伝説の時代から現代まで 航空史抜き書き

 

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ロッキード スターライナーL1679A N1102の展示

 

1 新潟県三条市 レストラン信濃  1972〜1979
2 千葉県習志野市 京成谷津遊園  1979〜1982
3 京成谷津遊園での解体と感想文
4 福岡県朝倉市 音樂館にあるペデスタルほか
5 スターライナーN1102 に関するいくつかの疑問


N1102がたどった道

1956/10 初飛行 製造番号1001 N1102 Super Star Constellationと呼称
1957 Starlinerと改称
1972/12/15 アメリカバーバンクから名古屋空港へフェリー到着
1972/12/19 新潟空港へフェリー
1972/12以降 三条市 レストラン信濃へ展示
1979/09 ? 新潟から40マイルのHigashi Shogoで解体保管 内部を改装 ?
1979/09〜11/14の間 この間に習志野市京成谷津遊園へ運ばれ据え付けられた
1982/07 谷津遊園閉園のため解体 部品は売却
1982/12 谷津遊園閉園
  (名古屋へ運ばれた?)
  ペデスタルなどが福岡市を経て朝倉市音樂館へ

 

1 新潟県三条市 レストラン信濃  1972〜1979

× 新潟県三条市 レストラン信濃  1972〜1979

撮影1975/08/14 KUPANBA
    


     撮影1977/05  FA300 青空のしたひるねから転載
    

 

2  千葉県習志野市 京成谷津遊園  1979〜1982     2

× 千葉県習志野市 京成谷津遊園  1979〜1982

2-1 撮影1979/10/12  YS45
2-2 撮影1981 たくぼん
2-3 撮影1981/12/20  にがうり
2-4  撮影1982 YS45

2-1 1979   

撮影1979/10/12  YS45
    

 ボルトナットなどによる接合部分は丁寧に分解されており、専門業者が整備マニュアルに基づいて作業していることをうかがわせます。

 各エンジン共に3枚ペラの中のブレードが1本だけ中央(デアイサー ブーツの端)から切断してあり、展示後は、溶接でつないだ痕が見られます。(にがうり )

考えられるのは、日本の道路事情です。新潟から千葉県まで運ぶのにどこかに通れない障害があって、切らざるを得なかったのではないでしょうか。ブレードを取り外す よりも、切断した方がてっとり早いということだったのでしょうか。

← 前輪のポジティブキャンバー(上開き 自動車では前輪タイヤの接地面を少なくして操行性をよくするために採用されますが、航空機の二輪では珍しいです)

(たくぼん)

 


 


2-2 1981年

     撮影1981 たくぼん
     
     

     
     

     
     

 


2-3 1981年

撮影1981/12/20  にがうり












 


 2-4 1982年     1982

解体が始まる前の姿 撮影1982 YS45












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3 谷津遊園での解体と感想文    3

× ロッキード スターライナーL1679A N1102
    N1102の回顧と日本における航空機展示の不毛を嘆く投稿

     AIR JAPAN 31号 (1985年11月発行)より  (筆者の関和 渉さん ご連絡ください)
    
     解体時写真拡大
    

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4 福岡県朝倉市 音樂館にあるN1102の部品   4    3

◎  N1102の操縦席の一部

 解体後のペデスタル、オーバヘッドパネル、コックピットシートが藤堂和子氏に譲渡され、福岡市中洲の航空スタンドリンドバーグに一部が飾られていました。音楽館にあるパーツは、それに間違いありません。私は、キャプテンシートを貰って医局で使っています。 (まーくんパパ)

ペデスタル


DE-ICER TIMER PNEUMATIC BOOTS a SUPERCHARGER INLET HEATERS 

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5  スターライナーN1102 に関するいくつかの疑問  5

 

 @ 入場券の「故マッカーサー元帥の愛用機」というのは事実でしょうか

習志野市京成谷津遊園の入場券 撮影1981 出展:たくぼん

         

 A 入場券の飛行場はどこでしょうか

 B 1984年頃、名古屋の新しい場所に移動というのは事実でしょうか 


考察1 シーナ

 どうもN1102の素性が気になったものの、他に調べようも無いのであれこれとインターネットで検索を試みてみたたところaerotransport.org というサイトに Aerotransport Data Bank があって、そこに以下の記載がありました。

Req'n   : N1102
Type    : L1649A-98-01
MSN     : 1001
Operator: Lockheed Martin
Became  : Scrapped at RJNN (RJNN=名古屋空港)
Origin  : ex N1649

