たまたま何かの検索をしている時に、このHPに辿り着いて、食い入るように拝見しました。とはいっても、私は飛行機のコトはまったくわからないのですが、朽ちていくモノや歴史的なモノを見るのが好きで、隅々まで見てしまったというワケです。

 さて、今回メールしたのは他でもありません。ちょっと古い話なのですが、去年まで東京の船の博物館にあった二式大艇の画像をお送りしたいと思います。仕事で船の科学館を通った時に偶然撮影したモノなのですが、東京港から鹿児島県鹿屋航空基地へ移送する直前の解体現場をカメラに収めていました。トラックに積み込む作業の真っ最中の時のものです。撮影日は2004年3月16日でした。








 

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8 鹿屋基地へ移送決定 防衛庁長官へ岩国基地格納庫廃材転用で二式大艇上屋を要望


拝啓 防衛庁長官殿

                  二式大艇に岩国の1格上屋を

 イラク派遣でお取り込み中のところ失礼いたします。

 このたび川西二式飛行艇が解体運搬、設置基礎工事費込み7,750万円とともに船の科学館から防衛庁へ譲渡されました。世界に誇る日本の名艇が寿命を延ばしたことに一航空愛好家として喜びにたえず、日本財団と防衛庁に心から敬意を表します。

 そこで、問題は鹿屋航空基地史料館においての扱いであります。錦江湾に面する鹿屋は塩害、桜島火山灰、台風直撃等の自然災害にあいやすく、維持管理に十分な注意が必要なことは先刻ご承知のとおりです。

 聞くところでは、航空公園の展示機群の道路を挟んだ西側空き地を予定されているそうですが、当分の間は露天もやむを得ないとしても、将来はぜひとも上屋を建設して、風雨や火山灰から保護してやっていただきたいのです。世界にただ1機しか残っていない名機を露天で朽ちさせるのは、歴史を粗末に扱うものと先進国の物笑いになると思うからです。

 ついては、いま岩国飛行場の沖合い展開事業が進行しておりますが、並行して進められる海上自衛隊岩国航空基地の格納庫移転による廃材を活用されるようお薦めいたします。

 例えば、戦時中建設の第1格納庫です。床や壁は修理を重ねているものの、鉄骨はまだ十分に使用可能のようにお見受けします。これを鹿屋に運んで上屋に組み立てるというようなことは考えられないでしょうか。

 1格の広さなら二式大艇はもちろんR4D-6QやP2V-7も同時に格納できるかもしれません。

 沖合い展開事業の完成は4年後と予想されております。時間もありますので予算措置を含め十分にご検討くださるよう希望いたします。

                       2004/01/07 インターネット航空雑誌ヒコーキ雲制作者 佐伯邦昭
 

 

9 海上自衛隊鹿屋航空基地史料館屋外に展示開始8

撮影2004/05/03 G7 




 

撮影2004/08 HAWK

    

 

撮影2004/12/06 佐伯邦昭 (方向舵を仮固定)

     


 

10 2005年の状況10-1

撮影2005/10/27  永野修一 (方向舵を固定)

 

 
 

 

11 二式大艇返還に関わった者の感想 11

2007/05/13 鈴木紳吾

 ネット上にて、二式大艇展示写真(画像)から逆に追って「ヒコーキ雲」に至りました。小生はかつてこの二式大艇を日本に返還してもらう運動で米海軍との交渉を担当していたものです。10

 先日、ネット仲間の掲示板に台湾在住の方から「船の科学館から二式大艇が消えているが、どうしたのだろうか」という書込みがあって、小生も返還から30年近い時間が経って現在はどうなっているのがが知りたくなりました。

 この機体はご存知のように米海軍ノーフォーク基地に長く保存されていたものですが、置き場所や保存費用などの問題からスクラップにすると いう話が出て、それを伝え聞いた飛行機好きの岡部冬彦先生(漫画家)や斉藤茂太先生(精神科医)が中心になって 、若手では私と同年で電通出身の友人が国内広報を担当し、私がアメリカ側との交渉に当りました。

