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航空歴史館
 

岡南飛行場 エアロコマンダー520 JA5001について  悲しい結末

追加 プロペラを岡山県生涯学習センター 人と科学の未来館サイピアに展示 

 

A6304-1 岡山市南区 岡南(こーなん)飛行場 (旧岡山空港)    
      Konan Airport, Minami-ku,
Okayama City  

× 岡南飛行場ビル屋上のエアロコマンダー520 JA5001 元朝日新聞社初風 

 1952年航空再開とともに各新聞社が競って飛行機を入手し、単発機のJAナンバーは抽選で3001読売、3002毎日、3003朝日、3006産経と決まりましたが、双発機は朝日がいち早くエアロコマンダーを入手して栄えあるJA5001を獲得しました。初風号として親しまれましたが、のち長崎航空に移り、1963年に開業1年後の岡山空港ビルディング屋上に展示されました。

JA5001の経歴

1951/08/26

ロールアウト c/n1 N4100B

1952/11/20

輸入 JA5001登録 朝日新聞社初風 定置場羽田

1962

丸紅飯田へ譲渡 長崎航空へリース

1963/09/02

老朽廃棄 抹消登録

1963/09/24

KV-107で大阪から岡山へ輸送

1963/10

岡山空港ビル屋上に展示

1988/03/11

空港名称を岡南飛行場に変更

2004

岡山空港ビル解体に伴い撤去

2004 プロペラを空港看板に取付

2005/03/05

機体の解体撤去契約締結 市内の解体業者が処分

2007 空港看板からプロペラを撤去
2014 プロペラを北区の某所に保管
2017 岡山県生涯学習センター 人と科学の未来館サイピアに展示


1952年 朝日新聞社初風号の頃

尾翼JAナンバーの縦書きは初期の塗装を示す 撮影詳細不明 幸田恒弘

後期の塗装 羽田空港朝日格納庫の前で 撮影1958/03/30 戸田保紀

1962年

長崎航空向けに整備

撮影1962/12 新明和伊丹工場 Twinbeech

1963年  1963

岡山空港ビルに展示

 カバヤ製菓が運送費込200万円で購入し、1963年9月24日に大阪国際空港から岡山空港ビルにフェリーされました。

航空情報1963年12月号 撮影松下秀一


(拡大) 機首の文字は長崎航空



航空情報1963年12月号 Mail Box

 

1964年

撮影1964 Tachibana  カバヤ号の文字を記入

1970年

撮影1970/04/17 提供:Tachibana
 

 小学校の社会科見学での記念撮影です。既にその後の塗装になっていますから「カバヤ号」は短かったのだと思います

1984年

撮影1984/08/25  ぱぶりか

1989年     89

撮影1989/09/17 鈴木博之

2001年

エプロンから見たビル 桂文珍師匠の講演会の折 撮影2001/09/09 鈴木博之

2002年

撮影2002/05/12 佐伯邦昭

  
流麗な面影はなく老醜をさらしています

 

2004年

撮影2004/10/24 岡南飛行場スカイパレード2004にて  HAWK 

2004年

2004/06/13  岡南空港公式ホームページ

 岡南空港のエアロコマンダーですが、このように募集しております。岡山県は運搬費等を1銭も負担しないという見事なお役人発想で果たしていいアイデアが寄せられるのか心配です。

以下 解体までの経緯

@ 2004/06/14 新しいビルには展示がむつかしいでしょう HAWKさんから

 13日の夕方に撮って来た岡南飛行場の写真です。左手に建設中のが新しい管理棟です。これで見ますと新しいビルは現在のビルの1/3ぐらいの大きさしかありません。これではエアロコマンダーを展示するのはとても無理だということがわかります。
 しかし今のやり方だと良い引き取り手が見つかる可能性はとても低いでしょうね。佐伯さんのいう「お役人的発想」そのものだと思います。貴重な機体が姿を消さなければ良いのですが・・・

