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航空歴史館  川崎キ61 三式戦U型改 飛燕の戦後史 その4 

 福生飛行場陸軍航空審査部で見た飛燕

 

中里重雄

 

A3662-3 東京都 Tokyo Metropolitan  福生市 横田基地 
                               

 

 「川崎キ61 三式戦U型改 飛燕の戦後史 」を興味深く拝見しました。返還後にこれ程多くの場所で公開、展示されたことは知りませんでした。

 小生の家は、福生陸軍航空審査部のすぐ南側で農業を営み、畑も飛行場に隣接したところにもあり、当時、子供ではありましたが発着する機はメモをとっていました。。
 
 垂直尾翼bP7の飛燕も キー115も当時目撃しています。機体の塗装は、敗戦時無塗装であったと思います。福生には明野のマークをつけた機体がよく現れてましたが、テストのためか、部隊の訓練移動で立ち寄ったものかは分りません。 戦時中 南洋方面に派遣された部隊も福生でかなり目撃しました。

 テストのほかに、実戦に参加する部隊の訓練もかなりやっていたようで、パレンバンに降下した部隊、サイパン奇襲の空挺部隊‥…、このほかにB−29や艦載機の迎撃に立ち向かう戦闘部隊もおりました。

 参考までに、私が福生で確認したキ-61をスケッチしてみました。敗戦時、いろいろな噂が流れたため、資料は大分処分しましたが、数年後 残されていたメモや日記より整理したものです。






 参考までに福生への米軍の進駐について、当時の日記からメモしておきます。

1945(昭和20)年

9月1日(土曜日)

 

雨時々止む。米軍が車でが五日市街道を通り福生へ。

9月2日(日曜日)

 

近隣農家に対し、1軒1人弁当持参で飛行場へ出向くよう、通知あり。

9月3日(月曜日)

 

小生宅では、長男のほか、小学校6年の次男は教師に引率されて出向く。基地南端に集結された機体を基地北端に運ぶこととなり、長男は午前と午後 屠竜などの双発機を1機ずつ運び、次男はキー115を運ぶ。キー115は脚が外れる危険があるということで、日本兵の指示により、脚にロープをつけて大勢で引いて運ぶ。この様子を小生は基地の守衛道路のところで、見ていました。

9月4日(火曜日)

 

曇り。米軍が車で五日市街道を通り福生へ。夕方6時より朝6時まで外出禁止の連絡あり。

9月8日(土曜日)

 

米兵が小学校へ来る。
F6F,TBF、F4U、SB2C、P−51、B−29、B−17、C−46など多数飛行。

9月10日(月曜日)

 

曇り。夜間の外出禁止令解除

注 米軍の進駐について、阿部さんの素顔の横田基地では9月3日となっています。(佐伯)

 

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