  募金運動などいろいろ曲折があった末に当時 の日本船舶振興会笹川良一会長によって返還が実現し、船の科学館での展示に至りました。 

 2003年末に日本財団から海自鹿屋基地に機体が移譲された時に、かつて返還運動に関わった者として同基地に書面でご挨拶を送ったのですが 、格別お返事はありませんでした。

 機体の現状について同基地のサイトを見たところ、最終の更新が何年前だったのかというお粗末な代物で 、二式大艇など何処にも見当たらない。こんなものならば作らない方がいいでしょう。

 海上自衛隊は、博物館運営が本務ではないと言えばそれまでですが、現存する数少ない戦時中の機体は、当時の人たちの敢闘を偲ぶ最大のよすがであると同時に当時の日本の航空技術の最高水準を今に伝える貴重な文化遺産でもあるのです。これらへの理解があれば彼等の対応はもっと違ったものがあるのではないかと思います。

 ヒコーキ雲に防衛庁長官に宛てた保存に関する意見具申書がありますが、これに対する反応はありましたか?
 (佐伯注 : のとおり防衛庁長官のほか防衛施設庁長官へ も送りましたが、2007/05/12現在返事は来ていません。)

 私もこのような貴重な遺産の野外展示には反対です。可能な限り後世へ遺す最善の手段をとってほしいものです。

 あれから30年近く経って返還運動をした仲間たちの多くは鬼籍に入られています。そうした方々の為にもこの機体が何時までも健全な姿であって欲しいし、またそうしてもらえれば 、彼らもきっと自分たちがしたことは決して無駄ではなかったのだと喜んでくれることと思います。

 


 

12 2010年の状況 12

撮影2010/06/13 元村博之

    
    

 

館内の説明パネル展示 (撮影許可済み)
 

 

 13 2013年の状況 13

撮影2013/11/04 高田

 11月4日に鹿屋へ行ってきました。2式大艇も楽しみにしておりましたが塗装作業の最中で、十分見られなかったのは残念でした。館員の方に聞いたところ、3年ごとに塗装している由でした。
 屋根を付ける話は出ても司令が変わるため引き継がれず、今に至っているというような話でした。他の展示機も手入れはそれなりにやられているようですが、やはり劣化は争えません。
兎に角どこにでもいいので大型機も屋内展示できる施設が欲しいものです。屋内展示の零戦は丁寧に復元されているのは嬉しく思いました。これも愛情と手間、金の問題かと感じた次第です。
 

再び上屋を要望する 

・ にばさんからメール

二式大艇の保存の話ですが、世界に一機しかないまさに技術の世界遺産と言うべき日本が誇る飛行艇の保存は是非屋内に入れるべきです。

 米軍が米国に持ち帰った日本機で唯一モスボールで包み、エアコンで機内を乾燥させてまで海軍のノーフォーク基地に保存したのは、それなりの価値のある世界一の性能を誇る飛行艇だった証明です。

 日本でも技術遺産に指定して必要なら、メーカー、エアライン、航空雑誌、自衛隊員や一般からも有志を募り、募金活動を行っては如何でしょう。年金生活者の身ではありますが、小生も心ばかりの募金を考えています。

 現在の世界で比べるものがない性能を誇る、US−2は正に二式大艇のバージョンアップではないでしょうか。

 戦争に使われたものはすべて悪だという風潮が最近少し薄らいできましたが、技術は技術です。スバル360やパブリカ、新幹線などは航空技術者が開発に大いに貢献している事実にしっかり目を向けるべきでしょう。ヒコーキ雲がその旗振役になっていただけないでしょうか。位

佐伯から : 2004年に関係長官へ要望書を送ったことは上記8のとおりです。その意思は全く変わっていませんし、旗振役になることにやぶさかではありません。募金活動で機運を盛り上げることも必要ですが、まずは政府と新明和工業にその気になって貰うことが必要でしょう。皆さんから、総理大臣、防衛大臣、内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策、科学技術政策、宇宙政策)、石破自民党幹事長や新明和工業役員や航空でメシを食っているジャーナリスト達にメールや手紙をどんどん送りつけようじゃありませんか。

 その際に、インターネット航空雑誌ヒコーキ雲のこのページを大いに活用してください。

 

 

解析-