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航空歴史館 掲載12/01/18
追加16/07/05

 

日本におけるスチンソンL-5の歴史

 

 警察予備隊に供与されたスチンソンL-5の経歴  日本飛行連盟 のJA3168の塗装図挿入
 米軍基地のエアロクラブ所属機  
 44-17869(N9801F JA3186) の個別機体史
 保安隊スチンソンL-5の桜のマークの色をご教示ください
協   力 門上俊夫、株式会社ジャネット航空部岡本博史、高橋 進、高田和彦、戸田保紀、のらひこ、版下屋、宮津厚夫、KUPANBA、Sam Tabel、YS45   (まとめ 佐伯邦昭) 
参考資料 下郷松郎作 国産機プロダクションリスト 、清水郁郎筆 航空ファン2013年5月号、6月号”空夢”記事、世界の航空機、航空情報、日本航空機全集ほか
http://www.accident-report.com/world/asia/japan.html      

 

1 警察予備隊に供与されたスチンソンL-5の経歴  (下郷国産機プロダクションリストほかによる)
         
NPR
 National Police Reserve  警察予備隊
         NSF
  National Safety Forces   保安隊
          
NS
C National Safety Corps        保安隊

航空情報1953年3月号

  形式 警察予備隊 保安隊 陸上自衛隊 用途廃止 備考
1 L-5-VE 1952/07引渡
     (以下同じ)
42-98808
42-98808 W-1002
 
1957 米へ返還、以後不明

W-1002 陸上自衛隊第4管区航空隊 撮影1955/11/01 小月飛行場 門上俊夫 オリーブドラブ色

2 L-5-VE (米軍42-99497)       JA3338 堺滝子1967/08/31〜1970/05/22
3

 

 L-5E-VE 44-17617 44-17617
71
103  ? 1957 米へ返還、以後不明
44-17617 保安隊浜松基地 517617 保安隊マーク 撮影1953/11/30 世界の航空機1954年1月号



保安隊マーク  517617 酣燈社1955年版世界航空機年鑑

 作図 版下屋 【色彩に想像の部分あり】

4

 

L-5E-VE 44-17704 44-17704
NPR75/2
S-1002 1957 米へ返還、以後不明
NPR(警察予備隊)マーク 44-17704 保安隊浜松基地 撮影1953/11/30 世界の航空機1954年1月号

 
5 L-5E-VE 44-17711 44-17711
NPR62
H-1062 1957 米へ返還、以後不明
6 L-5E-VE 44-17725 44-17725
NPR63/73/3
10303
防衛庁技研
1957 米へ返還、以後不明

防衛庁技術研究所 陸自10303 44-17725 酣燈社1957年版世界航空機年鑑

7 L-5E-VE 44-17869 N9801F JA3186 について 下記
8 L-5E-VE 44-17932 44-17932 103  ? 1957 JA3168 日本飛行連盟
1963/09/27 藤沢で墜落


 日本飛行連盟 JA3168 作図 版下屋 【色彩 は殆ど想像 質問箱へ】

9 L-5E-VE 44-18099 44-18099
2
103  ?   N9807F
JA3169 日本飛行連盟
JA3169 日本飛行連盟 撮影1964/06 名古屋空港 高橋 進
10 L-5E-VE 44-18151 44-18151 防衛庁技研 1959 名古屋大学に保管
11 L-5G-VE 45-34364
(写真航空情報14/5)
45-34364
NSF58
10401(推定) 1957 米へ返還、以後不明
供与G型の1号機(推定)

陸上自衛隊第3飛行隊 撮影1958/03/23 航空自衛隊浜松基地 戸田保紀

402

12 L-5G-VE 45-34574 45-34574
NSF
10402(推定)  1957 1957 宝塚交通博に展示
    以後不明
供与G型の2号機(推定)

撮影1957/04〜07 宝塚交通博 宝塚動物園プールに展示  提供 高田和彦・彩雲会



13 L-5G-VE 45-34931 45-34931
NSF
10403(推定) 1957 米へ返還、以後不明

45-34931 保安隊浜松基地  保安隊マーク 撮影1953/11/30 世界の航空機1954年1月号

患者輸送のパネル展開

14 L-5G-VE 45-34974
(写真航空情報14/5)
45-34974
NSF
10404(推定)mm 1957 米へ返還、以後不明
15 L-5G-VE 45-34980 45-34980 10405(推定) 1957 米へ返還、以後不明
16 L-5G-VE 45-34986 45-34986 10406(推定) 1957 米へ返還、以後不明


