HOME・SITEMAP  日替わりメモ 埼玉県目次 伝説の時代から現代まで 航空史抜き書き

航空歴史館

航空産業遺産中島九一式戦闘機について

 

目 次

 

1 佐伯邦昭から質問

05/03/20

2 (2-1) 所沢航空発祥記念館館長からの回答

05/03/25

  (2-2) 埼玉県知事上田清司さんからの回答

05/03/29

  (2-3) 九一式戦闘機学術調査プロジェクトリーダー 三野正洋さんからの回答

05/03/25

  (2-4) その他の方々からの意見 到着順

05/03/20〜05/03/28

3 航空遺産活用・保存等検討委員会の結果報告

06/02/17

4 ジュピターVI型の一般公開 

07/03/31

5 シリンダーヘッドの動弁機構部への潤滑について

07/04/27

図書室

図書紹介 中島 九一式戦闘機中間報告 その1 その2

07/04/12

陸軍九四式四五〇馬力発動機について

05/07/05

 

1 質問 佐伯邦昭


 

前段 

  旧陸軍の中島九一式戦闘機は、最初の国産制式戦闘機として、長い試行錯誤の末に生まれ、かつ、採用後も数々の改良を重ねて列国の技術水準にひけをとらない単葉の名戦闘機となりました。いわば昭和初期におけるわが国の先端産業を代表する工業製品です。

 所沢航空発祥記念館の格納庫にある九一戦は、写真のように発動機架胴体と垂直尾翼の一部を残すに過ぎない残骸であります。

 とはいうものの、細部にわたって無数の情報を有する宝の山という見方もできます。どのような経緯をたどってこんな無残な姿になってしまったかの詮索は別にして、国内に現存する唯一の九一戦実物として、歴史的産業遺産として大切にしたいものです。

 本来なら、倉庫の片隅に置いておくようなものではなく、適切な写真なり模型なり説明板なりを添えて本館内に展示して然るべきです。 

報道によれば

 既に新聞や航空雑誌で報じられていますが、三野正洋さんのグループが九一戦を復元しようとしています。

 所沢航空発祥記念館の九一戦残骸を傍らに置いて、別の復元模型を作られるのなら双手を揚げて歓迎します。しかし、不足部品つまりは翼や脚を新造してこの残骸に取りつけての復元ということであれば賛成いたしかねます。

 上の写真の胴体にペンキが塗られ日の丸が描かれた状態を想像してみてください。それだけでオリジナリティが完全に破壊され、当時の産業技術をチェックする機会は永久に失われてしまいます。つまり、文化財としての価値を喪失するのです。

 有名な興福寺の山田寺仏頭に、復元と称して胴や手足をつけたらどうなりますか?その途端に国宝を取り消され、世界中の物笑いになるでしょう。

小耳にはさんだところでは

 文化審議会では従来建造物だけであった登録有形文化財の中に建造物以外のものも含められるように改め、機械などの文化財登録の門戸を広げました。

 さすれば、当時の形を残して存在するこの九一戦は格好の文化財として指定される資格があります。そんな動きもあったやに聞きますが、最近の文化審議会の答申には所沢航空発祥記念館の九一戦は入っていないらしいです。

三野正洋さんと所沢航空発祥記念館長に聞きます

 全国的に九一戦の部品を探して、可能な限り実物を使うとおっしゃっているようですが、100%に近い部品が集められるとは到底考えられないし、仮に集まったとしても、エンジンの形がそれぞれ違う何型に復元するのかという次元で偽もののスタートになりはしませんか。

 繰り返しますが、九一戦残骸を傍らに置いて、これを参考にしながら別の復元模型を作られるのなら何もいいません。
 学者として細部を探求しながら完全な姿の戦闘機を復元してみたいという願望はよく理解できます。しかし、貴重な産業遺産の文化財に手を加えてショーモデルにしてしまっては、二度と元には戻りません。もちろん一般入館者は喜ぶでしょうが、それは研究機関としての博物館の魂を売り渡す行為になりませんか。

 ご所見をお聞かせください。

2 回答と第三者からの反応

(2-1) 所沢航空発祥記念館からの公式回答

佐伯邦昭様

                             所沢航空発祥記念館長

                                浅 田 隆 一

91式戦闘機に関する所見について(回答)

 標記飛行機に関する三野氏から申し出につきましては、貴重な航空遺産であると考えますので慎重に対応する必要があると考えております。

 今後は、県とよく協議して取り組んで参りたいと考えています。

2


(2-2) 埼玉県知事 上田清司さんからの回答


 私あてにメールをお寄せいただきありがとうございました。
 ご提言の91式戦闘機は1930年代初めに製造された飛行機で、県が取得したものでございますが、当時の日本の技術力を把握するうえで、貴重な技術遺産であるという話は、私も聞いています。
 佐伯様のように、そのまま文化財として保存すべきとの意見がある一方で、完全復元すべきとの声も数多く寄せられております。ただ、復元をするにしても、県主体で、費用負担もしながら、旧日本軍の戦闘機を復元展示することは、県民全体の理解を得るのが難しいのではないかと考えています。
 今後の保管につきましては、万全を期すよう所沢航空発祥記念館に指示します。
 よろしくお願いいたします。

 佐 伯 邦 昭  様

                 埼玉県知事 上田清司


(2-3) 九一式戦闘機 学術調査プロジェクトリーダー 三野正洋さんからの回答

 On 2005/03/24, at 8:54, saeki wrote:

 おはようございます。ごもっとなご質問ですので、きちんとお答えします。

 この91戦については産業遺産でもあり、また復元の対象でもあります。私は復元推進派ですが、その程度、方法にに関しては正直なところ迷っております。また現状維持か、復元(胴体)プラス複製(主翼など)か、ということではどなたも絶対にこのようにすべきだ、といった確信は持ち得ないと思います。

