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航空歴史館 掲載2004/07/14
追加2016/12/16

 


龍ヶ崎飛行場で華麗なフライト 撮影にがうり
   

  @ 1978年零戦故郷を飛ぶ実行委員会のプロモートによる飛行記録
         
チノでの整備  チノでの初飛行 横浜港到着 迷彩 プレス公開  桶川飛行場 木更津駐屯地 
          福井空港 瀬峰(中止) 仙台空港 
瀬峰飛行場 浜松基地 大村航空基地 八尾飛行場

  A 1995年レッドバロン社主催によるショーの記録  
         
第1回龍ヶ崎 花巻で給油 北海道豊頃飛行場 鹿部飛行場 第2回龍ヶ崎  

  B 2012年所沢航空発祥記念館に展示  
         
里帰りと展示に協力した中村泰三さんの映像 零戦解体(分解)見学会  
九八式射爆照準器 の実際



@ 零戦故郷を飛ぶ実行委員会のプロモートによる飛行記録

    

前史
1944/03 日本海軍第261航空隊サイパン島アスリート飛行場で防空任務につく 61-120所属
1944/06/18 米第165海兵連隊アスリート飛行場を占領 61-120を含む零戦13機を無傷で捕獲
1944/07/12 米空母コパイが捕獲零戦12機と予備エンジンなどを甲板に積み、米本土へ輸送
1944/07/16 コパイがサンディエゴ入港
1944/07/28 61-120 サンディエゴのノースアイランド基地で整備
1944/08/05 61-120 エドワーズ少佐により最初のテスト飛行
1944/08/22 61-120 ワシントン特別区 アナコスティア基地へ空輸
1944/08/22 61-120 メリーランド州パタクセントリバー基地へ飛行 以後テスト飛行
1944/10/18 61-120 チャールス リンドバーグ氏搭乗テスト飛行
1944/11/16 61-120 テスト終了 アナコスティア基地へ空輸
1945/01/11 61-120 ノースアイランド基地へ空輸
1945/09/30 61-120 アラメダ基地へ空輸
1945/10/01 61-120 余剰機となり、シアトル市のエジソンテクニカルスクール(整備士養成学校)へ払い下げ
本史
1955 クレアモント航空博物館(ロサンゼルス郊外)のエド マロニー館長が取得 
1959 航空情報1959年4月号国内ニュース


                
1973 プレーンズ オブ フエーム航空博物館で復元修復作業開始  エド マロニー氏 ドンランキンス氏が作業 (黄色塗装)
1977/12 栄エンジン試運転
1978/04 加藤博明氏が渡米し、譲渡を求めたが拒否され、リース契約で妥結 日本側契約者は零戦故郷を飛ぶ実行委員会 チノ1

              加藤、マロニー ランキンスの諸氏
             

 


黄色塗装 
1978/06/28 チノで初飛行 現地時間午後2時41分テイクオフ 加藤博明氏がP51ムスタングで随伴飛行


  米耐空証明取得 EXPERIMENTAL(実験用) 登録記号N46770 (迷彩塗装)
1978/07/10 ロングビーチ空港へ空輸
1978/07/12 サンペドロ港から日産自動車運搬船ローレル号で日本へ向け移送
1978/07/24 横浜港へ 到着  横浜
          
          
1978/07/25 はしけに積み替え




 
1978/07/26 木更津飛行場へ陸揚げ 整備 飛行

塗装変更の前   撮影 YS45
  迷彩から濃緑色と明灰白色に塗り直し 
1978/08/10 木更津基地で試験飛行  操縦ドン ランキンス、ヒントン、マロニー 各45分 計2時間15分
1978/08/12 木更津基地で航空局検査飛行 渡木検査官 合格、

プレス公開 プレス公開

撮影YS45

















 試験飛行 

 
1978/08/14 航空局空検第520号
1978/08/14 木更津基地→厚木基地
1978/08/15 厚木基地で戦没者慰霊祭に参加 慰霊飛行
1978/08/22 木更津基地→桶川飛行場
1978/08/23〜27 桶川飛行場で一般有料公開飛行 大人1000円827桶川
1978年8月 航空ショーパンフレット  提供阿施光南  

 黄色は、チノの初飛行時の防錆塗装です。

桶川飛行場展示飛行 

 撮影1978/08  櫻井 薫


撮影1978/08/27  にがうり




1978/08/27 桶川飛行場→木更津基地
1978/10/15 木更津航空祭 展示飛行
1978年10月 陸上自衛隊木更津駐屯地航空祭   木更津1015

 この日は、パイロットミスで右脚を収納せず、あまりいい飛行は見られませんでした。ただし、着陸は左脚もでて特に問題なく行われました。(geta-o)