胴体表示のNSCは謎 45-34986 保安隊浜松基地    航空情報1953年3月号


NSF(保安隊)マーク 45-34986
 保安隊浜松基地 世界の航空機 1953年7月号

17  L-5G-VE 45-34988
(写真航空
ファン)
45-34988
NSF55
10407(推定) 1957 米へ返還、以後不明
 


 作図 版下屋 【色彩に想像の部分あり】

18 L-5G-VE 45-34991 45-34991
NSF57
10408(推定) 1957 米へ返還、以後不明


19 L-5G-VE 45-34996 45-34996
NPR57/58・NSF
10409(推定) 1957 米へ返還、以後不明

NPR(警察予備隊 )マーク 45-34996 保安隊浜松基地 撮影1953/11/30 世界の航空機1954年1月号


 

20 L-5G-VE 45-34997 45-34997
59
10410(推定) 1957 米へ返還、以後不明  20

NPR(警察予備隊)マーク 45-34997 保安隊浜松基地 世界の航空機 1953年7月号

主翼上面の表示 右翼にNPR

21 L-5G-VE 45-35025 45-35025
NSF60
10303
10411(推定)
1957 所沢航空発祥記念館に展示
 

10303   撮影1980/10/10 木更津駐屯地(保管状態の機体を公開) KUPANBA


撮影2016/05/28 所沢航空発祥記念館 佐伯邦昭

その他14機のナンバーは不明です
 
 以下ナンバー不明の写真
 

保安隊浜松基地 ナンバー不詳 保安隊マーク 撮影1953/11/30 世界の航空機1954年1月号

陸上自衛隊 S-1005と読める 鳳文書林1957年版日本飛行機全集

◎ スチんソンL-5のプロペラ

陸上自衛隊北宇都宮駐屯地 撮影2013/05/26 YS45

 

2 米軍基地のエアロクラブ所属機        エアロクラブ

   FAA

門上さんからお知らせ 

 1996年1月FAA発行のUS CIVIL AIRCRAFT REGISTERのL-5関係を抜粋しておきます。米軍の払下は立川だけでないことが分ります。定置場所は全機サンフランシスコになっています。
       

43-73・・・  N9796F 台湾
42-89・・・  N9797F 台湾
42-98806  N9802F 三沢飛行クラブ 
N9802F 三沢エアロクラブ所属 撮影1960年頃の板付基地三軍記念日 提供門上俊夫
42-98119  N9804F 立川飛行クラブ

 N9807F

立川飛行クラブ
N9807F 航空情報1960年5月号読者欄 

N9807F 1963年日本航空学園卒業アルバムから 提供岡本博史

44-17754  N9809F 立川飛行クラブ
44-17862  N9835F 横田飛行クラブ
42-14855   N9836F 韓国へ 出典グリーンアロー出版の”Weapons AD!"
42-98496  N9838F 立川飛行クラブ (1996年版から落ちている)
42-98496 N9838F 立川エアロクラブ所属 
撮影1961/04/02 大分空港 門上俊夫 全体イエローと記憶する


FAAデータ http://registry.faa.gov/aircraftinquiry/NNum_Results.aspx?NNumbertxt=N9838F
44-3322?  N9877F 嘉手納飛行クラブ
44-17669  N9880F 立川飛行クラブ
42-14984  N9881F USAF
44-17672  N9882F 米軍関東司令部
N9882F 撮影1963/09 名古屋空港 高橋 進

N9882F 撮影1963/11/23 調布飛行場 のらひこ   N9882F



N9882F 提供PAPPY     PAPPY

 撮影時期、場所は不明。着陸後に前のめりに転覆したのでしょうか、U.S.AIR FORCEの消防車が消火活動中で背広の二人も大型のカメラでの撮影後の様子でプレス関係でしょうか。



 

