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航空歴史館 掲載12/07/04
追加17/11/10


平川滑空場・陸軍誉田(ほんだ)飛行場跡

追加 教官のご子息が健在

A3505-1 千葉市緑区平川町 平川滑空場・陸軍誉田(ほんだ)飛行場跡
       Honda Imperial Army Air Base, Hirakawa-cho, Midori-ku, Chiba City  

                         

 平川滑空場・陸軍誉田(ほんだ)飛行場跡

 誉田陸軍飛行場(別名:平川滑空場)については昭和19年6月6日に完成し、滑空場として予備学生及び少年航空兵のグライダー飛行訓練に使用されていたものが、後に実戦機の飛行場となったものです。

 現在は格納庫跡のコンクリート製土台が畑の中に残るだけの姿しか残されておらず、滑走路の規模や運用されていた機種などは不明です。

撮影2012/06/18 大石治生



国土交通省ウェッブマッピングシステムから
 
   
格納庫跡のすぐ近くには千葉市消防局 消防総合センターの航空隊ヘリポート
 が有り、防災航空の拠点となっています。



参考
 誉田陸軍飛行場については秘匿基地であったとか逓信省航空機乗員養成所の滑空練習場だったものが陸軍に接収されて誉田飛行場になったなどインターネット検索を行うと紹介記事が出てきますが、飛行場設置場所の地名である平川滑空場で調べるともう少し詳細な資料が出てきます。
 郷土博物館で販売している刊行物の中でダウンロード可能な資料のうち千葉市史編纂委員会/編集 「千葉いまむかし第3号」に平川滑空場についての記述があります。(7ページ目)
http://www.city.chiba.jp/kyoiku/shogaigakushu/shogaigakushu/kyodo/kan.html
 それによると平川滑空場の所長はスリザワ大佐で予備学生及び少年航空兵がグライダーで飛行訓練していた。戦後、滑空場跡地は帰農者に払下られた、などです。
 また、「絵にみる図でよむ千葉市図誌 上巻」では誉田陸軍飛行場は滑空場だったものが後に実戦機を配備したとの記述も有り、連合軍の上陸が予想された九十九里浜に近いことからも滑空練習場から本土決戦に備えての秘匿飛行場へと変貌していったものと考えられます。
しかし、どのような部隊や機種が配備され実戦に参加したなどの資料は見当たりませんでした。
 今回、誉田陸軍飛行場の資料を探すにあたり、農政局の平成23年度国有農地測量・境界確定促進委託事業資料を見ると「千葉市誉田滑空場地区」や「千葉小銃射撃場地区」等の名称が目につきました。
 この農政局の資料は戦後、農地として管理した際の名称を現在でも管理資料で使用しており、各地の秘匿飛行場や軍施設の場所特定に使えるかも知れません。

 

 転圧ローラー 

 千葉市内の県道129号線を走行中に道端に朽ちた転圧ローラーが置かれているのを見つけました。近くに運動場などが有り整地に使われていたものだろうと思いましたが、念のためにスマートフォンのGPSで位置を計測したところ旧陸軍の誉田飛行場があった場所でした。

 転圧ローラーを詳しく見てみると、最初に鉄パイプの車軸部分をコンクリートで形作り、その後にローラー全体を木枠などで囲ってコンクリートを流し込んで製作したことが伺えます。

撮影2012/06/18 大石治生




 
格納庫跡の礎石から北へ約1200mの地点に転圧ローラーが放置されており、この位置が滑走路の末端であるとすれば秘匿飛行場の全体像が見えてきます。1960年代の空中写真を見ると格納庫跡から転圧ローラーが在った場所の間には長方形に区画整理された雑木林が存在しており滑走路自体は雑木林の途切れている東西方向に延びていたのかも知れません。



 
旧軍の滑走路跡に転圧ローラーが放置されていたものとしては、大分市の戸次秘匿飛行場と姫路の兵庫海軍鶉野飛行場があります。
    http://blog.livedoor.jp/kuubohosiina/archives/cat_1278880.html
 今回発見した転圧ローラーが誉田飛行場建設に使用されたものなら看板等の設置をして歴史の証人として紹介して欲しいです。(大石治生)

 

教官のご子息が健在  2017/11/10 東(ひがし)信亨さんから             ローラー

 自動車関係の雑誌ライターをしております東と申します。たまたまネットサーフィンをしていて佐伯さんのHPを拝見しました。千葉県千葉市緑区(旧・誉田村)の旧陸軍飛行場について、ひょんなことから情報を得ました。

 北原豪彦さんという方が千葉市にお住まいです。今年81歳です。北原さんのお父さんは陸軍の将校で、誉田村の飛行場で若手に飛行機の操縦などを教えていたそうです。北原さんによると、お父さんが勤めていたのは「気球連隊」とのこと。少年時代の北原さんは、お父さんの操縦するグライダーに乗ったことも あるとか。

 戦後、北原さんのお父さんは飛行場跡地を払い下げてもらい、戦地から帰還した兵員や家族たちと開拓団を組織して農業をしていたそうです。その後、北原さんのお父さんは誉田村の土地を売り、千葉市の中心部近くに商店を開いたそうです。

 ご子息の北原豪彦さんはトヨタの契約レーサーになり活躍。その流れでレースクラブを作って活動しています。北原さんは現在も大変お元気です。 http://jarac-rc.club/

 当方、北原さんの経歴を「オールドタイマー」という雑誌に掲載しました。誉田村の飛行場のことは上記程度のことしか触れておりません。自動車レースのことが話題の中心です。
http://www.yaesu-net.co.jp/cart/magazine.php?cart=16&id=158&view=on

 以上、何かのご参考になれば幸いです。