A 2004/08/17 まだ決定した訳ではないというものの  HAWKさんから

 その後の状況について管理事務所に聞きに行って来ました。
 何度も「まだ決定した訳では無い」という言葉を使っておられましたが結論としては全体を形として残すのは難しいであろうとのことでした。

 40年近く雨ざらしで展示されてきたので各部の腐食が酷くこのまま全体をクレーンで吊すのもリスクが大き過ぎ、一旦ばらそうにもボルトやナットが酷く傷み過ぎているのでそれも無理そうだとの事。これも言いにくそうでしたが現実にはバーナーで切断するしか無いようです。

 また元の所有者である朝日新聞社の了解を得るという手順も踏むそうです。

 結局のところプロペラを中心とする部分保存にするしか無いと言うのが結論のようです。今しばらくは現状の姿で留め置かれておりますので撮影、見学はお早めに、としか言えません。本当に残念ですが。

B 2004/09/25 エアロコマンダーの末路が決定

岡山県岡南飛行場ビル屋上のエアロコマンダーの末路が決定しました。


 岡山県岡南飛行場管理事務所長から有効活用計画アイディア応募者への文書の一部

1) 採用アイディア案(主旨)

 岡南飛行場の入り口に、エアロコマンダーのプロペラ等使える部品を活用して、一部立体的な看板(モニュメント)を作製する。
 残りの部品について、売却可能な部品等については、イベント等で売却して、売上金があれば岡山国体に寄付する。

 決定的に哀れな末路とは言えないかもしれませんが、壊して部品を売って国体へ寄付とは実に情けない話です。

 世界的に有名な1号機を社用機の看板として120%活用した朝日新聞社、及び展示後にろくな手入れもせずぼろぼろになるまで放置してきた岡山県当局の産業遺産に対する無理解とひどい仕打ちに、日本文化衰退の流れを見ます。

 この公文書は、NPO法人立川航空宇宙博物館理事の香田隆正さんに見せていただいたものです。香田さんは、エアロコマンダーを立川航空宇宙博物館へ引き取りたいので、建物が実現するまでどこかへ保管しておいてくれと具体的に提案していますが、採用されませんでした。

 そこで、香田さんはこの岡山県の発表をスミソニアンを含むアメリカの主要団体へ知らせたそうです。恥を忍んでもあちらから救いの手が差し伸べられないものだろうかと淡い期待も抱きます。

C 2004/09/26 朝日新聞社へ連絡

 朝日新聞社から昨日の岡南飛行場エアロコマンダー記事について問い合わせがありましたので、 佐伯から次のように答えておきました。多少はこの機体の重要性を理解していただけたでしょうか。

前略
次のリストをご覧ください。
JA5001 朝日新聞 エアロコマンダー520  初風号
JA5002 読売新聞 ビーチクラフトC-18S よみうり103号
JA5005 毎日新聞 デハビランド104ダブ  明星号

 一見して判ると思いますが、航空再開後に新聞社は競って航空部を復活させ新鋭機を導入しましたが、特に激しかったのはJA登録の順番争いでした。

 小型機のJA3001は読売、ヘリコプターのJA7001を産経に取られた朝日新聞社は、双発機分野でアメリカのエアロコマンダー社が開発したばかりの生産第1号機であるエアロコマンダー520(エ社の製造番号1)をいち早く輸入し、5000番台のトップを取得したのです。

 朝日新聞社発行の世界の翼1954年版には「スマートな姿と、高速軽快な性能は現在の新聞社機の中の白眉である」と書いています。後に長崎航空へ移籍しましたが、人々の記憶というよりも航空史上では朝日新聞社のエアロコマンダーという実績の方が大きいのです。
 また、製造番号1というものの価値については飛行機の世界だけでなく多くの分野で認められるものです。

 並みの飛行機についてやかましく言うつもりはありません。エアロコマンダー520 JA5001初風号についてはそうはいかないということがおわかりでしょうか。初代航空部長北村精一郎、同次長斎藤寅郎氏がご存命なら聞いてみてください。

