oHOME・SITEMAP 日替わりメモ グライダーの部屋目次op

 

航空歴史館 グライダーの部屋G-16 掲載2010/12/23
追加2015/11/19


このグライダーのJAナンバーを推理してください

    質 問
1 古谷眞之助さんの推測  萩原式H-22B-3複座セカンダリー JA0081ではないか
 2 川崎雅弘さんの 推測  H-22Bで間違いない

 

        

  1958年3月に藤沢市の東洋航空格納庫内で撮影された写真の中に、非常に興味を惹くグライダーがありました。

 残念ながらJAナンバーを判読しかできませんが、0001かもしれません。もしそうだとすると戦後の再開航空における文字通りのナンバー1の航空機ということになります。さて、皆さんの検証をお願いします。


拡大して明度アップ

古谷


1 古谷眞之助さんの推測  萩原式H-22B-3複座セカンダリー JA0081ではないか

 あくまで推測です。
 JA0001
とすれば登録リストによれば、「02P1型」となります。ただし、わずかの手持ち資料に当たってみましたが、写真も図面もなく、どんな形なのかわかりません。

  戸田さん撮影の写真を見た時に、最初素直に堀川勲さん設計のH-22だと思いました。私は、ご本人が描かれた同機のイラストを見せていただいたことがあり、強く印象に残っているからです。ただし、JA番号が異なります。

参考 世界の翼 1954年版より

 そこで、JA番号は実はJA0001ではなく、もしかしたらJA00610081ではないかと疑ってみました。最初の3桁は068の可能性があると考えられま4桁目は1でしかないように判断します。

 060106610681080108610881も考えられますが、数字の桁から考えて、こういう番号は無いと思われるので、00610081の二つに絞って良いと思います。

 この前提で登録リストを見ると、0061は伊藤式A-2型 静岡木工梶@1953.06.29. 登録、所有者、静岡木工鰍ニなっています。送られてきた写真は明らかにプライマリーではありません。伊藤式A-2型は「日本グライダー史」によれば、明確にプライマリーとなっていますから、この場合0061ではないことになります。

 ではJA0081はどうか。リストでは、萩原式H-22A-3型 定置場藤沢飛行場、日本航空連盟所有、となっています。藤沢飛行場というのが臭いですね。この機体の登録が1953.12.11となっていますから、時期的にも問題ありません。

 さて、ここで「日本グライダー史」の以下の文章に注目しました。

 滑空機製造会社も続々と名乗りをあげ多くのグライダーが作られた。昭和28年までに作られたものは、戦前の設計によるものでは、鷹7型・・・略・・・戦後の新設計によるものは・・・略・・・02P1型プライマリー、セミ・セカンダリー、萩原式H-22型複座セカンダリー(何れも萩原木材工業)・・・

 つまり02式は萩原木材で作られていたと考えられます。ヒコーキ雲の「航空法施行前のJA記号について」の項で「世界の航空機195211月号読者サロン」の投稿記事の中に「旧美津濃が設計した云々」とありはしますが・・・。

 

   これらから、写真の機体は、萩原式02P1型 セミ・セカンダリー JA0001というのも考えられなくはありませんが、まず萩原式H-22B-3複座セカンダリー JA0081だと私は考えます。いかがでしょうか。最初の直感から抜け切れておらず、思い込みの強い推測なのですが。

    川崎

 2 川崎雅弘さんの 推測  H-22Bで間違いない

 東洋航空格納庫にあるグライダーはH−22Bで間違いないと思います。前席操縦席の胴体の下のほうに、何か部品が付いていますが、これは、H−22Bが日本で初めて採用したという
曳航ロープをV字型に 左右2本接続するためのフックです。添付した長谷川模型のプラモデルのイラストでよくわかると思います。

拡大して明度アップ
  


  川西市の某氏宅にあるH−22Bと比較しても疑う余地はありません。

  ただ、JAナンバーが0001かどうかというのは、わかりませんが、格納庫の写真ではグライダーが3機分映っていて、なおかつ、グライダーの後方には、H−22Bの胴体を2つに分解して木枠に梱包した胴体も移っていますから、この写真だけで4機のH−22Bが 存在することになりますので、この写真を撮影した時期は、初期の生産時期ではなく、大量生産時期の写真だと思われます。

 そう考えると、機体が完成した順番でJAナンバーを登録 していったとすれば、0001は考えにくいと思います。登録ナンバーの解明にはなりませんが、ただの情報ということで。。。

TOP