伝説の時代から現代まで 航空史抜き書き

航空歴史館 掲載08/01/13
追加08/03/02
      

 

質問 戦時中の雪橇と思われますが?

 


かかみがはら航空宇宙科学博物館・支援ボランティア小山さんから質問


 かかみがはら航空宇宙科学博物館の収蔵史料の整理を手伝ったのですが、その際に戦時中に製作されたと思われる雪橇が出てきました。(まだ公開展示はされておらず、展示予定も未定です)
 寄贈者の方も人から譲り受けたものということで素性が判らないとのこと、何の機種に付いていたものなのか、また製造会社や製造年月日も銘板が損傷していて判らない状態です。

 何か情報が得られれば幸いと思い投稿します。

 ちなみに、大きさは縦130cm×横42cm、車軸の取付穴寸法は直径40mmです。








 


@ にがうりさんから連絡 2008/01/15

 1960年酣燈社刊日本の航空50年の114ページにスキーを履いた隼V型戦闘機の写真が載っています。車輪の代わりに橇を付けています。それに関する説明は書いてありませんが、古い航空雑誌に橇の記事があったらしいともいわれているので、心当たりの方は調べてみてください。


A 小山さんから連絡 2008/01/17

 写真の掲載ありがとうございました。
 この雪橇ですが、単発機用を見た場合、主脚用としては小さいですし、かといって尾輪用としては大きすぎるように感じます。

# ある方からの情報では、# 航空機用雪橇は結局正式化まで至らなかったので # 数ある試作品のひとつでは?ということでした。# また、主脚用のは脚との接合部がもっと複雑だそうです。

 また、航空ファンの1997年5月号と1998年2月号に渡辺洋二氏による「奮迅!審査部戦闘隊」の中に雪橇の実験の模様が描かれていました。

 この雪橇、車軸の軸受け部分の径が40mmと大きいので大型機の尾輪用の雪橇ではないかと想像しています。

 「奮迅!審査部戦闘隊」によると、双発機では97式重爆、99双軽、百式司偵が雪橇試験を行ったとあります。ただ、大型機の雪橇試験は空気抵抗増加による性能低下が大きかったために1回しか行われなかったとあり、果たしてこの雪橇がその一つであるのか? 謎です。


○ 三菱小牧の史料室展示品追加    日替わりメモ339番 2008/01/18から転記

  ごちゃごちゃと(失礼)並べてある史料室の展示品で航空史探検博物館へ未収録のものを補充しました。この中の四式重爆飛龍の尾輪をよく見てください。尾輪が二輪であることを初めて知った?と思いきや、リヤカーへの転用でした。
 もっとも、シャフトの径が話題の雪橇の取付穴にぴったりのようにも見えますが、如何かな?


B かつおさんから 2008/01/18

 あの写真は当時の大型双発機の尾橇のように見えます。何かの本で美幌基地かどこかで九六式陸攻がかなりの積雪の中でエンジンをカンバスですっぽり覆い、下でドラム缶?で火を焚いて過冷を防いでいる写真を見ました。脚部は写っていなかったようですが、あの積雪量では車輪では無理のような感じでした。

 銘盤では製造所「XX工業株式會社」と読めますが、当時航空機関係でXX工業と言えば「萱場工業」が連想されますね。

C 五十鈴さんから 

 刈谷正意氏著 日本陸軍試作機物語の114ページより、キ59一式輸送機のエピソードが掲載されているのですが、その後半に「雪橇試験」のエピソードがありました。 『プラスチック処理した竹合板製のそりは、昔ながらにゴムのショックコードで橇の前後を吊って姿勢を保っていた』  
 雪橇そのものの写真は掲載されておらず詳細はわかりませんが…

 D ogurenkoさんから 

 世界の傑作機 No.91(平成版)九六式陸上攻撃機 p48 巌谷二三男氏フォトアルバムからに、ソリをつけた写真が3枚載っています。主脚の方は各務原のソリとはちょっと違う感じで、上部にカバーのようなふくらみがあります。各務原のは、上部に覆いが着いていた痕跡は無いのでしょうか?
 尾輪用のソリには少し似ています。

 横須賀海軍航空廠が、昭和12年に大湊航空隊で九六陸攻試作型(オミ385)、九六艦攻、九〇式二号艦偵などで雪橇実験を行ったが、成功とは言えなかったと記してあります。


 参考にもなりませんが、ダグラスC-47(R4D、C-117)のスキーはこのようなものでした。主車輪と尾輪にがっちりと取り付けられます。佐伯邦昭




飛行中はMAIN SKIが油圧で30センチくらい引き上げられます。