日本におけるダグラスDC-3 1951年以降の歴史全目次tTOP

      

個別機体解説 JA5078  高度経済成長期を生きた飛行機

   

JA5078の製造番号・形式・主な経歴
形式 c/n 6173   C-47-DL → DC3C-S1C3G
1943/1/1 USAAF 41-38714
194*/*/* N50320
1947/*/* AVangard Airlines N9196Z
11951/*/* Lansa/Avianca 
 

 1960年7月に登場した池田内閣は所得倍増政策を発表し、日本経済は未曾有の高度成長期に入ります。 航空業界においても旅客運送はもとより、貨物の取り扱いも年々倍倍増の盛況となり、代理店を通じて集配するいわゆるドア ツー ドアの業務もはじまりました。 貨物輸送の増加に対して日航はDC-4を、全日空はDC-3を専用機として投入します。

 全日空はLANSA航空からJA5078とJA5080を貨物専用機として買い入れるとともに、JA5025を貨物用に改造して3機体制で札幌-東京‐名古屋-大阪-福岡の日本縦断貨物専用ルート(深夜便)を開始しました。

1961/4/24 JA5078登録 全日空貨物機専用機

  キャビンの床にリング状のフックをつけた厚さ30mmくらいの耐水ベニア板を貼り、ロープまたはネットで貨物を固定 するようになっています。窓は遮蔽。その工作は新明和で行ったものと思われます。

新明和興業伊丹工場 撮影碇 紀夫 提供関西航空史料研究会



 新明和興業伊丹工場  撮影荻野 守 提供関西航空史料研究会


撮影1961/11/12 富田 肇 提供飛竜会

撮影ハービー

1963/6/5 大阪空港で接触事故 JA5039の主翼を付け替える
(5039は1963/4/30八丈島でクラッシュ)

  JA5078は1963年6月5日午前0時40分に大阪国際空港で離陸前に突風にあおられてエプロンにいた全日空のダグラスDC-3 JA5027の尾部に主翼 が接触し破壊しました。 深夜のためJA5027は無人であり幸いに人身事故には至りませんでしたが、機材繰りに困った全日空は、1ヶ月前に八丈島空港へ胴体着陸したJA5039から主翼を取り外して大阪へ運び、交換しました。

接触してめくりあがった左主翼先端 大阪国際空港  提供杉山ひろかず (以下同じ)


左のプロペラやカウリング下面にも損傷が見られる 着陸灯のガラスも無いようだ
CIAは伊藤忠航空整備鰍フ社員を示す 同社は全日空DC-3の整備を請け負っていた

尾輪部にも何かが当ったかのような損傷が見られる


相手のJA5027


 

 全日空では、1963年に本件を含めて4件の旅客機事故が発生しました。

1

4月24日 

バイカウント828(JA8208)羽田着陸滑走中 、プロペラ・ピッチをグランド・ファイン(0度)にするレバーを操作するところ脚上げレバーを操作して脚 が上がり胴体着陸

2

4月30日

DC−3(JA5039)八丈空港着陸事故

3

5月10日

DC−3(JA5040)仙台着陸時横風にあおられて滑走路逸脱し吹流しに接触

4

6月5日

本件事故

 「ああ、またか」といった空気が淀んでいたわけではないでしょうが、たまりかねた専務取締役の鳥居清次氏が社内誌にこう書いています。

 1は操作の誤り、2と3は操縦技術の未熟、4は判断の誤りであるが、それは皮相的な見解であって、根本には精神的な”気のゆるみ”があると思われ、何事によらず”気のゆるみ”は事故にとって一番恐ろしいものである。
 
 以後、全日空機に係る事故発生件数は減少しましたし、このJA5078自体が主翼を取り替えて丈夫になったためか、このあと7年間も多用途任務で飛び、退役後は中元商戦の目玉になったりという、まさに高度経済成長期を生き抜いた飛行機として、日本のダグラスDC-3のなかでは異彩を放つことになるのです。

 

1965/8/27 伊藤忠航空輸送  定置場東京国際空港

貨物室内の改造工事中か 大阪国際空港新明和伊丹工場 撮影1965〜66年頃 濱野博司

名古屋空港 撮影1966/03/16 下郷松郎


 


乱気流調査

 1967(昭和42)年早々に両側の窓に測定器具を取り付けて、乱気流調査を行ないました。前年の1966(昭和41)年3月5日イギリス海外航空BOACのボーイング707が乱氣流にあって富士山麓に墜落しました。本機はそれに関連して調査を行なったものです。

伊藤忠 撮影1967/01/18 鈴木宣勝 提供飛竜会

空中磁気探査調査

 1967(昭和42)年8月から石油資源開発公団の委託でボルネオのカリマンタン地域での石油資源の探索活動を行いました。この写真は、その試験飛行時のものと思われます。下面に吊った地磁気受感装置は、内部の手動ウインチで45メートルまで伸ばします。後部胴体にGEOLOGICAL SURVEY OF JAPANと記入し、伊藤忠航空のロゴもローマ字に変えました。

 1968〜1969年には通産省工業技術院地質調査所の委託で断層帯などの空中磁気探査を行いました。

東京国際空港 撮影1967/6/14 geta-o


 

求!写真 後部に大阪合同通運所属と記した写真

1969/4/24 中央航空  

 伊藤忠航空輸の次の所有者であるた中央航空が本機をどのように使用したのかはよくわかりません。この写真では伊藤忠のローマ字ロゴを残して、胴体後部のGEOLOGICAL SURVEY OF JAPAN  SUMIKO CONSULTANTSと変えております。

東京国際空港 撮影1969/05/01 杉浦 博

 

 

 

 

 

 

 

 

1970/7/21 抹消登録
1970 東武百貨店のお中元セールで売り出し 小山遊園地が落札

 日本経済の絶頂期1970(昭和45)年夏に東武百貨店は中元商戦目玉として本機をオークションにかけました1回目は500万円が3人、結局610万円まで競り上げた栃木県小山市の小山遊園地が落札しました。写真は小山へ運ぶために解体したところです。

東京国際空港 撮影1970 笹野強一

 

1970 栃木県小山市 小山遊園地に展示

小山遊園地へ展示

 機体を水平におき、貨物ドアのうしろが開けられ、前部荷物ドアのところに人間が降りるドアを特設していまする。胴体の文字はTOBUが消えてAIR TRANSPORTGEOLOGICAL SURVEY OF JAPANが残してありました。

提供:独立行政法人産業総合技術研究所


撮影1981/12/05 にがうり


 

撮影1983/10/28 インプラント



 

1986  1986年4月、防衛博’86が行われた会場の隅にエンジンと翼の一部が置かれていた。ここで解体処分された公算が強い。

防衛博’86会場にて 撮影1986/04 遊佐 豊

 

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