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航空歴史館
 
入間市 狭山市   1979 第6回国際航空宇宙ショー 6th Japan Interenational Aerospace Show 

Nov. 17〜25  1979, Japan Air Force Iruma Air Base

入場券 記念切符  ticket
   民間固定翼機 Civil fixed-wing aircraft
   民間ヘリコプター Civil  helicopter
  自衛隊機Air  Self-Defense Force
  米軍用機  United States air force
関連資料その他
  1 ボーイング社の国際航空宇宙ショーに対する見方
 2 惨憺たる結果という総括
 3 航空情報 凋落のきざしが‥
 phot  Nov.18(Sun)23(Holiday)  YA 山本晋介
 phot. Nov.23(Holiday) TW Twinbeech
 phot. Nov.24(Sat) ET ET
 phot. Nov.23(Holiday) RO TRON
 phot Nov.23(Holiday) NU KUPANBA

 

RO 入場券

RO 西武鉄道記念切符

 

テーマ 1980年代の民間輸送機  

1 民間固定翼機




YA
 Airbus A300B2 F-BUAD

RO


火花を散らした旅客機売込み競争の一環として ボーイング767計画

ボーイングのシャレ―で配った資料の一部




財団法人民間輸送機開発協会が配った資料




TW Dassault Falcon 10 ja8447  SONY


TW Fuji KM-2B JA3725  富士重工業


TW Fuji Rockwell 710 JA5263  富士重工業


TW Beechcraft V35A JA  日本オーナーパイロット協会


TW
 Beechcraft F33C JA3795  伊藤忠アビエーション


TW Cessna T210L JA3749  飯野太蔵 瑠璃六世


NU Lake LA-4 Bucania  JA3703   有本産業


TW Short S.C.7 Skyban JA8803  海上保安庁


TW Pitts S-2A JA3753  宇都宮フライイングクラブ


ET Moony M-20  JA3318   赤十字飛行奉仕団


ET Cessna P210N JA3838 安倍良治


TW Fournier RF4D Motorglider JA2110 極東貿易


ET Pilatus B4-PC11AF JA2222  峰岸知也(千葉工業大学)

・ 古谷真之助さんから

 1979第6回 国際航空宇宙ショー(入間)のJA2222ピラタスB4-PC11AF の写真を見てうれしくなりました。同機の経歴は
    1978 1 18 峯岸知也 千葉工業大学 新規
    1994 1 9 石渡利明 妻沼滑空場
    2000 6 28 廣政和男(中国航空協会) 山口県防府市多々良1-11-42
となっています。 79年の航空ショー当時はピカピカの機体だったと思います。掲載されている写真は飛行中のものですが、入間で飛行したとすれば、運航にはかなり苦労があったように思います。まず、曳航する飛行機が必要ですし、広い飛行場の滑走路エンドまで機体をもっていくのも大変です。また着陸後の回収も同様です。その間に通常の飛行機のデモもあったと思いますからスピーディにハンドリングしなければならなかったでしょう。自力で動けないグライダーは動力機と一緒に運航するとペースが違ってなかなかやっかいです。
 この機体はその後アサヒのスーパードライのロゴを入れられてアクロ飛行を行なっていました。
 1999年の台風19号で虎の子の機体を失った中国航空協会が 2機目のB4として2000年に導入したものです。
 私はこのJA2222に合計51回搭乗しています。最近の2222の写真を添付します。もう33歳の機体ですが、わがクラブでは昨年65回飛ばしています。なかなかの頑張り屋さんです。

 


 Rearjet Sea Patrol N80SM  トーメン 

 Cessna Skyhowk XP JA3796  野崎産業

 Cessna 172M JA3771  赤十字飛行奉仕団

 Cessna 172XP JA3880  赤十字飛行奉仕団

 Cessna 182 JA3843  赤十字飛行連盟

 Beechcraft A36 JA3842  伊藤忠アビエーション

 Beechcraft A60 Duke JA5260  伊藤組

 Moony M-20J JA3808  海外物産

 Cessna 411A JA5151  中日新聞

 Beechcraft A36 JA3723   自家用操縦士協会

 Cessna T310Q  JA5223  日本オーナーパイロット協会

 Beechcraft A36 JA3820  常盤レザー工業

TOP

 

2 民間ヘリコプター  2

TW Kawasaki Vatol KV-107UA JA9509  川崎重工業


ET Bell 222DX N222BX  三井物産

NU 


NU Bell 206L RongRainger JA9234  三井リース事業


NU Aerospatiale SA365C-1Dauphin JA9543 新日本ヘリコプター



NU MBB BO105C JA9623  読売新聞


NU Enstrom F280C JA7637  アジアエアクラフトコーポレーション


TW Aerospatiale AS350B Ecureuil JA9236 東邦航空

  

NU Hugehes 269C JA7584  日本農林ヘリコプター


TW Hiller UH-12E JA78646  日本農林ヘリコプター



Kawasaki/MBB MK117 JQ0003  川崎重工業 パンフレット






 
Aerospatiale SA320F JA9512 東京消防庁

TOP

 

3 自衛隊機   3


TW  McDonnell F-4EJ 97-8424 Japan Air Force 303sq


NU Lockheed F-104J 26-8503 Japan Air Force 1TS (注)

YA


ET 

(注) 日替わりメモ2011/05/10から

○  展示されたロッキードF-104Jは、解体搬入か?

