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航空歴史館

掲載16/06/19
追加16/07/03

 

恵庭駐屯地 警察予備隊、保安隊から陸上自衛隊航空へ

画像提供 BELL412EP   説明 佐伯邦昭

目次
@ 南恵庭駐屯地の保安隊セスナL-19と格納庫
A セスナL-19 保安隊A-1012 米軍50-1563
B パイパーL-21 保安隊H-1008 米軍22-3773(?)
C  1955年の大観閲式 セスナL-21 A1025

付録1

    付録1  ジープについて考察
付録2      付録2  1952年から1956年までの間に写された航空写真
D 第11期L整備学生卒業記念写真  1954年8月 浜松基地
新 E 丘珠飛行場での事故の記憶

年表

1950 警察予備隊発足 北海道初の1952駐屯地として恵庭訓練所開設  
1952/08/01 保安庁、保安隊発足 BELL412EPさんの父上 保安隊に入隊
1954/01/19 札幌駐屯地(丘珠)に北部方面特科団航空隊新設 飛行機は恵庭訓練場を使用  
1954/07/01

防衛庁、3自衛隊発足 保安隊は陸上自衛隊に
北部方面特科団航空隊は第1特科団航空隊に

 
1954/08/31 保安隊の連絡機とヘリコプターを陸上自衛隊に引継ぎ  
1954/09/30 第1特科団航空隊が丘珠から東千歳駐屯地に移転 飛行機は恵庭訓練場を使用 BELL412EPさんの父上 陸上自衛隊を退職

 

 

 BELL412EPさんからお父上の写真の提供がありました。時期は1954(昭和29)年7月1日防衛庁及び陸上自衛隊発足をはさんでの4年間 です。

 説明は、すべて推測の域を出ませんので、皆さんによる確認や修正をお願いします。

@ 南恵庭駐屯地の保安隊セスナL-19と格納庫 @

 恵庭練習場(現南恵庭駐屯地練習場)の格納庫の前に並ぶ3機のセスナL-19。手前の機体を拡大してみると保安隊の桜マークです。 滑走路は転圧300メートルでした。

 当時の機体は、L-5が5機程度、L-19が26機、L-21が20機だそうです。格納庫はかなり広く、飛行機だけでなくブルドーザーや除雪機材なども一緒に入れていたそうです。

A セスナL-19 保安隊A-1012 米軍50-1563  A

B パイパーL-21 保安隊H-1008 米軍22-3773(?) B


C  1955年の大観閲式 セスナL-21 A1025  C

 マークが桜から日の丸に変わっており、編隊飛行と地上の車列からして、陸上自衛隊発足若しくは1954年10月29日丘珠分屯地発足(丘珠駐屯地ホームページによる)の記念行事の観閲行進ではないでしょうか。

2016/06/22 守屋憲冶さんから

 1955(昭和30)年10月14日、自衛隊創設以来初となる大規模秋季演習の翌日、東千歳連山滑走路における大閲覧式の様子。隊員3万、車両600両、参観者1万で実施された。観閲官=砂田防衛庁長官(『創隊50周年記念誌』第11普連平成13年刊)
 連山滑走路北側ターニングパット付近を進む車両。東千歳とした理由は、右奥に海軍の木造格納庫屋根が見えること、誘導路に沿ってハットメントが多数建てられていること、北海道内で南恵庭から近いこと。

 


2016/06/24 ジープについて考察  付録へ転記


D 第11期L整備学生卒業記念写真  1954年8月 浜松基地  D

 Lというのは、L型シリーズ(L-5、L-16、L-19、L-21)を指すのでしょうか。下は、整備学校での落下傘装着訓練時のもの


E L-19 事故の記憶  E

 L-19(機体の番号はたしか末尾に6と7が入っていた)の機付長をしていた1953(昭和28)年の冬、吹雪の中をL-19が丘珠飛行場に着陸する際、滑走路から逸れて、玉ねぎ畑に墜落しました。当時は、土むき出しの不整滑走路だったので、視界不良のため玉ねぎ畑の列を誘導ラインと錯覚したのが原因でした。
 操縦していたのは宮城県出身の高木2尉、同乗の整備士は親父の先輩だった佐々木1曹でした。
 機体は大破しましたが、両クルーは生存し、当時千歳の国立病院と呼ばれていた所に運ばれました。場所は現在の日本ハムスタジアムの場所と言っています。 親父は上官からの命令で2週間看病をしたそうで、2尉はコックピットに顔面を強打した重症だったそうです。

 それから、L-5とL-21は布張りが多く非常に気を使ったが、L-19は全金属製で丈夫だったとの事です。
 

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