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写真で見る大阪国際空港の歴史 History of Osaka International Airport seen with a photograph


1960年代

 
 前史
 1950年代の歴史
1960年代
の歴史
 
  
1960-1 空港全体
1960-2 国内線エリア
1960-3 国際線  

1960-4 新明和工業伊丹工場の内外から撮影

 

1960-4-1 米海軍・海兵隊機・沿岸警備隊機

  1960-4-2 米空軍機
  1960-4-3 米陸軍機  新明和でAP-2Eのコロコン作業
  1960-4-4 韓国機
  1960-4-5 自衛隊機
  更 1960-4-6 デモ ンストレーション機など 
  1960-4-7 国内民間機
1960-5  滑走路嵩上げ工事中
1960-6  アマチュアの撮影ポイント 豊中街道からの撮影
1970年代の歴史 
 1980年代の歴史 

 

 
1960年代の歴史 
1960-1 空港全体   空港全体

撮影1960年頃 提供 関西航空史料研究会 碇 紀夫

1960-2 国内線エリア 1960年代前半のエプロン

   1960年代前半 提供 坂口雅人
   

解説 山内秀樹
 背景の山は、左端が宝塚市、中央から右にかけては川西市に属します。右端の谷は、猪名川が北摂山系から川西市と池田市を分けて大阪平野に流れ出る箇所で、中学校や高校の地理の教科書で5万分の一の地形図とともに「谷口集落」の典型的な地形として出てきます。

 猪名川はそのまま南下し、大阪空港の西側から南端をかすめて蛇行しながら大阪湾に注ぎます。大阪空港はいわば猪名川の氾濫原に立地しており、当初その領域にあった自然堤防の上に存在した村落を移動させて開設されたもの。

 この写真の当時は、10,000ft14R-32Lの滑走路等を含む最終的な拡張工事は実施されておらず、その後14R-32Lの北端に位置する「中村」の集落と、14R-32Lの中央部分に位置する「岩屋」の集落を移転して現在の大阪空港の領域となりました。

 これらの集落は、近郊農業で生計を立てていましたが、拡張工事の移転に当たり、伊丹市森本地区に移住先となる代替地を確保する一方、関西の財界に働きかけて軽工業を同地区に誘致し、雇用を確保して住民の転業を促進しました。

 また、拡張工事により灌漑設備が空港敷地内に敷き込まれることから、当初運輸省航空局の大阪空港拡張計画には含まれなかった農地も農業用には使用できなくなるため、合わせて空港用地として買収し、空港用地に組み込みました。

 紆余曲折はあったものの用地買収・移転後の住民の生活設計の見通しを立てた上、このような計画を具体的に集落住民に説明し、納得の上、極めて穏やかに拡張工事が進行しました。

 その後の成田空港開港に至る激しい「闘争」の経緯と比較すると、大阪空港拡張のプロセスは公共プロジェクトの推進方法において大いに学ぶべきものがあります。

                              位置の推定 1974年国土交通省ウエブマッピングシステム上に記入
           

○ お礼のメール
 池田市 総合政策部 空港・資産活用課長さんから「池田市関連の画像としてご紹介いただき、誠にありがとうございました」とのメールを頂いています。

○ 感想 にばさんから

 大阪空港の写真、懐かしい。大阪と言うより伊丹と言っていました。F-27フレンドシップの定時整備を大阪でも始めることになり、たびたび出張しました。当時は、 全日空は日本航空と出発ビルが分かれており、親方日の丸の会社とは歴然たる差がありました。空港内に米軍が使用したバラックがあり、プールもあったと記憶しています。 ボーディングブリッジなど見たこともなく、地べたを歩いて飛行機までいき、飛行機をバックに記念写真を撮る人も多数見かけました。
   大卒の初任給が1万円ちょっとで東京―大阪の航空運賃が6000円でした。ハイジャックも騒音問題もなく、のどかな時代だったなあ!
  


