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大阪万博時における羽田代替空港
としての厚木基地使用

佐伯邦昭

 


 

 
厚木基地エンドにて 
撮影1970/08/22(土) 出展:GO! NAVY 広江

(本機は1966/09/18に鹿児島鴨池空港でオーバーランし、それを全日空で修復したものである 鹿児島A8715参照)

 

◎ 羽田のラッシュ

 1970年(03/15〜09/13)の大阪国際博覧会の入場者は6400万人、うち海外か170万人という万博史上空前の盛況となり、それは空のトラフィックにも大きな影響を及ぼしました。

 チャーター機が400便にも及んだ大阪国際空港はもとより東京国際空港にも波及しました。羽田では、管制業務に支障をきたす恐れがあるとして、まず、8月17日に全日空東京〜八丈島線4便が米軍厚木基地へ臨時に移転しました。

 続いて、8月21日に運輸省が航空3社に対して公式に減便を要請し、次のような措置が取られました。

JAL 08/21〜09/20 東京〜大阪、東京〜札幌の4便を減便
ANA 08/21から秋田〜東京、東京〜大島各1便を厚木基地へ
08/28から三宅島〜東京、東京〜岡山各1便を厚木基地へ
09/01から米子、山形、福井〜東京など7便を厚木基地へ 八丈島線1便を羽田へ復帰
以上09/01現在で 合計5路線10便を厚木基地に移行 
JDA 不明


◎ 全日空の厚木基地使用の実態

 厚木基地使用に当たっての米軍との協議の状況は明らかにされていませんが、当時の司令官 Captain William P Sullivan(サリバン大佐)の全面的な協力があった模様です。

 厚木基地の外来客用のロビーが全日空に提供され、F-27フレンドシップの離着陸誘導はもちろんですが、グランドハンドリングもやってくれました。

 社内報に当時の東京支店旅客課主任則竹昭さんが外来ターミナルをスケッチしています。位置は、現在の海自厚木航空基地ターミナルがある辺りだと思います。

 

 乗客は、まず東京都千代田区有楽町1-2-3 東宝ツインタワービル内の全日空東京支店でチェックインを済ませ、離陸90分前にバスで出発します。

 基地ゲートでは、乗客名簿を提出してゲートパスに代え、則竹さんら全日空職員が乗り込んで約1キロメートル先のターミナル入口までエスコートします。ロビーからは、出入り口の赤い鳥居をくぐって待機するフレンドシップ機に向かいます。

 則竹さんの記述では、8月17日の初便は、ATCAir Trafic Control)待ちもなく、実にスムーズに直線コースを45分で八丈島空港まで飛んで行ったそうです。羽田の長時間の離陸許可待ちにくらべたら天国みたいなものです。ただし、多数の日本警察官の警備下のことで、これは違和感があります。

 厚木基地内での搭乗受付は、原則として行いませんが、相鉄の駅からバスやタクシーでやってきた急用のお客には、ゲートまで出迎えて便宜を図りました。

 まだベトナム戦争が続いていて、反戦闘争がピークにあった時代に、ターミナルまで開放してこのような便宜が図られたことに不思議な感じも受けます。

 米兵たちは、色気のない軍隊基地の中に現れたカラフルなスチュワーデスやフォッカー フレンドシップ機に大いに興味を持ったことでしょうが、それだけで好意的に扱ってくれたとは考えにくいです。

 当時の橋本運輸大臣や中曽根防衛庁長官らの政治的な後押しがあり、大阪万博への支援、米軍との協力体制やベトナム反戦運動へのメッセージ、運輸省航空管制官らの組合運動との迎合など、さまざまな背景があったように感じられます。