伝説の時代から現代まで 航空史抜き書き

 

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航空歴史館 掲載10/03/16
追加10/03/
27

  
   
質問 JT001の日航ビーチクラフトH-18?

 

追加 JT002も居ました 飛行浪人

 

JT001の日航ビーチクラフトH-18? PAPPY

 
 
写真はJALの訓練機のビーチクラフトH-18尾輪式と思いますが,"JA"ではなく"JT"なのです。
”日本たばこ産業”でもないしJAL TRAINERの略で"JT"かなと思いを巡らしています。

 これって何? 教えて下さい。時期ははっきりしませんが1970年代前半の羽田整備場裏手での撮影です。
 


日替わりメモ20100316番

○ 日本たばこ産業の練習機‥

 というのは冗談ですが、JAPAN AIR LINESの尾輪式ビーチクラフトH-18スーパービーチと思われる航空機の記号が何と JT001です。

 羽田の整備地区に置かれ、その向うにボーイング747がおります。
 日航訓練機としてのビーチクラフトH-18は、1967年から13機購入され、10年後の1976年までに1機クラッシュで残り全機が売却されています。また、日航のボーイング747の登録は1970年4月から始まっていますので、この写真の撮影時期は、1970〜1976年の間です。PAPPYさんも1970年代前半に写したと記憶しているので一致します。

 さて、ジャパン タバコならぬJTナンバーは誰がどうして付けたのでしょうか。尾翼部分には包装材のようなカバーが掛けられていますが、調布の伊藤忠整備からわざわざ陸送してきたとも思えないし、これからライン整備をして仙台の乗員訓練所までフェリーするにしても、このナンバーで航空局が許可するのかどうか、あるいは映画撮影用にナンバーを書き替えたのか、???? 疑問符だらけです。

 その道の権威者、藤原洋さんも見たことがないと首をひねっています。心当たりのある方の正解がほしいし、知らない人もいろいろ推理をしてみてください。

 歴史的な大記録写真となる可能性なきにしもあらず!


2010/03/18 その機体は河口湖自動車博物館にあります  佐伯邦昭

 或る方から連絡を受けて、河口湖自動車博物館で撮った写真を調べてみました。ありました。また、航空史探検博物館にも2004、2007、2009の各年の記録にも掲載しています。A3901参照 (いずれも館外のF86とT33の並びに置いてあり、撮影可でした)

撮影2007/08/30 佐伯邦昭
 

コックピット計器盤からは、ラジオコールナンバーなどは見られなかった

 日本航空のビーチクラフトH-18の登録抹消日と売却後のナンバーは下記(Civil Markings of Japan 1978版)のとおりで、この表から見る限りでは日本国内に残された機体はありません。

登録記号 抹消日  売却先での記号
JA5136 1974/04/74 N35AP
JA5137 1967/10/18 1967/10/05 山形県で墜落廃棄
JA5138 1974/04/09 N34AP
JA5139 1974/08/74 PK-BIF
JA5140 1974/02/18 N33AP
JA5141 1974/02/05 F-OCUU
JA5142 1974/06/12 N18843
JA5143 1976/04/14 N2990F
JA5144 1976/08/23 N26035
JA5145 1973/10/25 N28353
JA5147 1976/02/26 N99799
JA5148 1976/02/26 N99800
JA5149 1976/02/26 N99801

 羽田整備場で写された機体と河口湖自動車博物館の機体 では、胴体帯とJT001の書き方が違っていますす。


日替わりメモ20100319

藤原洋さんから、JALアーカイブスからの答えとして第一報が届きました。要旨は次のとおりです。

1960年代のジェット時代を迎えてJALは羽田に乗員訓練所と整備訓練所を設け、この機体は整備訓練所の初歩技能訓練用に使ったビーチクラフトD-18と思われる。訓練は、塗装、配線、動翼着脱などが行われた模様で、写真は第2機体工場をバックに第2整備工場の軒下から写したもので、時期は1972年2月〜6月ではないかと思われる。