42-99241  N9917F Vaugan Emory

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869

3 スチンソンL-5 44-17869 N9801F JA3186の個別機体史


 スチンソンL-5 44-17869 N9801F JA3186の歴史を取り上げるきっかけは、岡本博史さんからきたメールでした。

 私は、現在株式会社ジャネットとという会社に勤務しておりますが、山梨県にあります学校法人日本航空学園のグループ会社です。会社は学園の敷地内にあり、学校の機体を整備したり、運送事業でベル206を運航したり、山梨県の防災ヘリコプターの受託運航をしております。私自身、この日本航空工業高校1977年の卒業生です。
  
今回、連絡を取らせていただいたのは、学園が以前所有していた、スチンソンJA3186 c/44-17869についてなのですが。この機体を米国に輸出いたしまして、現在 Sam Taber氏が所有されております。彼は米国ウイスコンシン州で第次大戦の機体の整備工場を営んでおられ、この機体も復元中で、それに際して、機体の歴史を調べられております。
 もしご存じの事があれば、教えて頂きたいのですが、宜しくお願いします。Taber氏は特に1949-1962の間どのように使用されていたか知りたいそうです。

 これにより、下郷リストなどによる調査結果を「スチンソンL-5の前歴について」 として発表したところ、Taber氏と岡本博史さんの仲立ちをした清水郁郎さんが航空ファンの”空夢”を書くに当たって更に深耕されました。図書室 航空ファン2013年6月号参照

44-17869のヒストリー

1945/05/07 Michigan州、Stinson工場で製造後、受領された
1945/05/11 出荷準備完了
1945/06/26 Army Transport ServiceによりNew York港から搬出
1945/06中旬 Philippineの5th Air Force(第5空軍)に搬入
157th又は158th Liaison Squadron (3rd Air Commando)に配属
1945/12/31 Leyte Taclobanで余剰機として申告
1946/02/28 5th Air Force(第5空軍)のCondemned Inventory(使用凍結保有機)から異動
1946/04/04 調布において事故
1946/08/14 小牧基地においてグランドループ事故
  5th Air Force(第5空軍)、HQ部隊に所属
1947/04 Far East Air Force(極東空軍)、13thAir Rescue Group(13救急隊)所属、立川、木更津で運用
1947/04 Army Field Forces(陸軍)に移管
1950 6月25日に勃発した朝鮮戦争に参加した可能性あり、要調査
1950/08/10 警察予備隊発足 NPR National Police Reserve
1952/07 警察予備隊(NPR)に貸与 浜松飛行場警察予備隊航空学校で使用
尾翼に44-17869、機首に74と記入 
1952/08/01 警察予備隊⇒保安隊(NSF)に名称変更 NSF  National Safty Forces

保安隊浜松基地時代の44-17869 撮影1953/11/30 世界の航空機1954年1月号

左の機体 44-17869 保安隊浜松基地 撮影1953/11/30 世界の航空機1954年1月号

世界の航空機1954年1月号ルポ 
上の写真はこの記事にある草色(オリーブドラブ色?)と黄色の混合塗装と思われる

 

1954/07/01 陸上自衛隊発足 陸自でのナンバーは不明
1957 陸上自衛隊で用途廃止 米軍に返還手続き
1959/11 Japan APO343は5機のL-5をTachikawa Air Base Aero Clubに移管
1960/02/28 N9801F登録、「Tachikawa Aero Club」名義
Airworthiness Certificateが発行されていない(もしくは記録されていない)⇒飛行しなかった可能性がある
1962/12/01 KANTO COMMANDはN9801Fの抹消を申請
1962年末 梅沢学園に移動(理事長は少年時代にアメリカ人が飛んできた・・と記憶する)
ACが発行されていない形跡から、飛行して搬入していない可能性がある
1963/01/02 N9801F抹消
1963/01/20 JA3186登録、梅沢学園名義 定置場山梨県の梅沢学園飛行場
1964/06 梅沢学園は日本航空学園に名称変更

撮影1972年ごろ 山梨県日本航空学園 宮津厚夫

2006/12/15 JA3186抹消登録
2007 一時期、TX州、Commemorative Air Forceが保有(輸入以降の経過は調査を要す)
前所有者は、胴体のフレームをサンドブラスト・塗装した
2009/07/19 Sam Taberがebayにて落札