 朝日新聞社は岡山空港へ寄付したものだから、後は知らないという態度を取られるものと察しますが、例えば、他都市で第二の人生を送っていた電車が元の都市の博物館に収容されるとい ったニュースは朝日新聞でも度々拝見します。

 このまま解体し部品競売みたいなことになったら、貴重な産業文化遺産に目をふさぎ、自社の誇るべき歴史を見捨てる朝日新聞社 ということにもなりかねません。すぐさま対応策は出ないと存じますが、早急に岡山県に手を打たれて、とりあえず解体だけは中止させるべきではないかと考えます。                     
                                              後略

D 2004/09/29 朝日新聞大阪本社 広報部から回答 

  岡南飛行場(岡山市)で展示されているエアロコマンダー式520型機について、熱い思いがこもったご意見をいただき、誠にありがとうございました。

  同機は戦後日本初のレシプロ双発機として登録され、1952年から60年まで朝日新聞社の取材機「初風」として活躍しました。新しい機体を購入した際の下取り機として大手商社に譲渡されたあと、63年に開港したばかりの岡山空港(現岡南飛行場)に寄付され、同飛行場の管理ビルの屋上に展示されてきました。

  それ以来、40年以上が過ぎ、雨風にさらされ、機体の傷みも目立つようになりました。今春、エアロコマンダー式520型機を見た航空部OBから「機体はさびつき、操縦席もぼろぼろになっている」との指摘があり、岡南飛行場に連絡したところ、管理ビルの建て替え工事で展示スペースがなくなり、引き取り手を探していることを知りました。

  弊社の手を離れて40数年になりますが、取材機として活用した経緯もあり、岡山総局に依頼し、岡南飛行場がアロコマンダー式520型機の引き取り先を募っているという記事「老兵の翼 安住の地を ビル工事で展示不能に」(6月6日付、岡山版)を書きました。

  残念ながら、機体全体を受け取ってくれる引き取り手は見つからず、岡南飛行場から東京本社航空部に「処分せざるをえなくなった」との連絡があったそうです。

 インターネット航空雑誌ヒコーキ雲」のHPを見て、「岡南飛行場の入り口に、エアロコマンダーのプロペラを活用して一部立体的な看板(モニュメント)を作製する」計画があることを知りました。

  岡南飛行場に聞いたところ、プロペラの一つは「ようこそ 岡南飛行場へ」の看板に使用し、もう一つは室内用のモニュメントとして活用したいといいます。残りの部品は、残念ながら廃棄処分となる見通しとのことです。

  弊社としても歴史のある機体ですので、できれば機体のまま保存していただきたいと念願していますが、それができなければ一部再利用もやむをえないのではないかと考えています。

  なお、戦後、弊社の初代航空部長・北村精一郎氏は昭和38年9月17日、航空部次長・斎藤寅郎氏は昭和46年2月24日に死去しています。ご理解のほど、お願い致します。
今後ともよろしくお願い申し上げます。

 

E 2004/09/29 羽田航空宇宙科学館推進会議運営委員 高橋暢也事務局長から回答 
   Secretary-General of Haneda Aerospace Museum http://www.asahi-net.or.jp/~te7y-kbys/HASM

事務局を預かっております高橋暢也と申します。

この度は、貴重なご意見を頂き、有難く感謝致しております。      
   
この様な運動をしている私どもとしては、もし改めるべき点が在れば改め、またご理解を頂きたい点は理解して頂くことが、一番良いのではないかと考えます。
 私どもの運動の基本方針は、羽田付近に航空宇宙科学館(博物館)を創ることを目指し、多方面のご理解とご支援を頂くためアピール活動をする事であります。従って、物件を保有するという活動は、今のところ致しておりません。
   
  
無くなりつつある物に対して、文化遺産として保存すべきであるとの声を上げる事は出来ますし、そうすべきであると思っています。ただ、現状では、我々としては、その余裕もなく、博物館設立の為のアピールを主活動とするのもやむを得ない所であります。ご理解をお願いします。
 

