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航空歴史館

陸上自衛隊霞目駐屯地

逓信省仙台地方航空機乗員養成所の赤トンボ
1967年 東北大博覧会の展示機
     
東北方面総監部・東北方面隊創立45周年記念祭展示パネルから 
陸上自衛隊LM-2 最後の展示 

 

2007/05/20 逓信省仙台地方航空機乗員養成所の赤トンボについて

はじめの疑問  撮影2007/05/20

陸上自衛隊霞目駐屯地防衛館飛翔の模型についての疑問 


赤トンボ?の模型か?(長さ、幅、ともに約50〜60cm)

 

尾翼のマークが仙台市の市章に似ているようです。(伊藤憲一)

 この模型は、陸軍九五式1型乙練習機でしょうか。尾翼のマークは、仙台市公式 ホームページの紋章欄を見ますとたしかに似ています。縦の3本の線と外円の接するところがわずかに異なっているだけです。仙台市章をアレンジした紋章を航空学校かどこかで使っていたのかもしれないし、あるいは作者がうろ覚えのまま間違って仙台市章を描いたのかもしれません。
 仙台市の紋章は、昭和8年に制定され、伊達家の紋章である三ツ引両(竪引両)から考案されたもので、仙台市の「仙」の字を図案化したということです。三ツ引両(三ツ引紋)というのは、線を三本並べた家紋のことです。伊達家は三本線を縦にして他と区別したと言われているように、多くは横三本線で、それをを丸で囲うなどさまざまな変形があります。(佐伯)


解決 2007/08/11 伊東憲一


 文林堂 
世界の傑作機 73 陸軍95式練習機によって、霞目駐屯地の防衛館飛翔の天井に展示されていた赤トンボの垂直尾翼に描かれているマークやJ−AJYSの記号の意味がわかりました。
 同書の塗装例カラーページに渡部利休さんが描いている陸軍九五式
1型乙練習機 J-ABTSに同じマークが画かれ、逓信省仙台地方航空機乗員養成所を表すもので、の文字をデザインしたものと記されています。
 同じの文字をデザインした仙台市の紋章と較べてみると、似てはいますが、少し変えてあることがわかります。 (左 仙台市 右 仙台地方航空機乗員養成所)

  逓信省仙台地方航空機乗員養成所は、1935年10月から臨時航空機乗員養成所として訓練を開始し、正式には1938年6月米子とともに発足しました。以後各地に設けられた逓信省航空局の陸軍系乗員養成所15か所のうちのひとつです。 飛行場は、1933年に陸軍飛行学校として開設されているので、陸軍と共用でJナンバーをつけた練習機が飛んでいた訳です。模型に書いてあるJ-AJYSという記号については、JAHSのJナンバー登録記号集に九五式1型練習機として次のとおり記載されており、もし写真を参考にして書かれたものなら,新しい発見となります。

J-ABTN
J-ASTQ
J-ABTU
J-AFTH
J-AFTR
J-AJYO
(J-AJYSならここに入る)
J-AJYV
J-APTA
J-APTC
J-APTQ
J-APTR
J-APTS
J-APTT
J-APTU

 参考までに、世界の傑作機 73 陸軍95式練習機 47ページ下の写真とほぼ同じアングルの写真を添付します。(2007/08/10 駐屯地外から撮影)
 ほぼ真西を向いての撮影、霞目駐屯地のUH−1Hが訓練中です。65年くらい前には、J記号の九五式練習機赤トンボがぶんぶんと飛んでいたことでしょう。



中央の三角形の山は「太白山(たいはくさん)(標高321m)」です。仙台市の区の名前になっています。背後の山々は蔵王連邦の北側端あたりです。太白山から手前側(市街地側)周辺の丘陵地帯は現在、一部の自然を残して、住宅地でびっしり覆われてしまいました。

 

2005/10/02  東北のヒコーキ野郎

 
 霞目駐屯地で行われた東北方面総監部・東北方面隊創立45周年記念祭で、同方面隊活動の歴史というコーナーに展示されていたパネル写真を写したものです。 (撮影自由であり、調査した範囲内では写真著作権者は不明です) 東北大博覧会は河北新報社創刊70周年記念行事として1967/04/14〜06/12に仙台市宮城野区で開かれたもので。F-86F、F-104DJ、T-6G、飛燕が展示されました。

 私は、当時小学生で、遠足かなにかで博覧会を見に行ったのですが、飛燕とF-86Fは今でも覚えています。しかし、不思議なことにF-104DJとT-6Gのことは全く覚えがなく、このパネル展示で知りました。
 