 たとえば現状維持ということでも
 1:まったく手を加えずこのままにしておく
 2:とりあえず洗浄、防錆剤を塗布しておく これについては専門メーカーにすでに相談済みです。
 3:錆の進んだ部分を除去し、完全な処置をして、不活性ガスのガラスケースにおさめる
などいくつかの方法が考えられます。

 さらに機体には当然ながら錆が広がり、塗装ははげ落ち、さらに異種金属間の電触も進んでいます。

 現状維持を主張なさる一部の方からは、機体のほこりも錆も歴史そのものであるから、いっさい手を加えるべきではない、という意見も寄せられています。しかし私個人としては、この意見には全く賛成出来ません。貴重な技術遺産でもある91戦が遠からず朽ち果てていくのを傍観すべきだ、ということですから。

 また重大なことは、発見されてから11年、記念館に運び込まれてから約8年、その存在を知っていながら、だれもがこの重要な航空機に関心を持たなかったことではないでしょうか。

 少なくともなんとかしなければならないと、行動を起こした人は私の知る限り皆無です。

 この学術調査にとりかかる以前にも何回か見学しておりますが、最初の頃はコンクリートの床に転がしてありました。(もしかするとムシロが敷いてあったかもしれません)

 途中から簡単な台座に載せられましたが、これも少々問題があり、昨年秋に我々が作り直しました。スタッフにこの分野の専門家(機械設計)がおりましたので。

 それから、復元の発想の根拠への質問ですが、本音を申しますとあまり厳密な根拠はありません。強いていえば91戦とほとんど同じ状態、つまり胴体だけが存在し、主翼などを複製し、復元したイギリスの博物館のウオーラス水上機を知ったから、でしょうか。

 より端的には91戦がこのまま朽ち果てていくのを見るにしのびなかったということです。

 この点につきましては、航空ファン04年4月号掲載の佐伯さんの記事の趣旨と全く同じです。あの文章には感銘を受けましたのでお読みでない方のために再録しますが、P74にR-53小型機についての次のような文章があります。
 「(この貴重な航空機の将来について 付加 三野)今後の方針を協議する雰囲気もなく、
放っておけば朽果てる運命にあることだけは確かである」

 まさにおっしゃるとおりで、立川飛行機R−53こそ、見方によっては91戦よりもさらに貴重な機体です。ともかく我が国における戦後の航空再開一号機(残っているものにしては)です。なんとしてもきちんとした状態で、残しておくべきでしょう。

 繰り返しますが、私が91戦の保存(どのような形であれ)にささやかながら努力しているのも、本当のくず鉄にしてしまってよいのだろうか、の一言につきます。多分誰かが立ち上がらなかったら、あのまま何十年と眠り続け、結局廃棄となったであろうと思われます。

 長くなってしまい申し訳ありませんが、最後に次の2点よろしくお願いいたします。
1:ヒコーキ雲でも討論の資料となると思われますので、この文章を掲載の場合には全文を省略なしで載せてください。
2:ご多忙中恐縮ですが、あの記事の後R−53に関して、何かの反応があったと思いますので、それらをぜひお知らせいただきたいと思います。これは本当に楽しみにしています。
 あの機体も放っておけないとと思いますので。
 
 意見を述べさせていただいたことを感謝します。日本大学 三野正洋 050325

 

佐伯から注 : 航空ファン04年4月号掲載記事中の意見は、新立川航空機株式会社内に非公開で保管されているR-HMとR-53について述べました。あの記事に関しての反応ということですが、すくなくとも私の手元にはひとつも来ておりません。


(2-4) その他の方々からの意見 到着順 (文意を損なわない範囲で編集しています)

Aさんから 修復が”修理”になるのでは 

 技術は分かっても、肝心の文化の取り扱いがまるで分かっていないと、このような場合、修復が”修理”になる危険性が大です。


Bさんから きちんとした作業なら復元すべきです 

 91戦残骸の取り扱いですが見方はいろいろあると思います。文化、産業遺産と見てオリジナル性を優先するか?外観優先の復元で往時を偲ぶか?

 愛知万博の目玉はマンモスの頭部らしいですが、これはまさにオリジナル優先そのものなのでしょう。(笑)

 しかし、航空機の場合は必ずしも原状のままが良いとは思いません。特に91戦で言えばへしゃげた墜落残骸部分とは違い立派に構造部を残し大きな形で胴体、翼の一部もあります。(知覧の零戦なら残骸そのもので復元は不要です)

 その組み立てをして足らない部分を航空機材料で正規の製作すれば立派な復元機になり、多くの人たちの目に触れるならば、格納庫内で中途半端な原状より遥かに良いと思います。実際の航空機破損修理と同じ修理をすればいいのです。
 91戦レベルなら手作業が主ですから。

 ただしその材料、手法がいい加減だと、どこのものとは書きませんが外観だけはそれらしいが中を覗くとおよそ航空機構造とはまったく違うインチキで鉄アングル溶接の張りボテになっている元は貴重な機体もあります。こうなるとまさに「なんだこりゃ〜?!」と絶句して嫌悪感さえ出てきます。

 マンモスと違って文化、産業遺産と言っても歴史的にはずっと浅い航空機産業なので91戦は現代の小型機構造と大きく変わらない材料と製作手法です。搭載機器こそ現代のハイテク品と大違いですが機体ドンガラはほぼ同じで歴史遺産の貴重度?はそれほど感じません。