タベール氏宅で保管中 撮影清水郁郎 

参考 航空ファン2013年6月号 清水郁郎筆 空夢 の関係部分 (転載許可済み)


立川エアロクラブの塗装

 三題噺めいた状況証拠の結論にすぎませんが、1962年末に梅沢学園へ来た時、すなわち立川エアロクラブの塗装は、本欄に掲げる3枚の写真をクローズアップしてみると、
・ 立川ACの垂直尾翼の表示Aが学園時代と似ている
・ Tabel氏夫妻が持っているパネルの表示Bが学園で書かれたものと同じ
であることから、立川エアロクラブN9801Fは、全体が黄色の塗装で梅沢学園へ引き渡され、後に、学園の実習で胴体下半分が赤色系に塗られ、日本航空大学校と高工の文字が画きいれられたものと推定されます。


Sam Tabel氏夫妻と、復元したL-5 298316

 My 1943 Stinson L-5 is N64669. USAAF Serial Number 42-98391. It is Stinson factory serial number 76-560. (76= Stinson Model Number. 560 = the 560th airplane built. )
 This L-5 was serving in US in Texas during WWII. It later was in the Movie "Catch 22" in 1970.
 
 Catch 22という映画は、
YouTubeで見ると爆撃隊の基地の狂気を描いたもののようで、やたらにcrazyという言葉が出てきて、しかもノースアメリカンB-25爆撃機がそのcrazyの片棒を担いでいます。L-5のシーンは見えませんが、この写真の塗装で登場しているのでしょうね。

 なお、Taberさんは立川にあったL-5 N9801Fの製造番号をFAAに文書照会しており、復元後は再びN9801Fで登録したい意向です。L-5の原型のModel 105 Voyagerを設計したエディ スチンソン(1939年に飛行機事故で死亡)も喜んでいるのではないでしょうか。

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日替わりメモ2014/04/01

〇  スチンソンL-5 調布飛行場で写した米軍払下Nナンバー機の写真を追加

 1960年頃に立川や三沢の飛行クラブが払い下げのスチンソンL-5にNナンバーを登録して遊んでいた写真にまたひとつ明瞭なショットが加わりました。

 ところで、航空情報の自衛隊機列伝No.54(5月号)に『スチンソンL-5A/B/C/E/G』が載りました。7枚の写真の中に、当方が未だ入手していない417617、534974、534988の写真があります。
 欲しいなあ! とにかく、分らないことだらけの警察予備隊→保安隊→陸上自衛隊のスチンソンですから、遺されている写真から虫眼鏡でシリアルを見付けて繋ぎ合わせていくしか歴史記述の方法がないからです。酣燈社所有のものなら使わせてくれないかなあ、頼んでみよう!

 とお願いをしておいて、この記事を批判をするのは心苦しいのですが、少々我慢できない部分もあります。

・ 疑問 表題を堂々と『スチンソンL-5A/B/C/E/G』としているのなら、5種類のタイプを写真付きで説明すべきです。航空ファンの自衛隊機オールカタログ(1999年)に陸自がA/B/Cについても固有ナンバーを付けたように書いてあるのを孫引きしたらしいですが、A/B/C各型が供与された証拠を示してほしいです。

・ 欲求不満1 L-5の練習機としての活躍は警察予備隊→保安隊時代であって、陸自では名機セスナL-19の導入で影が薄くなっています。さすれば、警察予備隊のNPRマーク、保安隊のNSFマーク、同桜のマーク付きの写真を網羅してこそ自衛隊機列伝にふさわしい記事になるのですがねえ!

航空情報1957年5月号

・ 欲求不満2 その中でNSFマークの写真はあるのです。ただ、1機だけNSCと書いた機体がみえます。このNSCの「C」が何を意味するのか、ヒコーキ雲でも分っていません。列伝さん教えてくれませんか? 
    