 貴殿が、保存活動に熱心に取り組まれている事に対し、心から敬意を払うとともに、一日も早い航空宇宙科学館(博物館)の実現と、機材の散逸を心配しなくても良くなる時代が来る事を祈念してやみません。

   
今後とも、ご支援賜りますようお願い申し上げます 。

佐伯から : 朝日新聞社は、大阪本社航空部と広報部とで協議されての回答 、羽田航空宇宙科学館推進会議からは何度も催促しての回答です。

 申し訳ありませんが、この二つの回答を或るジャーナリストに読んでもらいました。その感想は、神風号を飛ばし、航空朝日(月刊雑誌)や世界の翼(年グラフ誌)を刊行して意気軒昂たるかっての航空の朝日はどこへ行ってしまったのだろうか、一方の 羽田航空宇宙科学館推進会議は、ガランドウを誰かに建設してもらうことに汲々としていて、中に入れるべき重要な財産が失われつつある現状に背を向けているのではないか、ということでした。

 全くそのとおりですね。 失礼ですが羽田航空宇宙科学館推進会議の高橋さんは本当に貴重な意見を貰ったと思っているのでしょうかね。 いずれにしても大切な生産1号機は日本人の手で葬られることになりました。

 

以下 解体後の経緯

@ 2004/11/15 歴史を平気で冒涜して恥じない役人

 HAWKさんが岡南 飛行場のエアロコマンダーを見に行って唖然として写真を送ってきました。これが世界の名機エアロコマンダー1号機の立体モニュメントだと!!
 歴史を平気で冒涜(ぼうとく)して恥じることの無い役人の無知に吐き気をもようしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

A 2004/11/16 拝啓 岡山県知事殿

拝啓岡山県知事殿
 このコピーは、朝日新聞社が昭和28年12月に発行した世界の翼(著作権期限切れ)の見開きに掲載されている写真と解説です。
   

 朝日新聞社が、各社競争の中でJA5001という双発機ナンバーの1号を獲得して「新聞社機の中の白眉である」と誇らしくうたっていることだけでも歴史的に価値のある飛行機だとわかりますが、実は、この機体はエアロコマンダー社が自信を持って世界に送り出した生産第1号機の栄誉を備えているのです。

 後にアイゼンハワー大統領も専用機として同型機を使ったことが示すように、名実ともに中型ビジネス機として名機中の名機なのです。その人類共通の貴重な産業遺産を長く岡山空港ー岡南飛行場のビルの上に展示していただいたことは感謝いたしますが、このたびの措置は一体どういうことでしょうか。

  

 「この記念機にふさわしい有効活用計画」をうたいあげて募集しながら、気に入った提案がなかったからと、プロペラなど一部部品を利用して「立体的な看板(モニュメント)」を作成するという結末がこの有様です。

 看板が悪いとは言いません。そこにはめ込まれたエアロコマンダー520第1号機のプロペラが泣いていることを指摘しているのです。知事さんはこれをモニュメントであると自信をもって言うのでしょうか。朝日の写真と見比べてみなさい。

 機体が解体撤去されることは、既にアメリカにも知られており、あるいは興味を持って経緯を見ている方々がいるかもしれません。このプロペラ以外の部品はイベントなどで販売されるということですが、たちの悪い収集家によってネットオークションなどに流れていくのを見るのはとてもつらいことです。旧エアロコマンダー社で設計や生産に当たった人たちはなんと思うでしょうか。

 隣の広島県からがちゃがちゃ言うなという影の声も聞こえてきそうですが、そんな地域間の低次元の話しではなく、日本の文化にかかわることです。財政事情がきびしいから、世界に赤恥をかいてもいいということにはなりません。活用計画の提案者の中には、引き取りたいと申し出た人もいたのです。
 なんとしてでも、この機体の歴史的価値を再調査されて、しかるべき措置を講じていただくように知事さんに直訴いたします。