 逆に復元作業をしたからこそ内部詳細が判って往時を知るかも知れず、ただ外観を見るだけでは発見できないものもあるでしょう。

 ただし現実は復元に熱心な人たちに専門家が少なく、個人的では復元財力にも限度があります。そして専門家はこの分野には入らない人が多いのも現実です。

 もし仮にカネさ出せば小型機修理をする会社なら正規な航空機材料と手法で91戦くらいなら簡単に復元可能と思われます。

 話しが飛びましたが、私の結論としてはあの状態の91戦なら復元して一般展示した方が良いと思います。ただし条件は専門家のアドバイスまたは参加と材料、手法を正規にすることです。

 もしこの条件が無理なら下手にインチキ機を作るより現状を続けて博物館の復元予算が付くまで待つのです。博物館には予算の優先度を上げて欲しいと思います。

 


Cさんから 復元行為に抗議します

 「陸軍九一式戦闘機復元」記事について、貴殿の意見に全面的な賛意を表します。

  文中にある「三野正洋さんのグループによる復元行為」が本当なら、それは極めて軽率な動機において行われる、重大なバンダリズムに他なりません。
 
  所沢航空発祥記念館が、かかる文化財の破壊行為を許容する ものとは信じたくありませんが、もし事実であるならば、強く抗議を表明するものです。



Dさんから 往時の勇姿に復元してもらいたい 

 所沢の九一式戦闘機は、よくぞ残っていたものだと驚き、喜ばしく思っています。

 私も以前から、往時の勇姿を復元してもらえないものかと思っていましたので、今回の復元の意向には基本的に賛成です。

 

 文化財の修復に関して例を挙げるとするなら、私の好きな国宝に東大寺南大門の金剛力士像があります。あれは傷みがひどかった為に、近年大掛かりな修復が施されました。その際、左手の中指など欠けていた各部は新たに作り直し、古色付けをしてオリジナルの部分と違和感が無いようにしました。

 

 九一式戦闘機の復元も、その手法を参考にすればよいのではと思います。オリジナル部分は塗装など資料的価値のあるものは手をつけずそのままにし、主翼など欠けた部分のみを新造します。その際、日本の文化財修復やアメリカのスミソニアン博物館のように新造した部分はそうとわかるように表記し、後年の研究者が誤らないようにすればよいと思います。

 
 故佐貫亦男氏が太刀洗の九七戦が引き揚げられたときの「スクラップのまま展示しても若い人は何も感じないのではないか」という意見に私も同感です。
 外見のみの復元でも、自国の航空技術史の変遷を視覚的に感得するのには有用だと思います。


Eさんから 世界に1機しかない機体に手を加えないで 

 残骸とはいえ、世界に1機しか残っていない機体に手を加えるというのは避けるべきです。 何機もあるような零戦とは訳が違うのですから。

 どうしてもというなら、残骸を元にレプリカを作るのでしょうね。

 アメリカで復元中の飛燕についても、複雑な心境になります。ファンとしては飛燕復元はどんな形であろうとも嬉しいですが、かなり原型を留めていた機体がリバースエンジニアリングのためにバラバラにされていく写真を見ると、これでよいのだろうかと考えてしまいます。



Fさんから 
三菱重工業の秋水の二の舞では 

 所沢の91戦胴体復元についてですが、基本的には自分も佐伯さんに近い考え方です。オリジナルは残して欲しいです。中途半端な復元機は如何かと思います。逆に、名古屋の三菱重工にあるゼロ戦、秋水は復元機と言うよりも完全にレプリカではないかと。
 

 しかし、復元機とレプリカの違いは何なのでしょうか?一部の部品が残っていれば復

元機なのでしょうか?秋水など何処にオリジナル部品が残っているかも分かりません。


 復元機には、オリジナル度10%くらいのもあるのではないでしょうか?

 ひねくれた言い方をすれば、部品をばらして取り付ければ復元機はネズミ算式に増えます。オリジナル度、歴史的に意義ある機体ならば復元もよろしいかと思いますが、それ以外は・・・。
 

 どうせなら、精巧な実物大模型、レプリカで博物館を作ったほうが間違った復元も無く、いいように思います。

 

Jさんから 三菱重工業の秋水の二の舞では 

 以前から疑問というか不満だったのが、三菱で復元された「秋水」です。この機体も、以前は各務原でほぼ雨ざらし状態で展示されていたものでしたが、三菱へ譲渡?された残骸を復元しております。

 個人的な価値観の違いかもしれませんが、これはこれとして保存しておいてもらいたかったです。91戦も同様な問題のような気がします。日本で唯一つしかない九一戦の残骸を使って復元することがいいのか悪いのか、慎重に検討すべきでしょう。
 


 

Gさんから 製造番号がつけられるようなレプリカは夢物語か

 私の考えは残骸には手をつけず、参考にして完全なレプリカを作るというものです。残骸がどの程度使用できるか不明なうえ、その貴重な残骸に手を加えるのは、とても勿体ないと思います。

 米国でボーイングP−26ピーシューターのレプリカが製作された時、完成度の高さからボ社より正式な製造番号が付与されたと、以前航空ファンにて読んだ記憶があります。

 日本でこのような事を望めないのは、悲しい現実ですが、同じような手法に挑戦して欲しいと勝手に期待します。これは日本では夢物語でしょうか。

 

 

Hさんから 映像による再現を

 レストアするかそのままの展示か、大変気になるところですが二つの利点を活かす方法を考えてみました。

1 レストアの利点 =見た目の良さによる集客
2 そのままの利点 =重要航空史料の保存

 この二つを満足させる方法は無いモノか…と考えたところ、ある遊園地のアトラクションを思い出しました。

 あれは、東京ディズニーランドだったでしょうか。暗い部屋に、一体の「胸像」が。しかし次の瞬間には、のっぺらぼうだった胸像が表情豊かに語り出します。
 これは、白い胸像をスクリーンとした映像効果でした。 びっくり。