  藤原洋さんとJALアーカイブスの吉田仠さんにお礼を申し上げ、かつより詳しい第二報をお待ちします。映画撮影用とか何とかではなく、日本航空そのものが地上訓練機材として使ったものでした。昨日、取り上げた河口湖自動車博物館の写真とよく見較べてみると、胴体ラインなどが違いますので、とすると、日航が最初に入れたビーチクラフトAT-11(JA5101 タイへ売却) D-18(JA5102 航大へ売却) D-18(JA5103 伊藤忠へ売却)の3機のうち、2機を登録抹消後に買い戻し、訓練でJAPAN AIR LINES JT001などと書き入れたものでしょう。

 そう言えば、JALのビーチクラフトH-18は、前輪式でありました。またもや不明をお詫びしなければなりませんが、いずれにしても胸の支えがかなり降りたことは確かです。ありがとうございました。


日替わりメモ20100320

PAPPYさんからメール

 佐伯さん、お忙しいのにいろいろご尽力頂き感謝しています。流石、インターネット航空雑誌ヒコーキ雲の威力はすごいですね。2〜3日でこれだけの情報が集まってくるとは、河口湖には驚きました。 

 整備用訓練機ならばJT-001で問題なく納得しました。長年の疑問が解消しすっきりしました。
 藤原洋様とアーカイブスの吉田仠様にもお礼を申し上げます。また第2報があればよろしくお願いいたします。

 あの頃は、整備訓練所のことは知りませんでしたが、羽田のターミナルで撮影してもフィルムを56枚残し帰りがけに整備場裏手に寄っていました。ここには保安庁機や、新聞社の機体や、民航機が駐機しており、たまには珍しい機体があったりします。当時はフェンスもなくセキュリティも甘く黄色のCABのパトロールがいなければ誰何されることもなく写真が撮れる良き時代でした。

佐伯から : 羽田の写真と河口湖の機体が別物なのか、訓練で塗装を替えた同一機体か、そもそも、何社の飛行機だったのかがまだわかりませんが、機材と路線が急速に拡大しつつあった時代に、技術者養成の踏み台となって貢献したものであることは確かになりました。その意味で、この写真に歴史的な価値があります。
 PAPPYさん、残したフィルムで写した整備場の写真というのにも食指が動きます。他の機体も公開してください。

002

JT002も居ました 飛行浪人

 

 JTナンバーのビーチH-18ですが、私はJT002を撮影していました。塗装は初代日航のでした。
 時期ははっきりしませんが1980年頃、大阪の千里中央でのジャンク市会場でした。

以下 クローズアップ

日替わりメモ20100327

○ JT002も居ました

 JT001の正体が判明しましたら、またまた驚くべき写真が届きました。大阪千里中央でビーチクラフト18のC又はD型が分解されて丸ごとジャンク市にかけられております。その右主翼と胴体に残るナンバーがJT002です。JT001の写真に見られる左翼のJALと胴体のJAPAN AIR LINESなる文字はありません。

 千里中央という場所から推察するに、大阪国際空港内にも日航の整備訓練所があってこのビーチ機を地上訓練機材とし、その用済み後に誰かが大ジャンク市を企画したものでしょう。その際に、いくらなんでもJALのロゴは消してくれという指示があったのだと思います。

 1機まるごと分解し、それを並べて販売するという、近頃はやりのマグロの解体ショーを連想するような写真を見ながら、儲かるとの成算があってのことなのか、利潤度外視の宣伝目的なのかさまざまな思いがわいて来ると同時に、マニアとしてはこの可哀そうな航空機の本来の所属やナンバーを知って線香の1本でも手向けてやりたい気になります。日本航空の整備OBさんからの連絡を待ちたいです。

 もうひとつ、ジャンク市に来ている人々の手に写真機が見えないのが注目です。今時こんなことをすれば、ご婦人がたまでが携帯やデジカメを向けますが、1980年頃では、ジャンク品のためにフィルムを使うなどもってのほかということだったのでしょう。それだけに飛行浪人さんの撮影は、世相とこのビーチ機の末路を伝えるたいせつな記録となりました。ありがとうございました。

 

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