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航空歴史館 ジョンソン〜入間基地における 櫻花(空技廠特殊攻撃機)の変遷

 

編集2009/01/11
追加2017/08/29

目 次

[48-1] ジョンソン基地 と陸軍航空士官学校の略図
[48-2]  1948年の 櫻花  V BOMBER表示
[49-1] 1949年の 櫻花  機体の向きを反転
[50-1] 1950年の 櫻花  濃塗装 文字ボード取付
[53-1] 航空50周年記念大会に出展 1953年12月日比谷公園
[57-1] 航空情報誌が基地を取材
[59-1] 1959年12月の櫻花  ニュージーランド空軍歓迎ボード
[61-1] 1961年8月の 櫻花
[63-1]  1963年6月  ジョンソン大佐の弟夫妻が訪問 その歓迎ボード
  (1965年を1963年に訂正)
[63-2] Sayonaraの文字の考察
[63-3] 1963年日本返還
[64-1] 1964年自衛隊創設10周年記念入間基地公開
[73-1] 建物(小屋)内に収容 1973年頃
[83-1] 1983年8月12日 桶川飛行場空のフェスティバル
[90-1] 修武台記念館の櫻花 1990年
[02-1] 修武台記念館の櫻花 2002年
[03-1] 修武台記念館の櫻花 2003年 
[04-1] 修武台記念館最後の撮影 2004年 (翌年から撮影禁止)
[14-1] 新修武台記念  教育講堂の展示 (撮影禁止)
[14-2]  新修武台記念  教育講堂の展示 (一般公開 撮影許可)

 

[48-1]


@Bの施設    写真は修武台記念館に掲 示してあった額から  JO1ROB    

@-1 終戦まで 陸軍航空士官学校本部庁舎
@-2 戦後 米第5空軍司令部 
    V爆撃隊(V Bomber Command)司令部 
    第41航空師団(41st Air Division)司令部
@-3 1986年から 航空自衛隊入間基地修武台記念館
@-4 2008年 修武台記念館取り壊し
@-5 2011年3月 新修武台記念館オープン予定 
A-1 終戦まで 陸軍航空士官学校校舎
A-2 戦後 米軍施設
A-3 1958年から 航空自衛隊中部方面航空隊司令部
A-4 解体 現在は水泳プールか?
B-1 終戦まで 陸軍航空士官学校大講堂
B-2 戦後 ジョンソン基地映画館
B-3 解体 2003年から航空機常設展示場

陸軍航空士官学校の略図


略図が掲載されていたしおりの表紙(1961/09/07航空兵の像建立記念) 

航空士官学校時代に大講堂前から写したものと思われます。本館窓から煙突が出ており
暖房は石炭ストーブを使っていたようです。

 

変 遷

[48-2] 1948年

V BOMBER INSIDE GATE AT JOHNSON AB 1948 Photo JAMES GATES
 
(a painting by K.Saeki)
 


スケッチの元の写真はBOB PROCTOR氏のホームページhttp://bobp31.HOME・SITEMAPstead.com/index.htmlに載っています。 次の写真とともに占領の3年後入間の櫻花の最も古い写真であると思われます。
 
撮影1948  杉山弘一


V BOMBERについては、http://en.wikipedia.org/wiki/V_Bomber_Command参照

 

[49-1] 1949年 49-1

 なぜか、機体の向きが1年前とは変わっています。ただし、V Bomber Command が1948/10/20に解散したためか花壇の手入れがなされていません。建物は向って左がV  BOMBERの後に入った41st Air Division (図@) です。

撮影1949  提供杉山弘一
 

 

[50-1] 1950年 50-1

濃い色で塗装して中央胴体に何か被せてあるように見えます。

撮影1950  提供杉山弘一

文字は、何を意味するのでしょうか?

2009/01/17 日本航空協会の長島さんから指摘  

 櫻花の胴体の文字は、Robert C. Mikeshさんから「ジョンソン基地に将校が来たり、去ったりする時に書き入れていた」と聞いたことがあります。

 実際に、講談社1995年発行のロバート C ミケシュ著「サムライたちのゼロ戦」264ページに、SAYONARA CAPT.&.MRS MIKESHと書いた櫻花の写真が載っています。その説明に「去る時に書かれた」とあります。

 胴体へ直接ペイントしたのではなく、板のようなものに書いて貼り付けていたようです。

 

[53-1]  1953年12月 日本航空協会主催航空五十周年記念大会に出展53-1

東京都日比谷公園 撮影大野芳希 提供戸田保紀

 

[57-1] 1957年5月 航空情報関川記者がジョンソン基地訪問   57-1

 航空情報1957年6月号「ジョンソン基地写真ルポ」から転記



  