 さて、これを91戦に応用出来ないものでしょうか。

 まず暗室の中央に、保存処理を施した「91戦」を設置します。時間をおいて、失われている翼等をを再現した部品を、上方及び側方から展開します。

 部品の色は白又はグレイ(効果に適した色彩及び表面処理)とし、マーキング等は施しません。展開後、専用の投影機により91戦を照らし出し、表面の塗装を再現します。

 この方法が可能ならば、以下のような効果が期待できます。
1 投影による再現ですので、機体への塗装が不要
2 塗色の変更が比較的容易
3 一つの機体に、複数のマーキングを切り替えて再現することが可能

不都合としては
1 専用展示室が必要
2 設置費用の高騰
3 同時観覧可能人数の制限
4 移動(展示機の移転)が困難

 航空博物館の展示というと、ピカピカテカテカな機体を期待しがちですが、古典機についてはその当時を物語る大変貴重な史料であります。
 レストアにせよ、この方法にせよ金銭問題は付きまといますが、史料保存と展示の両立は可能であると思います。3

最後に、私はレストア反対派です。

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3 航空遺産活用・保存等検討委員会の結果報告    3

 
  上田埼玉県知事の指示により設置された航空遺産活用・保存等検討委員会が、2006年1月20日に検討結果報告昭書を知事に提出しました。

 その概要書を上田知事から頂きました。

 まず、航空遺産の保存と活用について基本的な考え方が示されていますが、大方において納得できるものであり、かつ、体系的に整理して述べられたのは日本では初めてではないかと思われ、その点において高く評価すべきものです。

 問題の九一戦残骸については、次のとおりです。

 そして、活用方法に3案を提示しています。

 3案を読む限りでは、残骸部分を使って元の姿に完全復元するという意見は退けられたようです。それに近い形として、「イ案」実物資料+原寸パーツレプリカが望ましいとされています。

 上田知事は、私への回答で「私としても提言を尊重し、利用に向けて最大限、努力していく方針でおります」と述べております。

 

佐伯私見 : 委員会での議論の中身は知る由もありませんが、大阪漫才ではないが「イ案」は中途半端やなー、復元するならする、しないならしないとはっきりせんかい、と言いたくなりました。

 不足分のパーツをこしらえて、元の残骸に接触しないように、しかも飛行機全体の形がわかるようにぶら下げるとは、一般観客にとっては何とも滑稽な展示になりはしませんかね。展示組み立てや維持管理もものすごく難しいような気がします。

 博物館で広く公開し、日本の航空技術の揺籃を見てもらうのに「ア案」と「ウ案」のどこが悪いのか、私にはわかりかねます。

 私見として、県財政も考慮し「ウ案」を推薦いたします。

 なお、上田知事のご好意で頂いた結果概要報告書(PDFファイル A4判2ページ)は、希望者に電子メール添付で送りますので、佐伯あて申し込んでください。 

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4 ジュピターY型エンジンの一般公開    4

撮影2007/03/30 にがうり

 3月30日、東京都立産業技術高等専門学校荒川キャンパスにて91式戦闘機を復元している特定非営利活動法人「航空復元懇話会」主催によるジュピターY・エンジンが公開されました。

 航空ファン誌にもすでに詳しく紹介されていますが、今回のジュピターは航空懇話会が購入した仏ノーム・ローン社製のジュピターY.製造番号1178です。

 驚いたのはこのエンジンが実戦参加したのかエンジン前蓋部に弾痕がありました。プロペラは木製の実機91戦用のものだそうです。エンジンの外にも91戦の主翼構造部、水平尾翼構造部、主輪が展示されました。あと3年くらいで復元機完成とのことです。

懇話会メンバーと三野理事長挨拶

ジュピターYエンジンと九一戦木製プロペラ


ジュピターYエンジン本体  横川裕一



吸気と排気 各2バルブ




弾痕


主翼構造


水平尾翼構造


方向舵構造


車輪


横川裕一さん提供 PDF転載

                          特定非営利活動法人 航空復元懇話会 http://ben.mmm.cit.nihon-u.ac.jp/type91/

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5 シリンダーヘッドの動弁機構部への潤滑について      5   5


ジュピターエンジンに関して感想と質問 かつおさんから

 
 この時代に吸排気バルブが各2バルブとは全く意外で、この形式は戦中もしくは戦後の物と考えていました。
 プッシュロッドが吸排気並列でなく縦列というのと、2本のプラグ配置が向かい合っているのも珍しいと思います。

 九一戦の復元は有志によるプロジェクトのようですが、その熱意には敬服します。完成は3年後との事ですが、我々世代には非常に郷愁を覚える機体で、ある意味では零戦以上の期待感があります。復元の大成功とスタッフのご健闘を祈念したいと思います。 
 

 

質問 1  シリンダーヘッドの動弁機構部にカバーはありませんか? このままだとバルブロッカー軸やプッシュロッドとロッカーアーム部への潤滑油供給がどうなるか気になります。

回答 1 カバーはありません。潤滑はグリス封入とオイル注入です。(資料は横川さん提供)


オイル系統図

 

質問 2 減速装置が見当たりませんが直結でしょうか?