                        インターネット航空雑誌ヒコーキ雲制作 佐伯邦昭

 

 なお、これは岡山県知事だけでなく、日本航空協会をはじめ航空機保存活動を展開しているすべての団体に共通します。殊更に沈黙している方々に敢えて言わせていただきます。日本の産業文化レベルを世界に発信するのは、何も国際航空宇宙ショーだけではないのです。

B 2004/12/01  岡山県から回答

 佐伯 邦昭様  
 拝啓 先日はメールをいただきありがとうございました。いただいたメールにつきまして、岡南飛行場を担当する航空企画推進課に確認の上、次のとおり回答させていただきます。ご理解をお願いします。敬具  
                                                    
平成16年11月30日            岡山県知事室公聴広報課長

 岡南飛行場では、エアロコマンダー式520型機を昭和38年から空港ビルディング屋上で展示し、皆様に親しまれてまいりましたが、建物の老朽化に伴う建て替えのため飛行場での展示はできないこととなりました。

 このため、現状で機体を有効活用される方があれば引き取っていただくという基本方針でアイデア募集を行い、「航空博物館」等での展示、建設予定の航空宇宙博物館への寄贈、朝日新聞社への保存働きかけなど多くのアイデアが寄せられました。

 寄せられたアイデアにより建物撤去までに移設可能と思われる施設に照会しましたが、同機が40年余りも露天で展示され相当痛んでいることや経費、展示スペースの問題などで受け入れ困難でした。

 そこで、同機が相当痛んでおり、部品についても欠損が見られる上に飛行場内の事業者に検討してもらったところ「使えるものはない」との結論に至ったことなど、諸般の事情を考慮し、寄せられたアイデアの中から実現可能なものとして、プロペラを利用した一部立体看板に決定したものです。また、残った部品等についても寄せられたアイデアの中から実現可能な案について提案者と協議しているところです。

 建物撤去までは機体は展示しておりますので、保存のため費用を負担しても引き取りたいという方がありましたら、飛行場管理事務所にご相談くだされば幸いです。
 
(参 考)
 エアロコマンダー有効活用計画応募案一覧表
http://www.Prefectureokayama.jp/doboku/kounan/aerokekka.html

佐伯から : お答えありがとうございました。

 技術立県を標榜する岡山県として、あの立体看板は歴史的産業遺産に対する著しい認識不足として物笑いではありませんかと指摘したのですが、その点の言及はありませんでした。まあ、分らない知事にこれ以上言っても仕方がないので「残った部品等についても寄せられたアイデアの中から実現可能な案について提案者と協議」に期待します。

撮影2004/12/26  HAWK

説明板 県当局のいう「モニュメント」に恥じないものと言えますか? 

 

C 2004/12/13  岡山のエアロコマンダーにアメリカから反応

 もうあきらめていた問題ですが、NPO法人立川航空宇宙博物館の香田隆正さんがアメリカへ窮状を訴えたところ、数件の反応があったそうです。その中の1通に次の言葉があります。

 This aircraft should NOT be destroyed. It has a place in history.

 製造番号1のエアロコマンダーの重要性をみんなわかっているのです。1号機は要らないという博物館でも、Bob Hooverが25年間エアショーなどで乗っていた機体を保管しているからという理由をつけており、歴史を大切にしている姿勢が伝わってきます。

 アメリカへ引き取りたいという希望のメールもありますが、運送費などの問題が横たわります。今後の進展を見守り、何かお手伝いできることがあれば発表していきます。

 ニッポンの中央の方で見て見ぬ振りを極めこんでおられる人々も少しは心を動かしてくれるでしょうかね。

 This aircraft should NOT be destroyed. It has a place in history.