・ 飛行浪人さんから 

 入間のF−104Jですが、私が在隊していた1967年から1971年の間にいちど百里の機体、4機が降りたことがあります。梅雨時です。百里の天候不良により横田へダイバートする予定でしたが、北からアプローチする際に先に見えた入間へ降りてしまったということでした。

 この時は、雨で入間、横田も視界が良くなくGCAでのアプローチと聞いています。横田と入間の滑走路は北の延長線でクロスしていてパイロットも不慣れだったのと、残燃料が気になって焦っていたのでしょうね。

 入間の滑走路(2000m)は、内規で離陸が禁止されていたため、後日、日通のトレーラーに主翼を外した状態で載せられていたのを目撃しました。

 エプロンに並んでいるのは同期の友人から連絡があったので勿論撮影に行きましたが、トレーラーの方は撮影したか記憶に定かではありません。残念ながらネガはどこかに埋もれています。とりあえずご報告まで。

佐伯から : さっそくの情報をありがとうございました。まず、国際航空宇宙ショーへ解体して持ち込んだのかどうかについては、空自内規でF-104の離陸が禁止されていたということですので、すくなくとも撤収は主翼をばらして運送されたはずですし、持ち込みも同じとするのが妥当でしょう。

 というのは、尾翼に部隊マークがないので、第一術科学校所属の可能性が高く、同校での整備用機材として、主翼の脱着と運搬の訓練にもなったと想像できるからです。もちろん、用廃機ではなく、後に三菱重工で十分なIRANを行ってから台湾空軍へ供与されたことでしょう。(なお、いつからか第一術科学校の現役整備機材には、右のようなマークが画きいれられるようになりました。1979年当時にこのマークがあったのかどうかは不明です、よって、上記機体が第一術科学校所属というのはあくまで推定にすぎません。)

 さて、入間基地の滑走路は、一説によりますと中央部が高くて、一方の端から他方を見るとC-1でも尾翼しか見えないそうです。2000m滑走路で、F-104Jの離陸ができないことはないと思うのですが、こういう形状のために制限されたのでしょうか。それとも、J79のアフターバーナー全開で浮き上がる時の轟音が地元に嫌われたのでしょうか。なにしろ、騒音にあまり考慮を払わない時代の最後の軍用エンジンでしたからね。

TW  Mirsubisi F-1 80-8224 Japan Air Force  3sq


TW NorthAmerican F-86F-40 82-7852  Japan Air Force General sq (総隊飛行隊)


TW Lockheed T-33A 71-5245 Japan Air Force General sq (総隊飛行隊)


TW   Fuji T-1B 25-5838 Japan Air Force 13TFW



RO  Mitsubisi T-2 83-5152 Japan Air Force 4W


RO  Kawasaki C-1 58-1008 Japan Air Force 402sq

ET


NU
 NAMC YS-11 52-1151 Japan Air Force 402sq


NU
   Vertol KV-107UA-5 94-4808 Japan Air Force


NU
   Sikorsky S-62J 33-4711 Japan Air Force Rescue


NU  Hughes OH-6J 131006 Japan Army I


NU  Bell UH-1H 41627 Japan Army EH


ET  Sinmeiwa US-1 9072 Japan Navy VP-71


NU  Lockheed P-2J Japan Navy 1FS


RO  Grumman S2F-1 4126 Japan Navy 14FS



A
 Lockheed P2V-7 VSA 4655 JAMSDF 51AG 可変特性研究機



Blue Impulse

TW 

ET



YA

RO


YA Fuji T-3 Japan Air Force 11FTW Shizuhama AB

TOP

 

4 米軍機    4

TW McDonnell F-15 70-470 USAF 67TFS 15TFW ZZ


RO McDonnell F-4 USAF 63-823 25TFS 18TFW ZZ



TW Lockheed C-5A 00462 USAF 60MAW

TW


TW Lockheed P-3C 159885 VP-9 PD-5


YA Hawker Siddeley AV-8A USMC VMA-531 Det.B WF-01

TW


TW Groman A-6E 152641 USMC VMA(AW)-332 EA-363

RO



TW
 Douglas A-4M 160027 USMC VMA-211 CF-22


NU   Bell AH-1J157757 USMC HML-167


TW
  NorthAmerican OV-10A USMC H&MS-36 WX-764


TW
 Sikorsky CH-53D USMC HMH-361

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5

関連資料その他

1 ボーイング社の国際航空宇宙ショーに対する見方

  [ショー5日目の11月22日 事務局発行ディリーニュース 6 掲載]