回答 2 ジュピターY型は直結で、[型が減速ギア付です。会場の説明をご覧ください。

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図書室

図書室33

掲載07/04/12

図書室19

掲載05/06/18

 

紹 介 佐伯邦昭

 

九一式戦闘機について
中間報告(その2)
 

特定非営利活動法人 航空復元懇話会

横川裕一、藤縄 雅、嵯峨 弘

 発  行   平成19年3月15日
 発行者   特定非営利活動法人 航空復元懇話会 三野正洋
 体  裁   A4版 モノクロコピー 86ページ
 
 千葉県習志野市新栄2-11-1  日本大学生産工学部 三野研究室
 Eメール marsa@cit.nihon-u.ac.jp 電話047-474-2848 ファックス047-473-1227

 

  2年前に発行された「九一戦闘機について」の改訂増補版です 下記参照 

  下記に書いた個人的な感想のうちの2については、あいまいな点が修正されるとともに、競争試作の4社三菱、川崎、中島、石川島の諸元が加わるなど、正確を期そうと努力された跡がうかがえます。

 新たに、プロペラ実物の測定解析が加わりましたが、これは、当時の木製固定ピッチプロペラの詳細を知ることができる貴重な文献になるものと思います。

 このほか、全体にわたって記事と写真図板が大幅に加えられ、九一戦の時代の航空機に興味をもつ人には何かと参考になるものと思います。ただし、ジュピターエンジンをはじめ、その多くは航空ファン誌に発表されているものの転記です。

 既に知られているように、中島九一式戦闘機学術調査プロジェクトとして発足した三野さんのグループは、埼玉県からNPO法人航空復元懇話会として認可され、九一戦とジュピターエンジンの修復復元に精力的に活動しています。
 それは愛好家レベルにあらず、あくまで「学術レベル」ですから、我が国航空機史に大きな地歩を記すものと敬意を表します。

 ただ、それならば、中間報告も一定の論文集として、起承転結のある構成にし、目次や索引も設けてほしいものです。
 
 前回指摘した「改訂版が出るのなら、構成と文章について徹底的に検討しなおされるよう望みます。 」という点については全く落第点であり、きわめて扱いにくい(読みづらい、項目を探しづらい)本になっていることを、再び指摘しておかなければなりません。

  それで価値を下げるというわけでもないでしょうが、やはり、人に読んでもらうものなら、文系の専門家に見てもらうとかして、学術論文の体裁を整えて頂きたいと要望しておきます。 

 

九一式戦闘機について
(中間報告)
 

中島九一式戦闘機学術調査プロジェクト

横川裕一

紹介と個人的感想 佐伯邦昭

紹介

 ホームページ陸軍愛国号献納機調査報告でおなじみの横川裕一さんの10年にわたる研究活動の中間報告書です。これまで中島九一式戦闘機を単独で取り上げた書籍は無いように思いますので、斯界初の業績として歓迎いたします。

 九一式戦闘機は、所沢航空発祥記念館が所蔵する残骸が日本で見られる唯一の遺産となっていますが、日本大学生産工学部の三野正洋さんが中心になって、この残骸からもとの機体に復元しようという中島九一式戦闘機学術調査プロジェクトが活動しており、その学術調査の一貫として本書が刊行されたものです。

 機体復元については、私はやや否定的な考えを持ち、航空歴史館総目次46 中島91式戦闘機残骸の扱いについてで皆さんの見解を募り紹介したところです。ただいまのところは埼玉県航空遺産保存等検討委員会で議論される予定で、その結果待ちという状態です。

 ただ、プロジェクトの積極的な呼びかけにより、既にプロペラ、ホイール、計器などの実物が提供されているとのことで、なかば絶望視されていた関係部品収拾に光がさしはじめたことについては、大いに敬意を表し、更なる発掘が行われるように期待するものです。


発  行   平成17年6月1日
発行者   三野正洋
体  裁   A4版 モノクロ印刷 42ページ
頒  布   切手1200円分(50円、80円に限る)を同封して下記へ
       申し込むこと
 
千葉県習志野市新栄2-11-1  日本大学生産工学部 三野研究室
Eメール marsa@cit.nihon-u.ac.jp 電話047-474-2848 ファックス047-473-1227

 

中間報告の内容について個人的感想 1

 全く個人的な感想で間違っているかもしれませんが、私は本書の圧巻は九一式戦闘機の生産機数について従来の説をひっくり返したことだと思います。

 従来の説といっても定説があったわけではなく、野澤正さんが日本航空機総集中島篇で書いている一型320機、二型22機という区分が通説になっているものと思われますが、横川さんは、綿密な考証によって、二型が新たに生産されたのではなく、一型実機のエンジンを換装すること等によって二型と呼称を変えたものであると推定しています。

 これは、非常に大胆な仮説であると同時に通説を覆す重要な転換です。それが単なる文章だけでなく、巻末に添付されている「付 表1 九一式戦闘機の愛国号リスト」「付表2 九一式戦闘機機体リスト」で裏づけされているところに学術的価値があるように思います。これこそ10年にわたる筆者の努力の賜物でしょう。 

 また「付表3 九一式戦闘機年表」も、多くが初公開の集成であり、歴史記述の原点として航空史執筆者が大いに見習ってほしいところです。それだけの値打ちがあるものと認めます。

 

中間報告の内容について個人的感想 2

 私は、雑誌や単行本における日本陸海軍機記述の9割までは、次の2冊が下敷きになっているものとみています。

(陸軍機) 回想の日本陸軍機 昭和37年航空情報臨時増刊150 酣燈社
(海軍機) 岡村純 巌谷英一共著 日本の航空機 海軍機篇 昭和35年出版協同社 

 横川さんも、参考文献のトップに回想の日本陸軍機をあげています。当然だと思います。九一式戦闘機についても実際に審査などに当たった今川一策、安藤成雄といった人々が執筆しているのですから、この本の記述と異なることを書くとすれば、かなり強力な証人や史資料を持ち出さないといけないし、多くの航空史家も尾ひれ歯ひれは付け得ても、それ以上の新説は出しにくいわけです。