 本機は、19561010(11?)日に初飛行したこのモデルの初号機のようです。試作機として各種の試験に用いられ、エアラインには引き渡されなかったのではないでしょうか。 

 スターライナーの第一号機だったのか!と感心しながら更に検索をしていくと、propliners.comというプロペラ旅客機についての航空フォーラムに行き当たり、Peter J. Marson という方の著作「The Lockheed Constellation Series」の中から引用したと思われる投稿を見つけました。日付はSeptember 03, 2005 05:08 Aです。

 それには次のように書いてあります。(英文)

(ア) 1972
1215日に米国から名古屋へフェリーされた後、1219日に新潟へ飛
   んだ。

(イ) 19738月 'Restaurant Shinanao'として開業、のちに'Restaurant
  
Lockheed' と名称変更した際、マッカーサーの「バターン号」と宣伝された。

(ウ) 19799月から198011月まで、新潟から40マイルの Higashi Shogoで解体
   保管されていた。白とブルーラインも

(エ) 上面白、ブルーライン、下面乳白色に塗られた。内部は、一方にPax Seat(長
   椅子?)を取り付けた。操縦席は変わらない。

(エ) 習志野で5年間置かれた後、1984年頃、名古屋の新しい場所に移動する。


考察2 にがうり

  N1102は、バーバンクから名古屋空港に飛来し、地上ハンドリングは全日空整備が請け負いました。クルーは3人で、カラーシャツ姿のおじいさんがひょうひょうと降りてきたのにびっくりした記憶があります。

 その時に輸入業者が「マッカーサー元帥の飛行機だ」と言っていました。しかし、マッカーサー元帥が解任(1951年4月)されて帰国する時の搭乗機は、ロッキードVC-121L(L-749A) コンステレーション US AIR FORCE 48-613であり、L-1649Aスターライナーではありません。

参考 羽田でのお別れ式 ロッキードVC-121L(L-749A) 48-613


 羽田開港60年史編集委員会は既に解散し、同誌への提供者も不明のためとりあえず無断借用です。心当りの
方の申し出を待ちます

ロッキード コンステレーション系旅客機一覧

モデル L-049〜L-749A Constellation 全幅37.49m 全長28.93m
モデル L-1049〜L1049H Super Constellation 全幅37.49m 全長34.54m
モデル L-1649A Starliner 全幅45.72m 全長34.54m

考察3 にばさん

 写真から見ると、内装は日本で改修されたようで、当時の飛行機に蛍光灯は使わなかったと思うし、特に縦長で角ばっているカバーは日本製でしょう。
  エアコンの大きな空気噴出し口の形状も飛行機のものとは思えません。壁の花瓶もいかにも日本的です。
 極めつけは座席カバーです。 ソファータイプの椅子も航空機用とは思えないものです。通路の柄物のカーペットも何となく違和感があります。当時は未だインテリアーデザイナーなどいなかったのではと思います。
 

以上3氏の指摘から導かれる結論  佐伯邦昭

@ 入場券の「故マッカーサー元帥の愛用機」というのは事実でしょうか

 マッカーサー元帥のバターン号は、L-749Aコンステレーションであり、司令官の解任5年後に初飛行したL-1649Aプロトタイプ(第1号機)を専用機とする可能性は低いです。退役後、レミントンタイプライター鰍フ会長に就任しているので、スターライナーに乗る機会はあったでしょうが、愛用機というところまではいかないと思われます。

 よって、「故マッカーサー元帥の愛用機」というのは、かってコンステレーション同系機を愛用したという意味を強調するための宣伝文句に過ぎないと断定します。


A 入場券の飛行場はどこでしょうか

 国内であれば名古屋空港か新潟空港ですが、どうも日本的な風景に見えないので、フェリー出発地のロッキード バーバンク飛行場かもしれません。

  
B 
新潟以降について

 上記投稿にある「19799月から198011月まで、新潟から40マイルのHigashi Shogoで解体保管されていた。」というHigashi Shogoなる地名を新潟から約60キロメートル圏内で探しましたが、わかりません。

 ところが、国土交通省ウエブマッピングシステムに1979年9月5日と同年11月14日に習志野市を写した写真があり、後者にスターライナーが写っています。つまり、1980年11月というのは誤りで、すくなくとも1979年11月14日までに習志野市谷津へ運ばれていることが判明しました。

国交省ウエブマッピングシステム1979/11/14撮影 右はその拡大)

 また、習志野の展示終了後、1984年ごろ名古屋で解体するという点についても 、情報を持ち合わせません。解体されてごく一部の部品だけが残されただけだとしたらとても残念なことです。

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