 F-104DJ 36-5011 2年前の1965/01/21に新田原基地で離陸滑走中の出火により廃棄処分となりました。現在は横浜の喫茶AVIONにあります。
 
 F-86F 62-7461 航空情報別冊・セイバースペシャルによると1963/03には既に用途廃止になっています。

 T-6G 72-0146 後に、仙台駐屯地に展示されていた機体ですね。

 飛燕 記録では航空自衛隊の3機とは別に、テーマパビリオンのA郷土歴史館脇に展示されており、このパネル写真には写っていません。我が家には、家人の誰かが撮った写真があったのですが残念ながら行方不明です。たしか尾翼に17と記したものでした。
 

 

2009/02/26 陸上自衛隊LM-2 最後の展示   伊藤憲一


陸上自衛隊LM-2 最後の展示

 陸上自衛隊LM-2は国内に保存 されていないようですが、手元に用途廃止後と思われる機体を撮った写真がありました。1982年10月24日霞目駐屯地祭です。LM−2(21051/NE記号)で、霞目が最終所属と思われます。
 時期
的に微妙ですが、自由に触れさせていたことから考えると用途廃止後だったのでしょうか。



                                       

 この後、霞目に保存展示されることもなく、たまたま、駐屯地祭だけでの展示だったと思われます。LMは米国から域外調達という形で供与されましたので、用途廃止後は手続き上米国に返還され、国内に残さない形をとったのでしょうか、よくわかりません。

佐伯から : 21051は、LM-1(21016)のコンチネンタル225馬力をライカミング340馬力に付け変えた改造第1号機です。資料によると用途廃止は1983年3月18日となっているので、この1982霞目駐屯地祭の展示よりも後になりますが、実質的には おっしゃるように用廃状態にあったようですね。

 

 (付) ライバルの競争 について

 学生の時に、通常授業でない飛行機に関する特別講義があるということで聴講したことがあります。空自の次期超音速練習機が三菱T−2に決まり、量産機の生産が佳境中の1970年代後半の時代でした。

 富士重工から講師が来られたのですが、何と、T−38の模型を手に一生懸命講義されていました。そして、講義の中でさりげなく「三菱のT−2やMU−2は補助翼がなく、横操縦はスポイラーを使って行うので確かにキレがいいが、(気流が悪い時に?)安定性がよくない。」の様なことも言っていたようでした。

 たしか、次期超音速練習機に富士重工はT−38ベースを提案していた記憶があったので、このT−38の模型とスポイラーの話に思わずにやりとしてしまいました。一緒に聞いていた聴講生はこの事をわかるかな〜と思いながら。

佐伯から :  ライバル会社の大変興味あるお話しをありがとうございました。富士は、三菱の政治力に負けたのだと思いますが、結果として、T-2は既に完全消滅しましたが、T-38系はいまだに練習機として使われ、空自の航空学生も卒業後アメリカでAT-38Cの訓練をうけているなどをみると、当時の選択さて?


日替わりメモ090227番 から

○ 富士LM-1/2について 

 LM-2 21051の経歴を見ると、LM-1 21016がLM-2に改造される前に陸上自衛隊土浦駐屯地に展示されていたらしいです。(下郷資料:Japan Army土浦dpy,63-03-30LM-2に改造)  とすると、LM1/2系の展示はないとしていたのは誤りになりますが、展示機=用途廃止機という固定観念からいくと、LM-2 21051は用廃機を改造して動くようにしたという非常に珍しいケースになります。その事実を裏付けるためには土浦駐屯地での展示写真を是非とも発掘して頂きたいです

 そのほか、LMの関連リストを見ていると、なにかと興味がわいてくるシリーズです。

 何よりも一昨年紹介したアメリカでLM-1が現役で飛んでいるというのが興味のトップです。 「ニュースフラッシュ468 アメリカで飛んでいる富士LM-1」で 紹介しました。
 また、
富士重工業での初号機(c/n LM1-1)は民間登録JA3098として同社でのテストの後、個人を経て愛知県江南市にあった中日本航空技術専門学校で日光号となり、更に アメリカへ返還されて1998年にN6334Zとなっています。これら渡米組は6機に及び、いずれもLM1/FUJI NIKKOとして健在みたいです。メンターの部品と互換性があるというのがあちらでの長生きの理由のように思えます。
 同じく2号機(c/n LM1-2)は、富士重工業社有機として、JA3105(LM-1)からJA3119(KM-1)、更にJA3725(KM-2B)と改造を重ね、1984年まで28年間にわたって海上自衛隊航空学生訓練機への貴重な踏み台になっています。

 その他、隊員に盗まれて行方不明になったのものなど、エルエムはイロイロです!