 そういう観点から、中間報告を読みましたが、「1 おいたち」の部分でいくつもの疑問にぶち当たりました。今川氏や安藤氏が書いていることに盲従しろと言っているわけではなく、違うのならその根拠を示してもらいたいということです。でないと欲求不満が残ります。

 例えば、九一戦の試作が思うようにいかなかった時に、「イギリスのブルドッグ戦闘機の輸入という対処案を検討したようだ」とありますが、回想の 日本陸軍機では中島がブルドッグ戦闘機の製造権を買って昭和6年に1機完成させたと写真入で出ています。また、陸軍がカーチスP-6戦闘機を買っているのも、初の戦闘機国産に危機感を持っていたからと思われますが、触れられていません。

 また、陸軍大臣に「単座戦闘機試作」申請が提出されたとありますが、誰が大臣に提出したのでしょうか。陸軍内部なのでしょうか。「昭和2年2月に認可され、中島などで設計競作が開始された」とありますから、どうも民間側から大臣に出したような文意となっており、大変に興味深いところですが、軽く流してあります。

 横川さんの考えは、このあたりは類書に譲っておこうということなのでしょうか。それにしては航空朝日昭和16年7月号の引用などもありますし、読者側の要求としては、国産初の戦闘機ですから、当時の産業技術一般にも触れながら開発過程をしっかりと記述してもらいたいです。それが、読者を引き込むイントロダクションになると思うのです。

 

中間報告の内容について個人的感想 3

 製造機数に次いで圧巻だと思ったのは、九一戦の欠陥といわれる左右方向の不安定の原因について、垂直尾翼の大きさや、当時の技術水準(フランス直輸入?)と思われる胴体外板のリベット打ちなどから詳細に考察してあることです。ここは迫力があります。

 また、所沢航空発祥記念館の残骸を二型と断定している記述も、横川さんの虫眼鏡的徹底調査の賜物であり、並み居る航空史家が薬にしてほしいところです。 

 もうひとつ、昭和10年の所沢陸軍飛行学校発行の飛行機操縦教程(九一式戦闘機の部)など第一級史料を駆使していることです。これは、もううらやましいという感じですね。必要部分だけを小出しにして適切に散りばめてあり、一型の三面図と計器板図、詳しい諸元もコピーしてありますが、欲を言えば全巻を付けてほしい。でもそれは無理な注文ですかね。

 
ここでちょっと遊び:飛行機操縦教程(九一式戦闘機の部)の一節

第七 本機はプロペラの回転方向左方にして向振の方向は右方なるを以って、飛行中常に方向舵を左方に使用しあらざるべからず (二型はプロペラの回転方向右方にして操作は一型と反対なり)

左方に使用しあらざるべからず−「使用しあらざる」とは「使用しない」の意、「べからず」は「ならない」の意でしょうか? とすると、方向舵を左に「使用し ない」を「してはならない」、つまり左に蹴れということですか?

 

結論

 つまらぬ遊びで気分転換していただきました。

 さて、著者は最後に今後の調査項目として7点を挙げておられます。たいへん謙虚な姿勢であり、読者で何か気付きがあれば積極的に知らせてあげてほしいと思います。

 その中で、私は九一式戦闘機のエンジン、一型は「ジュ」式450馬力、二型は九四式450馬力(類書は寿2型というのが多い)としてありますが、そこの詳しい解明を最も希望します。また、改訂版が出るのなら、構成と文章について徹底的に検討しなおされるよう望みます。


日替わりメモ805番 2005/06/19

九一式戦闘機中間報告の著者 横川裕一さんから

 書評、拝読いたしました。
 ご指摘、ありがたく頂戴いたします。
 
 一点明らかにさせてください。
 市販文献は参考にしていますが、それに盲従するつもりはありません。「基本は軍資料」を心がけましたが、「おいたち」のあたりは、中島側の話で、なかなか資料が見出せないことが一因で、ああなってしまっております。至らない限りです。

 「陸軍大臣に「単座戦闘機試作」申請が提出されたとありますが、誰が大臣に提出したのでしょうか。」」の下りですが、ご指摘のように受け取られたのなら、これまた至らない限りです。
 航空本部長 井上幾太郎名で、陸軍大臣 宇垣一成に提出されています。現代風に考えれば、「稟議」でしょうか。「民間側から大臣に出した」ことではないことだけ、明らかにさせてください。

  ご指摘は次回の改訂に、役立たせて頂きます。


日替わりメモ807番 2005/06/21 

昭和10年ごろの古文??

 ところで図書室19で、ちょっと遊び として取り上げた飛行機操縦教程の中の文章解釈ですが、その原本写しを横川さんが送ってくれました。 カタカナで濁点も句読点もなしという文語体です。わずか70年前の日本語がもう古文の仲間入りをして、解読を必要とするこの国の文化には、ただただ恐れいります。


 さて、問題の「使用シアラサルヘカラス」の部分は、九一戦一型はプロペラが反時計回りで機首が右に振れるので、左のペダルを踏んで方向舵を左に曲げておきなさいという意味に解釈できましたが、言葉そのものはよくわかりません。そこで辞書の厄介になりました。
@ 使用シ アラ サルヘカラス
A 使用シ アラ サル ヘカラス

 このようにばらばらに分けてそれぞれを辞書(手持ちの安い辞書です)で引くと
アラ
は‥在るという意味
サルヘカラス
は、‥しなければならないの意味
サル
単独では‥打ち消し
ヘカラス
単独では、‥してはならないの意味 

となり、 @は、使用しなければならないであり、Aは、使用しないことをしてはならないとなって、 理解にすこし時間はかかりますが、一応同じ意味になって安心です。

 ただし、佐伯流解釈ですから、頭から信じないようにお願いしますが、遊びついでに、杉山さんから提供されている満州陸軍飛行学校の飛行機基本操縦教程(康徳8年−昭和16年発行)を開いてみました。満州といっても、内容は内地の陸軍と同じものです。