撮影1978/10/15 木更津航空祭 geta-o


右脚が収納できないままに飛行



左脚も出て無事着陸

  零戦の脚の収納は、レバーを2回引くのだそうですが、1回しか引かなかったので、本人が気付かないまま右脚出しっ放しで飛行を続けました。ドン ランキンス操縦士は「どうりでロールする時に少しグラグラしていた。でも零戦は性能がいいから平気だった」ということです。(零戦故郷を飛ぶ実行委員会公式記録より)

 

 これは3ヵ月後の大村の写真ですが、脚が下がっていれば、⇒のように指示棒がちゃんと飛び出ています。

〇 零式艦上戦闘機の主脚収納の確認について  にがうり

 佐伯さんの説明を補足します。「レバーを2回引く」の意味は「上げ」と「中立」に戻す2回の操作ことでしょう。
 脚レバーは「上げ」、「中立」、「下げ」の3位置があり、離陸後「上げ」で脚が上がり主翼上面の脚指示棒が引っ込んだら脚レバーを「中立」にする必要があります。

 また、零戦には、主翼の指示棒だけでなく、脚位置の表示ランプ(主脚・尾輪標示燈)もありました。
 


1978/10/23 木更津基地-土浦-木更津基地 霞ヶ浦慰霊飛行
1978/10/28 飛べゼロ戦 東北航空ショー 雨のため延期 瀬峰1
1978/10/29 飛べゼロ戦 東北航空ショー 雨のため延期 11/11

提供 T67M


1978/11/01 木更津基地→福井空港
1978/11/03〜04 福井空港 大航空ショー  福井
1978年11月 福井空港 飛べ零戦 大航空ショー

撮影1978/11/03 KUPANBA


撮影1978/11/03 大藪勝良


撮影KUPANBA



撮影KUPANBA



撮影KUPANBA



撮影1978/11/03 大藪勝良


撮影大藪勝良


撮影大藪勝良

パンフレット  提供KUPANBA

  

1978/11/05 福井空港→木更津基地
1978/11/09 9:51木更津基地離陸→いわき市上空→12:00 仙台空港着陸   仙台
1978年11月9日 仙台空港でローパス後着陸

撮影1978/11/09 T67M


1978/11/09 仙台から塩釜-石巻-気仙沼-一関-盛岡慰霊訪問飛行
1978/11/10 9:00仙台空港離陸後、エンジントラブルのため引き返し、瀬峰 でのショーを中止瀬峰
1978/11/11

9:00仙台空港離陸→福島県内慰霊飛行→仙台空港で給油
15時から瀬峰の東北航空ショーに展示飛行 着陸せず   
滑走路脇の特別取材区域の入場料2500円のうち1000円返還
実行委員会資料では仙台空港→福島→仙台空港 展示飛行

1978/11/12

仙台遊説中の零戦故郷を飛ぶ実行委員会名誉会長の福田総理を空から激励
14:10 瀬峰場外離着陸場上空に飛来、35分間にわたりデモフライト
滑走路脇の特別取材区域の入場料2500円支払者に仙台空港での撮影を斡旋

1978年11月11、12日  飛べゼロ戦 東北航空ショー  瀬峰場外離着陸場観衆と零戦

撮影1978/11/11〜12 T67M 





 

撮影1978/11/11  伊藤憲一(8ミリフィルムから)

 

1978/11/13

仙台空港で撮影会(実施されたかどうか不明)
東北航空ショー主催の伊豆沼フライイング協会が支払った零戦出演料500万円
他に伊豆沼フライイング協会は零戦のために瀬峰の滑走路500mを600mに延長していた

1978/11/14 仙台空港→木更津基地
1978/11/23 木更津基地→浜松基地 浜松慰霊飛行
1978年11月 浜松基地 撮影1978/11/23  

撮影西山


撮影チャーリーマイク



撮影西山


撮影西山


撮影西山

1978/11/23 浜松基地→静浜基地 静浜慰霊飛行  静浜基地→木更津基地
1978/11/28 富山周辺飛行
1979/01/09 木更津基地→南紀白浜空港
1979/01/10 南紀白浜空港→(大分-久留米)→大村空港 長崎周辺慰霊飛行
1979/01/13〜14 大村空港 佐世保-佐賀-大牟田-熊本-島原-諫早 展示飛行
1979年1月 大村航空基地  大村