  落書きか
  

 

 

 

TOP

[59-1] 1959年12月59-1

 ジョンソン基地への訪問者に対する歓迎ボードとして利用。日の丸に白枠が画かれています

 ニュージーランド空軍の歓迎表示 撮影1959/12/12  戸田保紀


[61-1] 1961年8月  00

撮影1961/08 にがうり

櫻花の後ろ 図Bの映画館


1961〜62年頃の撮影

司令部玄関上の表示は41st AIR DIVISION

撮影 ogurenko 修武台記念館展示額から

櫻花に日の丸が入りました

[63-1] 1963年6月 ジョンソン大佐の弟夫妻が訪問 その歓迎ボード 65-1

SAYONARA WELCOME MR. MRS.JOHNSONの文字

 ogurenko 修武台記念館展示額から




横田基地新聞アフターバーナー 1963年6月25日号から 

ホームページ素顔の横田基地から許可を得て転載

 

[63-2] SAYONARAの文字について考察63-1

 機首に書かれたSayonaraの文字がやけに立派に書かれているので考えたのですが、ジョンソン基地からの全面返還の78年は別として、1962/06/2841航団司令部が横田に移動しています。

 そして飛行場管理地区の運用が63年に自衛隊へ移動、思うに司令部すべてが横田に移動する際、当時5000人以上の邦人が働いていたジョンソン並びにハイドパークの日本人に対しての別れの言葉を書かれたのではないかと考えます。(YS45)

 

[63-3] 1963年日本返還   63-3

 1963年11月17日航空自衛隊入間基地第2回航空祭において、米軍横田基地司令官から入間基地司令に正式に引き渡されました 。

西武線稲荷山公園駅近くに移転  撮影1963/08/11 飛行浪人 
 
 
後ろに見える建物はJHONSON HIGH SCHOOL、この時の体験入隊はこの学校の体育館でごろ寝、アメリカの匂いがプンプンしていました。


撮影 
geta-o

 

[64-1]  航空自衛隊創設10周年記念入間基地第3回航空祭 64-1

1964年11月3日 零戦の返還式が行われ、飛燕も展示されました。

撮影 PAPPY
   

 

[72-1] 旧軍人団体の海軍展のために貸出し 主翼等切断

 1972年夏に、旧軍人団体が貸出しを受け、トラック積載のために主翼を鋸で切断して搬出しました。秋になって返却されたときは、翼がベニヤ板にかわり、塗装もけばけばしい変わり果てた姿になっていたということです。

[73-1] 建物(小屋)内に収容 1973年頃  73-1

  入間基地で開催された第4回国際航空宇宙ショー(1973/10)で公開するために、外注により基地内で翼や塗装を修復しました。壊されていた翼は、艦上爆撃機彗星の翼型と同じという資料から新しく作られました。フイレット部分はFRPで整形しています。この写真は、その作業がほぼ完了したころのものと推定されます。

撮影日不明  阿施光南


 

[83-1] 桶川飛行場 空のフェスティバル  83-1

 1983/08/12 桶川飛行場空のフェスティバルに剣などと共に展示されました。

撮影 インプラント

TOP

[90-1] 修武台記念館内の櫻花 1990年 90-1

 旧陸軍航空士官学校本部庁舎は、航空自衛隊入間基地になってから1986年に修武台記念館に生まれ変わり、櫻花もその中に展示されました。

撮影1990/11/03  ogurenko

この時は、人も疎らで触り放題でした。操縦桿が動きました。操縦席には、電線の一部もありました。操縦席前にある照準用の輪っかは、下部しかありません。


 

[02-1] 修武台記念館の櫻花 2002年 02-1

撮影2002/11/3  にがうり

四式一号二〇型火薬ロケット

[03-1] 修武台記念館の櫻花 2003年 03-1

撮影2003/11/3  にがうり

 

操縦席復元はいまだ昨年に同じ未完成でしたが、何故かガラスケースには復元計器板が出来ていました。

 

[04-1] 修武台記念館最後の撮影 2004年  04-1

撮影2004/11/03  ogurenko

翼の上の櫻  照準器は修理済み  横にあるのは搭載した200kg爆弾


復元中の主翼、尾翼

本体の下部床に置かれている黒い四角の箱状は、胴体と翼の繋ぎ部だそうです。


部品

                  

                    (翌年から撮影禁止になりました)

 

[14-1] 新修武台記念館 教育講堂の展示  14-1

撮影禁止のため見学者用パンフレットをコピー2014/05/15 Shin

 

新 [14-2] 新修武台記念館 教育講堂の展示 一般公開で撮影許可  14-2

撮影2017/08/25 小規模板工房