 日本のショーの印象、ボーイング社ラング氏語る
                             
 「日本の航空ショーに来たのは、これで4回目だが、毎回確実に何らかの改善のあとが見られるのは気持ちのよいことだ。ショー事務局の人たちは好意的に協力してくれるから、私たちは仕事がやり易い」こう語るのは、ボーイング民間航空機会社渉外部長ビル・ラング氏である。

 同氏は、日本ばかりでなくパリ8回、ファーンポロ3回、それにオーストラリア、ニュージーランド、米国(リノ)各1回参加の経験者。そこで、同氏に各国と日本のショーの印象について意見を聞いてみた。

 まず、日本ではシャレーにボーイングの希望するお客さんが来てくれないのが、毎回の悩みの種である。そこで今回ボーイングでは、「ボーイング・ブレス・デー」(19日)を設定、都内から連絡バスを仕立てて、記者45人を運び、記者会見を成功させた。22日の「エアライン・デー」にも、同様にバスの準備を予定している。
  ボーイングは、シャレ―の室内から前庭にかけて日本調で装飾してある。パリのシャレーは日本の3倍くらい広く、毎日200−400人の招待者で賑わった。(単位面積あたりの経費は日本と同じ位であった)
 バリでは、世界中の主要航空会社、航空工業会社の社長や重役が多数集まって、ヒコーキの雰囲気のなかで歓談する。シャレーでは実際に具体的な商談が進行することは少ないが、航空人の国際交流という観点からすれば、お金に換えられない大きな効果がある。だからボーイングとしても、日本で航空ショー−のある限り、毎回参加したいと思っている。 
 ところで、私たちの頭を悩ませていることがある。聞くところによると、次回の航空ショーは4年先との話だが、これは大きな誤りであると指摘したい。
 各社の社長たちと話し合ったが皆失望していた。各社とも4年先のことには計画が立てられなくなってしまうのだ。これが2年おきに定期的に開催されると分っていれば、出品者側の計画立案、予算獲得、ホテル予約などはすべて今回のショーの終った時点から決定することができる。
 われわれはパリのショーが終ったとき、2年先のいろいろな予約を済tせて引き上げるのを常識としているが、日本の場合は全く計画が立たない。いつも新規行事と同じで、大急ぎで計画−予算−ホテルなどを決めなければならない。だから、規模は大きくなくても必ず定期開催するよう努力してもらいたい。

 

2 惨憺たる結果という総括

[航空宇宙工業会発行の国際航空宇宙ショー50年史 から]

 1979年10月に開催された第6回国際航空宇宙ショーは惨憺たる結果に終わった。
 海外からは新たにルーマニアから1社が加わったことによって参加国が増えたことになったが、前回のF-X商戦のように目玉がなく、しかも期間中に晴れた日はたった1日で、連日雨または曇りという不運もあって、入場者数も26万8,400人という苦しい数字が発表されたが、ショー・ガイドや弁当をはじめ、押しかける入場者を見込んで出店した土産店、飲食料販売店などは揃って大きな損失を出してしまった。

佐伯から : ということですが、当時の航空ジャーナル主筆青木日出男氏のルポでは、そういう外形上の姿はともかくとして「1980年代の民間輸送機」という大会テーマにふさわしくボーイング767、757、ダグラスDC-9、スーパー80、DC-10ストレッチ、エアバスA300、A310、フォッカーF29と旅客機向けエンジンメーカー各社も力を入れていたことが紹介されています。ただ、それらは四つの格納庫内の各社ブースの状況であって、実際に飛んできた新鋭旅客機はA300だけでした。  (期間中、大分空港で短距離着陸のデモンストレーションも行った)

 

3 航空情報 凋落のきざしが‥

 100枚近く頂いた入間の第6回国際航空宇宙ショーの写真の中から選んでショー展示機の概要をほぼ紹介できたのではないかと思います。どれを採用するか迷いながらの再編集作業でしたが、もうひとつ迷ったのは、照合した航空情報の[国際航空宇宙ショー総集編 表3 エアショーでの地上展示機]という(一応詳しい)リストのひどさ加減でした。その中から自衛隊機のリストだけを抜き出しておきますので、まあ、見てください。

 赤字は、佐伯が入れました。(一応詳しい)と皮肉っている理由がお分かりでしょう。他の米軍機や民間機についても大同小異です。いやしくも航空専門誌が総集編とうたいながら、自衛隊機のシリアルナンバーを書いたり書かなかったり、F-104のように1年前に解隊している部隊名を書いたり、ひどいじゃありませんか。素人のアルバイトに調査と作成をやらせたのでしょうね。
 そんなことで、随分手こずりました。いわゆる航空情報に育てられた世代の人たちが、次第に航空情報から離れるようになっていった原因が、このようなあいまいな編集にあったのかなあと今更ながら思いながらの作業でした。

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