 どうでしょう。1ページから「一以ッテ千ニ當ルノ優秀ナル技能ヲ保持スルヲ勉メサルヘカラス」なんていうすごい用法がどんどん飛び出してきます。

 しかし、アラサルヘカラスという用い方は発見できませんでした。類似の言葉としては、

    威力ヲ最大限ニ発揮セシメサルヘカラス
    規定ハ絶対ニ之ヲ守ラサルヘカラス
    沈着ニシテ冷静ナル操縦ヲ行ハサルヘカラス
    過度ニ小ナル半径ヲ以ッテ方向ヲ変換スヘカラス
    之ヲ一定ニ保タンカ為ニハ迎角ヲ減(増)シテ高度ノ変化ヲ防止セサルヘカラス

などたくさんあり、サルヘカラス(しなければならない)ヘカラス(してはならない)が一般的に通用していたようです。 しかしアラという二文字はどこにも出ておらず、ということは九一戦教程の中のアラという二文字 が極めて特殊な用い方もしくは誤植の可能性ということも考えられます。

使用シサルヘカラス=使用しなければならない」でよかったのではないでしょうか。

以上国語教室でした。お帰りに宿題を出します。

出題 : 次の古文に句読点を打ち現代風に書き直しなさい。

 
 
飛行機カ風向ニ正シテ滑走スル場合ノ速度ハプロペラノ牽引力ニ依ル地速度ト風速ノ代数和ニ等シキカ故ニ無風ノ場合ニ比シ離陸ニ必要ナル速度ヲ得ルコト速ニシテ從テ離陸速ナリ之ニ反シ背風ヲ受ケテ離陸スルトキハ離陸ニ必要ナル速度ヲ得ルコト遅ク離陸ニ長時間ヲ要シ滑走距離從テ又大トナル尚風速或程度以上ニ達セハ如何ニ滑走スルモ離陸ニ必要ナル速度ヲ得ルコト能ハサルノミナラス飛行機ハ風ノ為顚覆セラルルノ虡アルヘシ

     (注) 代数和とは、正・負の符号を持つ数又は式を加え合わせた和をいう

答え

(1) かつおさんの答案

 
 飛行機が風上に向かって滑走する時の速度は、プロペラによる純速度と向かい風風速との合成速度であるから、無風の時にくらべ早く離陸速度に達する。
 反対に追い風の場合は反対風速によりプロペラ純速度が相殺されるので、離陸までの滑走距離・時間が長くなる。
 なお、追い風の場合、風速がある程度以上に達すると離陸不能になるばかりでなく、途中で転覆の恐れがあるので強い追い風離陸は絶対にしてはならない。

(2) にがうりさんの答案

 
 飛行機が風向きに正対して滑走する場合の速度は、プロペラの索引力による対地速度と風速の代数和に等しいので、無風の場合に比べ、離陸に必要な速度を得るのは早く離陸速度に達する。
 これに反し、背風を受けて離陸するときは、離陸に必要な速度を得るのは遅く、離陸に長時間を要し滑走距離も大となる。
 なお、風速がある程度以上あると、長く滑走しても離陸に必要な速度は得られないばかりか飛行機は風のために転覆する場合がある。

(3) 制作者の答案

 
 飛行機が風向きに正対して滑走する場合の速度 は、プロペラの牽引力による地速度と風速 を合わせたものに等しいので、無風の場合に比べて離陸が速い。
 逆に追い風を受けて離陸するときは、必要な速度に達するのが遅いので、離陸に長い時間を要するし、また滑走距離も大きくなる。
 なお、風速が或る程度以上になると、どのように滑走しても離陸に必要な速度を得 ることはできないばかりか飛行機が転覆する恐れもあるので注意が必要である。

 以上です。皆さんの答案はいかがでしたか。今は、タワーから滑走路のどこへ行けと指示がありますが、昔は操縦者が吹流しを見て滑走の方向を決めていたようで、教科書にこのような記述が必要だったのですね。

 

   

五〇馬力発動機 

陸軍九四式四五〇馬力発動機について  投稿 BUN


A3326-03九一式戦闘機について(中間報告) の紹介と感想から転記


 〜 その中で、私は九一式戦闘機のエンジン、一型は「ジュ」式450馬力、二型は九四式450馬力(類書は寿2型というのが多い)としてありますが、そこの詳しい解明を最も希望します。

その二型九四式450馬力についてBUNさんから次の投稿がありました。


◆ 九四式四五〇馬力発動機は「寿」二型なのか、それとも「寿」五型なのか ◆

  中島飛行機が製造した社内名称「NAH」発動機は海軍によって昭和612月に「寿」一型、「寿」二型として兵器に採用されています。両者の違いは「寿」一型は高度1500m用の過給器を装備し、「寿」二型は高度3000m用の過給器を装備している点です。

 「寿」一型も「寿」二型も過給器を装備してはいますが、まだ減速装置は採用されず直結式となっています。過給器の装備と減速装置の非装備が「寿」一型、二型の特徴です。

 昭和610月、「寿」二型に中島式(正歯車式)減速装置を装備した性能向上型が計画されます。これが中島飛行機の社内で「HS」と呼ばれ、海軍で「寿」五型と仮称された試作発動機で、海軍の九試単座戦闘機が最初に装備した発動機でもあります。