撮影1961/12 中西市蔵


ダグラス DC-4 JA6002 撮影1964年以前 中井潤一


ダグラス DC-4 JA6002 撮影1960/08/12 
Twinbeech


ダグラス DC-6B JA6206 撮影1965/03 中西市蔵


ダグラス DC-3 撮JA5024 影1962/11 中西市蔵



撮影1965/09/04 佐伯邦昭


フォッカー フレンドシップ JA8601 撮影上田新太郎



グラマン マラード 撮影 碇 紀夫


グラマン マラード 撮影 碇 紀夫


国内線エプロンの北端 飛ばなくなったマラードとウイジョンのステイ 
撮影1965/09/04 佐伯邦昭
0

コンベア CV440 撮影 中西市蔵

コンベアCV240 JA5068 北日本航空 撮影   中井潤一

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1960-3 国際線国際線

CPL一番機

 国際空港になって初の海外旅客機として路線を開設し、その一番機として飛来したのがキャセイパシフイック航空のDC−6Bです。 当日12:00に到着する予定が夕暮れ近くの4時過ぎに着いたことを記憶してます。本当に待ちくたびれました。帰りの便では関西の財界人や芸能人を乗せて香港にむけて飛び立ちました。

撮影1960/04/01 Twinbeech


CPLのCV880

キャセイ パシフィク コンベアCV880-22M 撮影 中井潤一 

キャセイ パシフィク コンベアCV880-22M 撮影 上田新太郎

煙突は豊中市と伊丹市の一部事務組合清掃工場


大韓航空 ロッキード L-1049

大韓航空 ロッキード L-1049 撮影 上田新太郎

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1960-4 新明和工業伊丹工場の内外から撮影  新明和
1960-4-1 米海軍・海兵隊機米海軍・海兵隊機

グラマンE-1B 148132 CVW-5 USS HANCOCK VAW-11.Det-L RR-725 撮影1966/05 大阪国際空港 濱野博司 

この頃には、新明和にE-1Bが必ず1機は修理に入っていました。 なお本機は、1967/10/08 南ベトナムで撃墜されました。


ロッキードP2V-5 131516(注) VP-?(注) PC-9 撮影1960〜63(注) 高見保市 提供高田和彦



(注) 撮影時期は、DC-3 JA5172の全日空在籍期間(1960〜63)に併せました。PCなるテールレターのVP部隊は不明です。ナンバーは131515とも読めますが、その機体は1955/01/22にベーリング海上でミグ15に撃墜された記録があります。よって131516としました。

US Navy and US Marine Corps BuNos Third Series (130265 to 135773)の記録

P2V-5 131515 (MSN 426-5396, VP-9) attacked by Soviet MiG-15s while on patrol Jun 22, 1955
                    and crashlanded on St Lawrence Island in Bering Sea.
P2V-5 131516 (MSN 426-5397


 


以下一部1950年代あり

ロッキード P2V-5 131456 VP-4 YD-3 撮影1958〜59 高田和彦


ロッキード P2V-5 131530 VP-4 YD-3 撮影高見保市 提供高田和彦

ロッキード P2V-5F 131464 VP-4 YD-7 撮影1960〜1963 高田和彦



ロッキード P2V-5 131503 VP-4 YD-8 撮影1958〜59 高田和彦


ロッキード P2V-5 131514 VP-4 YD-10 撮影1958〜59 高田和彦


ロッキード P2V-5 131424 VP-4 YD-11 撮影高見保市 提供高田和彦


ロッキード P2V-5 131424 VP-4 YD-11 撮影高見保市 提供高田和彦


ロッキード P2V-5 131436 VP-4 YD-12 撮影高見保市 提供高田和彦



ロッキード P2V-5 131448 VP-4 YD-14 撮影1958〜59 高田和彦


ロッキード P2V-5(DP-2E) 128348 VC-5 UE-30  撮影濱野博司


ロッキード P2V-7 141236 VP-4 YD-6 撮影高見保市 提供高田和彦


バートルCH-46D NAVY    撮影 濱野博司

バートルCH-46D MARINES    撮影 濱野博司


カムランベイでベトコンの銃撃を受けた機体、着いた翌日にはテールコーンがはずされました
ロッキード SP-2H 135621 VP-1 YB-12  撮影1966/08 濱野博司 


シコルスキーUH-34D 提供関西航空史料研究会 UH-34


シコルスキーUH-34E 撮影1966 濱野博司

1


ロッキード TV-2  撮影1964/10 提供関西航空史料研究会 TV-2


FASRONについての考察技術ノート


グラマン F9F-8T CUBI POINT-396  撮影1960年頃 高田和彦  グラマンF9Fパンサー/クー ガー写真集参照


F9F-8T  147415  ATSUGI-2  撮影1960頃 大阪国際空港 航空祭  高田和彦

グラマン TF-9J 撮影1968/04/05 濱野博司

 4月5日、ベトナムから飛来し、オーバーホールの後、7月13日に岩国へ向けて離陸しました。


ダグラス C-47 撮影1968/05/01  提供幸田恒弘


1フェアチャイルドR4Q-1  提供関西航空史料研究会
 
用水路をまたぐ新明和と滑走路をつなぐ誘導路上、遠くに当時の全日空格納庫が見える
フェアチャイルドR4Q-1 濱野博司


ビーチクラフトJRB-4 HL-2016  撮影1968頃 大阪国際空港 濱野博司 その他のHL機はJRB-4


ロッキード KC-130F 149811 QD-811 撮影1966/08 濱野博司

              

