日本におけるダグラスDC-3 1951年以降の歴史全目次t

 

F-3 個別機体解説 JA5019 
             
    全日空定期飛行の最後を飾った長寿

 日ペリの5019か5018のどちらかと思われる 写真に彩色 全日空資料室所有

 

 

 

 

 

 

 



 

  c/n 4247 C-47-DL ⇒ DC3C-S1C3G ⇒ DC3A-S1C3G ⇒ DC3C-S1C3G
 
DC3AとDC3Cの変更は日本航空機全集各年版による
1942/03/19 USAAF 41-7760
1945/10/08 Standerd Airlines N17186
19 Pacific Southwest Aialines
19 Standerd Airmotive
1955/12/13 JA5019登録 日ペリ航空(関谷産業からリース) 定置場東京国際空港
1957/12/01 合併により全日空 
1964/03/15 全日空の定期旅客輸送DC-3として最終飛行 東京〜仙台〜三沢〜札幌を往復
1964/03〜 1965/02/01まで中日本航空 へリース
1965/04/06 伊藤忠航空輸送  定置場東京国際空港
1968/10/15 抹消登録
1968/10/20 水戸偕楽園に展示
1979/ 村井鉄工所が富山県黒部市へ寄贈し宮野運動公園内の児童公園遊戯施設へ展示 
1991/ 児童公園再整備のため解体撤去
全日空

高知空港 撮影1958/04/29 かつお

大分空港 撮影日不祥 門上俊夫

伊藤忠航空輸送

全日空ロゴが消されCIマークが画かれた  撮影1966/11/27 東京国際空港 PAPPY


有馬徹とノーチェクバナ楽団が使用 撮影1966/10/14 飛龍会


 伊藤忠航空の文字が画かれた 1970万博の公式ステッカー 仙台空港 撮影1967/08 T67M


撮影1967/10/28 東京国際空港 飛龍会



はとバスの東京空の遊覧に使用   撮影1967/04/26 東京国際空港 PAPPY

1968/10 茨城県水戸市 水戸偕楽園レイクランド

1974年国土交通省ウエブマッピングシステムより


    

 1968/10/15抹消登録後、特別に許可を取り、水戸偕楽園レイクランドへ展示のため、羽田から脚下げで飛行しました。着陸地は不明です。

 水戸偕楽園レイクランドでは1968/10/20開園と同時に公開しました。機内で映画を上映していました。

 その後、胴体に日立キドカラ―の文字、尾翼に日立のマークを描き、座席を取り払って映画をとりやめ、機首右側に出入口と階段を特設しました。

現役引退後の状況  富山県黒部市宮野運動公園へ展示

 水戸偕楽園から黒部市に移動し、宮野運動公園内の児童公園遊戯施設に展示されました。費用は村井鉄工所の寄付によるものです。 展示の期間は、1979年から1991年まで13年間です。

撮影1991/06/15or22 山本晋介

 1979年から1991年まで13年間展示されました。

 水戸では座席があって映画を上映していましたが、その後取り払われました。床面にビニタイルのようなものが貼られていますが、壁と天井は何故かむきだしです。そのためにフレームとストリンガーの構造がよくわかります。

 

 黒部市での展示後の消息については、栃木県内の河川敷に部品の一部があるという未確認情報もありましたが、既に完全に消失しているものと思われます。

 

                  解 説

1 全日空のDC-3として定期旅客輸送の最期を飾った長寿の名機


 本機は、日ペリ航空が関谷産業からリースしたDC-3の第2号機です。
 1号機のJA5018は比較的短命でしたが、本機は、日ペリ
航空-全日空機として1955(昭和30)年12月から1964(昭和39)年3月まで約 9年間も飛び、同社のDC-3の旅客運送としては最も長い期間の活躍を記録しました。
 
 しかし、いかに名機とはいえレシプロ・尾輪式・無与圧の機体では成長期の航空輸送に耐えられるわけもなく、全日空はDC-3の後継ローカル機としてFokker F-27 Friendshipを選定し、1961(昭和36年)から1964(昭和39)年にかけて全路線がF-27に切り替えられました。

 1964年3月15日、JA5019は胴体にFAREWELL DC-3と記入され、東京〜仙台〜三沢〜札幌を往復し、全日空におけるダグラスDC-3の路線最終フライトを飾りました。

写真は東京国際空港での出発時の模様です。出展:全日空

全日空 河瀬士郎東京運行所長の歓送の辞 総論 D-6 全日空の基礎を築いた参照)
初就航当時の機長とスチュワーデスのお子さん
から最終便の乗務員に花束
  シャンペンで最後の門出を祝う

航空情報誌の記事(転載許可済み)

 

2 伊藤忠で多彩な活躍

 全日空のあとは、1965(昭和40)年2月1日まで中日本航空で短期間使用されましたが、1966(昭和41)年4月6日伊藤忠航空輸送に移籍し、遊覧飛行や貸切飛行に使われました。 遊覧飛行等には、中日本航空から機体と一緒に移籍してきたスチュワーデスが乗務しました。

 伊藤忠での稼動は3年半に及び、漸く1968(昭和43)年10月15日に登録を抹消されましたが、来日以来の現役期間12年10ヵ月は、JA5027についで第2位、その後経歴欄のとおり水戸市と黒部市で展示された期間が23年にも及びますから、日本のダグラスDC−3フアンにとっては最もなじみの深い機体のひとつということになります。

東京のはとバスによる空の遊覧飛行


撮影1967/03
20出展:GETA-O

 

 ノーチェクバーナは、当時の花形のラテン ビッグ バンドでした。
 楽団代表兼指揮者の有馬徹氏(1928-1993)はライセンスをもって自ら飛行機を操縦していました。このDC−3 でも機長席に有馬氏、右席に伊藤忠の正規パイロットが乗って飛行していたそうです。

 
撮影1966/10/14 東京国際空港 出展:飛龍会

 

 1970年万国博覧会の公式ステッカーを貼ったJA5019 

 機首の上にある突起物は、後ろからジャニトロール社製の 石油ストーブ用空気取入口、空気取入を助けるボーテックスジェネレーター、衝突防止灯です。
 上表の全日空時代の大分空港での写真では、ボーテックスジェネレーターと衝突防止灯がありません。

撮影1967/07 大分空港 出展:門上俊夫

 

 胴体は全日空の文字、垂直尾翼にCIマークの時の写真

 胴体は全日空の文字、垂直尾翼にCIマーク 更に後部に農協号と記した時の写真

F-3 完