 しかし九試単座戦闘機がその後に発動機換装を繰り返したことからもわかるように「寿」五型の試作は失敗に終り量産には移行していません。中島式(正歯車式)減速装置を装備した社内名称「HS」の試作一号機は昭和7年の928日に完成し、海軍から「寿」五型と仮称されます。中島飛行機は「HS」の三号機(昭和8415日完成、522日航空廠納入)と六号機(昭和899日完成、昭和9422日航空廠納入)を海軍に引き渡しています。

 「HS」は七号機まで製作されていますが、その中の3基は中島飛行機から陸軍に納入されています。二号機(昭和8322日完成、62日技研納入)、四号機(52日完成、515日技研納入)、五号機(525日完成、915日技研納入)は陸軍で審査を受けており、残る七号機には引渡の記録が無く一号機と同じく社内実験に用いられたと考えられます。

 以上のことは海軍航空技術廠の「空技廠雑報第三六〇号」記載内容と附表によります。

 

 九一式戦闘機二型の内容を伝える航秘第四一九号「九一式戦闘機構造要領改正ノ件上申」に昭和811月に「九四式四五〇馬力発動機」の減速式を審査終了したとあるのは、この「HS」二号機、四号機、五号機のことなのです。しかし同文書にあるように減速装置は不調で「HS」の特徴である中島式(正歯車式)減速装置は省略されます。

 ここで「HS」は「寿」五型としてのスペックを失い、「寿」二型系の直結発動機に逆戻りすることになります。「寿」二型と略同型となった「HS」は陸軍の略号として「ハ一」と呼ばれ、昭和989日付陸普第四八一五号で「九四式四五〇馬力発動機」として制式制定されます。

 「ハ一」の生産が昭和9年度から実施されたことは中島飛行機が終戦後に自主的に集成した資料の中で確認でき、昭和1911日 陸軍航空本部技術部「航空兵器略号一覧表」には略号「ハ一」、九四式四五〇馬力発動機が「中島寿HS」に相当するものであるとの記載があります。

 このような事情で「九一式戦闘機二型が「寿」二型を装備した」(注)というのは問題外の間違いですが、九一式戦闘機二型が装備した九四式四五〇馬力発動機は「寿」五型を原型としながらも実質的には「寿」二型系であったと評しても間違いとは言えないでしょう。

 

(佐伯注 寿二型を装備したとしているものは、秋本実著1961年出版協同刊「日本の戦闘機陸軍篇」P51及び野澤正著1963年出版協同刊「日本航空機総集中島編 」P46)

 

上を読んで佐伯から質問


 ちょっと気になる点をお尋ねします。

@ 1990年に日本航空学術史編集委員会が発行した「日本航空学術史」によると、附録第1表陸軍機要目に次の記述があります

キ-2 63式双軽爆T型U型ジュピター-450HP(ハー1)

 次に、附録第3表発動機要目に次の記述があります

中島94式550HP(ハ 8)

A それから、中島式(正歯車式)というのはどんな形式だったのでしょうか。遊星の平歯車か傘歯車かでしょうか。寿2型改2には既にファルマンの遊星をつけているとの記録があるので、寿5型で失敗して直結型にしたというのが、何のことかよく分かりませんね。
 

BUNさんから答え

@について

 日本航空学術史は大変貴重な資料ですし、その附表は丹念に製作されたものだと思います。しかし、この件については間違いがあります。
 特に付録第1表の発動機名は不正確なものが目立ちます。陸軍名称と統一名称の区別もついていない混乱した内容ですがまだ制式名称や略号の研究がなされていない時代の出版物ですから仕方が無いと言えば確かにそうではあります。
 

 九三式双軽爆の発動機名も一型「ジュ式四五〇馬力」、二型「ハ8U、V」と書くべき所をあのように間違えているのです。

 もともと排気量から異なる別の発動機ですから陸軍制式の「ジュ式四五〇馬力」と「HS」が同じ略号を振られることはありません。
 陸軍航空本部の略号一覧表では略号のあるものは略号で記載され、略号の無いものは制式名称で記載されています。
 そこでは「ジュ式四五〇馬力」はそのまま「ジュ式四五〇馬力」とされ、「ハ1」とは区別されています。

 次に「ハ8」とは94式四五〇馬力ではなく、九四式五五〇馬力発動機のことです。つまり海軍の「光」相当です。


 寿のサブタイプは複雑で、
寿二型改二
寿二型改三
寿三型
と呼ばれた発動機はそれぞれ二つずつ在ります。

 寿二型改一は制式となりましたが、その後の寿二型改二、寿二型改三は不採用となり、寿三型は光発動機となって寿ではなくなり、一旦それらの名称は取り消されてしまいます。
 その後に寿二型改一に発生したクランク軸の強度不足問題からその改良型である新しい寿二型改二、寿二型改三が生まれているのです。

 海軍では便宜的に旧寿二型改ニ、旧寿三型等と区別して呼んでいますが、話題に上げた寿五型とはこの旧名称の型式に連なる「五番目」の五型で、新シリーズの寿三型、寿四型(四○型)に続くものではないのです。

 寿一型から寿二型、旧寿二型改一、旧寿二型改二については航空学術史の附録第3表 発動機要目の中でも直結式となっています。

 寿にファルマン式減速装置が導入されたのは旧寿二型改三からで、旧寿二型改三Aが制式となった寿三型です。

 寿については、旧二型改二までは直結式、五型での中島式減速装置の実験失敗を経て旧寿二型改三でファルマン式を採用、実験の後に新しい寿三型として制式、という順序で開発が進んでいます。

 自分で書いていても混乱しそうですが、海軍自身もこの経緯の複雑さはさすがに誤解を招くと考えたらしく
空技廠雑報第三六〇号はそのあたりを丁寧に説明しています。
 お蔭で戦後の私達も事情を正確に知る事ができます。

Aについて

 中島式減速装置については詳しい資料がありません。これからの勉強の対象です。