白鼻のC-130Fは1機しか居なかったと聞いています。ドアの上のマークはNATOのようです。


セスナOE-2 O-1(L-19) MARINES  撮影 濱野博司 


DASH 提供関西航空史料研究会 DASH


1960-4-2-41 米沿岸警備隊機米沿岸警備隊機

グラマン HU-16 撮影中井潤一  

グラマン HU-16 撮影 上田新太郎


グラマン HU-16 撮影1965/02 中西市蔵


1960-4-2 米空軍機米空軍機

マーチン B-57E 撮影1969年頃 上田新太郎

ターミナルビル建設中


ダグラス C-124 撮影1963/02 中西市蔵
7


WB-50D

 1964年4月14日、いつもの撮影場所であるRW32のエンドに着くと、南側のエリアにWB-50Dが駐機していました。ここは普段 駐機することのエリアーだけに不思議に思って見ていましたら 数時間後に新明和の工場より黒塗りの乗用車が出てきて本気のサイドに横着けし、軍人姿の高官らしき数名が降りてきて機上しRW32より離陸しました。(Twinbeech)

撮影1964/04/14 Twinbeech


 WB-50Dは、数回来ていたと思います。滑走路の南西端にあった大きなハンガー(朝鮮動乱頃に米軍が建てておいていったもの?)に物を取りに行き、同行した写真班に、ついでにエンジンナセルの外観とナセル下のオイルクーラー、排気タービン空気取入れ口、排気タービン一次冷却空気取入れ口の三つが合わさったダクト内部の写真を撮ってもらいました。(碇紀夫)

エンジンナセル 下部の黒い部分の中に集合排気管と排気タービンがあります


排気タービン空気取入口 向かって右から、排気タービン空気取入れ口(ファンが見える)、吸入空気中間冷却器用空気取入れ口、丸いオイルクーラーが上手く納めてあります。

 


1960-4-3 米陸軍機米陸軍機

ロッキードAP-2E  私のアルバムから伊丹・甲南から山内秀樹さんの解説を借用


(以下、同書掲載の濱野さんの4枚以外の写真を発表します。新明和にはコロコン作業で飛来した模様です。コロコンについてはP-3ページの山内さんの解説を参照してください。)