NPR National Police Reserve  警察予備隊
     NSF  National Safty Forces    保安隊
     
NS
C National Safty ?       保安隊

・ 欲求不満3 「退役後、木更津駐屯地で展示されていた」とありますが、ゲートガード的に露天に置いてあったのではなく、基地開放の時だけ格納庫から出されたものであり、露天のために痛んだかのような印象で「胴体後部から司直尾翼にかけて応急に復旧された跡がかすかに見える」と書いていますが、羽布の破れは雨露によるものではないですね。
 応急修理跡というのがモノクロ写真では判然としませんので、1980年にKUPANBAさんが木更津で写したものを参考までに出しておきます。

・ 欲求不満4 「この機体は、現在所沢の航空発祥記念館で大切に保管されている」と書いていますが、他の機体と共に天上からぶら下げてあるのが「大切」なのかね? 博物館なら全収納物を「大切」に保管するのではありませんか?

 ほかにもありますが、このあたりでやめておきます。少ないページで思うように紹介できない列伝さんの悩みはよく分っているつもりです。しかし、貴重な歴史写真を扱う以上は、厳重な考証と幅広い調査、推敲を重ねた穴のない文章記述にしてもらいたいと願っての批判ですからお許しください。

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4
質問箱029 質問16/06/09
回答16/06/1
2

 

保安隊スチンソンL-5の桜のマークの色をご教示ください

版下屋

  

 1953年に保安隊に供与されたスチンソンL-5がNPRNational Police Reserve 警察予備隊)、         NSF National Safty Forces 保安隊)の文字を消して桜のマークを描きいれましたが、その色をご教示ください。          

世界の航空機1954年1月号ルポ 


L-5E-VE 44-17617
 保安隊浜松基地 517617 撮影1953/11/30 世界の航空機1954年1月号
 
参照 
日本におけるスチンソンL-5の歴史

L-21の場合
酣燈社 写真集自衛隊の航空機(1969刊)

 

 回答1 全国ソリッドモデル連合会BBS放談広場から転記

 上記に佐伯から投稿した質問と、それに対する反応です。

保安隊の桜のマークの色 佐伯 [2016/06/09,07:11:41] No.908

 インターネット航空雑誌ヒコーキ雲の佐伯です。保安隊時代の桜のマークの色について質問がありました。広く模型を作っておられる皆さんの中に資料などお持ちの方、いませんか。

 

無題 超老 [2016/06/09,12:10:13] No.909   (写真のみで本文はありません)


     

保安隊 名前: 佐伯 [2016/06/09,18:46:26] No.910

おお! 超老さんの作品ですか。L-21の見事な姿ですね。桜のマークはピンクに赤の縁取りと見ますが、確かでしょうか。

初めて拝見しました 名前 ANJIN [2016/06/09,19:18:07] No.911

まるで、MXY-7桜花に描かれていたマークと同一ですね、不思議な気持ちになりました。作品は、素晴らしいですね。大変参考になります

 

回答2 2016/06/10 田中昭則さんから

 手持ちの資料を漁ってみましたが、残念ながらカラー写真は発見できず、モノクロ写真からの推測になりますが、とりあえず私の意見を述べてみます。

 保安隊マークの塗色は、私も赤い縁取りにピンクではないかと思います。根拠としては、黒で記入されているシリアルナンバーと比較して、縁取りの方が明らかに明度が高いので、黒ではないと断言できます。桜の花弁の塗色は、どうも「白」よりも明度は低いように見えます。まさか桜の花を灰色で描く日本人はいないでしょうから、やはりピンクではないかと思われます。参考までに米軍撮影の「桜花」のモノクロ写真と比較してみましたが、「桜花」の桜マークよりは明るい色で、ピンク、というよりは「桜色」という感じの淡いピンクの様にも見えますね。

 以上、私なりに推測してみました。参考になれば幸いです。


参考
入間基地修武台記念館の桜花 撮影2004/11/03 
ogurenko

 

 回答 3 2016/06/12 YS45さんから

 保安隊の桜マクで覚えている方から証言がいただけました。北海道で実際に整備をされていた福島在住の方からのお話しです。桜はピンクに赤縁で塗られていたそうです。また主翼に関しましては、上下日の丸を塗ってあったそうです。貴重な生のお声が得られて良かったです。

編集者から : これで決定しましたが、ピンクは、桜の中で最も普遍的なソメイ吉野の花びらの色と考えていいのではないでしょうか。