撮影1979/01/15 DOC.K  向こうが大村湾です

1979/01/15 大村空港→(福岡-北九州-岡山)→八尾 飛行場
1979年1月 八尾飛行場 撮影1979/01/15    八尾

  ゼロ戦大阪八尾空港に迎える パンフレット 撮影TYOBITA

歓迎式典会場まで移動 撮影TYOBITA

歓迎式典 撮影TYOBITA 

歓迎式典 撮影TYOBITA 

給油 撮影TYOBITA 

エンジン整備

乗り込み



撮影横山幸正 提供関西航空史料研究会


撮影池永博之 JAHS会報 CONTRAIL No98から

 

1979/01/15  慰霊飛行 八尾飛行場→(香良洲 三重海軍航空隊跡)→木更津基地
     総飛行時間51時間30分
1979/02/10 木更津基地からはしけで横浜港へ運送
1979/02/12 山下汽船加州丸でロサンゼルスへ運送
1979/03/01 ロサンゼルスでエドマロニー氏へ引き渡し

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A レッドバロン社主催によるショーの記録

    

1995/03/20 零戦とムスタングを乗せたアリゲーター トライアンフ号がロサンゼルス港を出航
1995/04/02 アリゲーター トライアンフ号が東京港大井埠頭に入港 茨城県龍ヶ崎飛行場へ運搬
1995/04/11 コンテナから取り出して組立開始
1995/04/17 タキシングテスト プレス公開
1995/04/27 飛行許可
1995/05/03〜05 龍ヶ崎飛行場 第1回レッドバロンエアショーで展示飛行 (観衆50,579人)  RED1
第1回レッドバロンエアショーの入場券と上野健久さんのピッツS-2 

1995/05/03〜05 Ogurenko


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第1回レッドバロンエアショー

撮影1995/05  にがうり



1995/07/16 龍ヶ崎飛行場 ラジコンショーで展示飛行 

(ライト航空商会がラブウル帰りの零戦部品の展示販売を同時開催 茨城県A3013参照)
1995/07/21 龍ヶ崎飛行場→花巻空港給油→帯広空港   花巻
花巻空港で給油   

 急遽、インスタントカメラを買って写しました。給油は1時間ほどで終わり離陸していきました。やはり、P-51ムスタングが一世代先をいっているなあという感じを受けたものです。(T67M)
撮影1995/07/21 T67M


   
 

1995/07/22〜23 北海道豊頃飛行場 豊頃航空ショーで展示飛行 
豊頃航空ショー   豊頃

撮影1995/07/23 CTSsuga


1995/07/29〜30 北海道鹿部飛行場 鹿部航空ショーで展示飛行   鹿部
鹿部航空ショー

 零戦とムスタングが、頂上の爆裂口が異様な山容の北海道駒ヶ岳上空を飛んでいる写真です。撮影場所は鹿部漁港防波堤です。

撮影1995/07/30 守屋憲治

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1995/08/05〜06 龍ヶ崎飛行場 第2回エアショーで展示飛行 (観衆18,000人)  RED2
第2回レッドバロンエアショー

撮影1995/05  伊藤憲一



  ムスタングはこの後直ちにアメリカへ送付
  零戦の米帰国までの状況は不明
  以上 1995/10発行 航空ファンイラストレイテッド84 日本の空を飛んだ「零戦」記事から抄録

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B 2012年所沢航空発祥記念館に展示   3

里帰りと展示に協力した中村泰三さんの映像

發動機覆い


發動機覆い上


發動機覆い側面



カウルフラップ閉

原田要氏エナーシャ始動

中村泰三さんの考証による機器の追加や変更

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撮影2012/12/13 にがうり  



撮影2013/05/28 佐伯邦昭   設計図や機銃など展示品が増えている 





 

       撮影2013/05/28 にがうり
      

撮影2013/05/28 佐伯邦昭

撮影2013/05/28 佐伯邦昭
          


  

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2013年 零戦解体(分解)見学会    解体

撮影2013/09/01 西山




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九八式射爆照準器の実際   九八式射爆照準器
        

                  撮影2013/05/28 佐伯邦昭

        

        
ガラスケースにレンズを密着させて撮影
        

     
       照準環が明瞭に見える A6M232さん撮影 
零戦談話室から転載
     

           

 〇 九八式射爆照準器一型の距離判定表 にゃんきち 零戦談話室から転載





注 「翼長並ニ飛行機長ニ寄ル射撃距離判定表」のオリジナルは”スーパーマリン スピットファイア!”
でスケーリングされています。モチロン、スピットは全長9.12m、全幅11.23mですから、F6Fは、その分、
レティクルから延伸して作成しています。

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解析