ロッキードAP-2E 131429   撮影1968/01 F君 提供濱野博司

機首 クレージー キャッツ マーク


ロッキード AP-2E 131429   撮影1968/01/07 濱野博司

機首のマーキングを消去
ロッキードAP-2E 131429 撮影1968/10 濱野博司
 

ロッキードAP-2E 131531 撮影1968/03 F君 提供濱野博司


ロッキードAP-2E 131526 撮影1969/02 濱野博司



ロッキードAP-2E 撮影1969 濱野博司

参考 厚木航空基地 日飛で解体待ち 
ロッキードAP-2E 131429  131531   撮影1970/05 濱野博司


シコルスキーCH-37Bモハービ 0-80997 War Wagon 撮影1969/08/09 中井八郎 提供濱野博司


シコルスキーCH-37Bモハービ The HoBo 撮影1969/08/09 中井八郎 提供濱野博司


撮影1969/08/09 濱野博司



0-50618 Old Fashon  撮影1969/08/09 濱野博司


ビーチクラフト L-23 提供関西航空史料研究会  L-23


1960-4-4 韓国機韓国機

ビーチクラフトJRB-4 R.O.K.N. POLICE-506  撮影1968頃 大阪国際空港 濱野博司


ダグラス DC-3 大韓航空 撮影1963/09/09 赤塚 薫   DC-3


ダグラス DC-3 韓国航空局 撮影1966 濱野博司


米空軍、海軍、海兵隊機は1960〜70年代 オーバーホール等で飛来したC-117Dへ転記


1960-4-5 自衛隊機自衛隊機

ロッキードP2V-7  撮影1966 濱野博司


カーチスC-46D US42-101098  撮影1960年頃


ダグラス R4D  撮影 中井潤一  R4       D

海上自衛隊のR4D 参照


YS-11 撮影1967 上田新太郎
 


1960-4-6 デモンストレーション機 など  デモ

YS-11 試作1号機 JA8611

1962年 撮影Toshiyuki  提供かかし   新明和

ロッキードL-1329 ジェットスター

ロッキードL-1329 COPLEY NEWSPAPERS  N100C  撮影1969/10 濱野博司


ダグラスDC-7C 

ダグラスDC-7C SUDFLUG D-ABAS 撮影1966/06 濱野博司


ホーカー シドレー125

ホーカーシドレー125 G-AVRG 撮影1969/10 濱野博司


セスナ320 スカイナイト  デモンストレーション 

セスナ320 スカイナイト N5749X 撮影1961/11/22 Twinbeech


ビーチクラフトM35 ボナンザ  デモンストレーション

ビーチクラフトM35 ボナンザ N3397C 撮影1963/11/24 Twinbeech


1960-4-7 民間機民間機

デハビランド DH104 ダブ

デハビランド DH104 ダブ  撮影 中井潤一


デハビランドDH-114 ヘロン 

全日空練習機 DH-114 JA6154 撮影1966 濱野博司

タウロン 新明和伊丹工場でエンジン換装  デ ハビランド ヘロンとタウロンの歴史参照

エンジン換装前 提供関西航空史料研究会

エンジン換装後 撮影1964 平田邦久 提供関西航空史料研究会 
1


コンベアCV240 コンベアライナー研究参照

日東航空機の日本到着直後
コンベアCV240 撮影1963  R.Nakajima


フォッカーF-27 フレンドシップ フォッカーフレンドシップ研究参照

JA8606 撮影1962/09 高田和彦


ビッカース バイカウント   ビッカースバイカウント研究

JA8206 撮影1969/12 高田和彦照


ノール 262 日本国内航空のノール262参照

F-BLHD 撮影1966 濱野博司
 爆音はフレンドシップ以上でした。

ノール 262 JA8683 撮影1966 濱野博司


ドルニエ Do-28  ドルニエDo28A-1 JA5115の歴史参照

撮影1966〜1968 濱野博司 

 よく飛んでいましたが、滑走路の中央くらいから上がってしまうので、タキシングは撮れませんでした。


パイパー PA-28R-180 JA3380 提供関西航空史料研究会


ムーニーM20EM JA3318 提供関西航空史料研究会M20E



シュド カラベル

タイ航空  撮影1960年代 濱野博司 詳細はドラッグシュート併用のカラベル旅客機

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1960-6  アマチュアの撮影ポイント 豊中街道からの撮影  南側公道

   

 この伊丹豊中線(通称豊中街道)道路は、梅田方面からの着陸や離陸していく飛行機を低空で撮影できる絶好のポイントでした。1970年の大阪万博に併せて二本目の滑走路が完成し、道路はトンネルになってしまいました。


駐車禁止の立札のそばで
フォッカーF-27 フレンドシップ JA8624 撮影1966/03/12 geta-o


フォッカ− F27 全日空 撮影1962/11 中西市蔵

ダグラス DC-3 全日空 撮影 中井潤一

 

人々は車を停めて旅客機などを眺めていたものです。
ダグラスDC-4 日本航空 撮影1960 上田新太郎


撮影 中井潤一

デ ハビランド DH-114 ヘロン 全日空 撮影1960〜1961 高田和彦

コンベア CV240 日本国内航空 撮影 R.Nakajima

ロッキード エレクトラ キャセイ パシフィック航空 撮影 中井潤一


撮影1965/03 中西市蔵

ダグラス DC-7C 日本航空 撮影1964/12 中西市蔵

コンベア CV880 日本航空 撮影1965/03 中西市蔵 コンベアCV880-22M研究参照

大韓航空のスーパーコニーは、この1機だけだったようです

ロッキード L-1049  大韓航空 撮影



 


その頃のKAPCの仲間 

撮影1963/08 中西市蔵

KAPCについてはヒコーキマニア人生録機関誌に見る写真記録・史資料派マニアのクラブ活動の第二世代  参照


抜け目ない商売人

 抜け目の無いのが大阪商人、ホットドッグをはじめ焼き芋、天津甘栗、冷やしわらび餅までが出現するに及んで、違法駐車の取り締まりが次第に厳しくなっていったそうです。     

      撮影1966/06 中西市蔵
      
 

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