D 2005/06/03 エアロコマンダーは解体費を付けて処分された

 追えば追うほど腹の立つ岡南飛行場のエアロコマンダー問題です。何度か質問催促を繰り返した挙句、6月1日に次のような回答が来ました。黄色の部分が主題です 。

 
 岡南飛行場の旧空港ビルディング屋上で展示していた、エアロコマンダー式520型機につきましては、同機が40年余りも露天で展示され相当傷んでいることや経費、展示スペースの問題などで引き取り手がなかったことから、残念ではありましたが解体・処分しております。
 
 5月17日の電子メールでは、「公式に競売に付されたのなら、契約日、落札業者名、契約金額と、もしよろしければ入札に当たって条件(転売禁止とか)を付されていればそれも教えて頂きたいと存じます。」とのお問い合わせでありましたが、競売(払い下げ)を行っていないため、前回の回答とさせていただいております。
 
 解体・処分については、適正に処分できることを条件に、解体処分能力を有する2社から見積もりを徴収した結果、最も費用が低価な有限会社T金属に平成17年3月5日に189,000円で処理を依頼し、平成17年3月末に完了しています。

 今回の件につきましては、保存や有効活用ができないか広く皆様のご意見をいただき、検討を重ねてまいりましたが、このような結果となりましたことを、ご理解いただきますようお願いいたします。
また、今後とも、航空行政につきましてご理解、ご協力いただきますようお願いいたします。

 なお、佐伯様が5月19日付けで当課に送られたと言われる電子メールにつきましては、原因はよくわかりませんが、当課では受信が確認できませんでしたため、佐伯様へのお返事が大変遅くなりご迷惑をおかけしたことをお詫び申し上げます。   草々

       岡山県 航空企画推進課Tel:(086)226-7282 Fax:(086)224-4127
             ・・・快適な 空の旅は 岡山空港から・・・
 

 
 つまり解体費約19万円を支払ってT金属に解体・処分させたというのです。確かに解体してビル屋上から搬出するとすれば、それだけの費用はかかるでしょうが、それはあくまで廃棄物としての場合です。

 しかし、昨年9月には「売却可能な部品等については、イベント等で売却して、売上金があれば岡山国体に寄付する。」としておりました。有効活用アイデア応募者へ送った公文書ですから、間違いはありません。 (3参照)

 私は、先般の関東東海遠征の際に、某自衛隊基地会計班がヘリコプターを競争入札にかけたところ、百数十万円で落札されたという話を耳にしました。この場合、国庫にそれだけのお金が入りました。

 岡山県の場合も「部品等売却」を公約していたので、(それが良いことだとは申し上げておりませんが)、まさかお金を付けて処分させるとは思ってもおりませんでした。

 3月にT金属さんの手にわたったエアロコマンダー実物は、もう炉の中で灰とインゴットと化したのでしょうか、あるいは、計器やら操縦桿やら車輪やらがどこかのマーケットへ現れるのでしょうか。仮に現れても岡山国体にお金が寄付される可能性は限りなくゼロに近いでしょうけど‥。
 これ以上何を言っても、岡山県は手続きに瑕疵(かし)はないとされるのでしょう。世界的に貴重な産業遺産エアロコマンダー生産第1号機がこのように無理解な県職員の手で葬り去られました。

 私は疲れました。

 

2006年

2006/08/23 岡山県の一中学生からメール

 岡南飛行場のエアロコマンダー520について

 僕は中学校の中でも有名な飛行機マニアでして、当然のごとくオモチャ、プラモデル、ラジコンは飛行機関係で、学校の部で書く絵も飛行機です。もちろん飛行機の写真も膨大な量で あり、この世の飛行機を全て写真におさめようかという恐ろしいことまで考えてます。
 岡南空港のエアロコマンダーですが、本当に岡山県はひどいことをしたなと思っています。海から引き上げられたさびついた紫電改をきれいに修復して展示している県もあるのに・・・と思ってしまいます。
 この前みた某掲示板では「国体が失敗したのはエアロコマンダーの崇りだ」といった書き込みもあり、僕は岡山県民として本当に申し訳ないです。マニアの皆さんに陳謝したいです。
 できれば、あの幼稚な看板からプロペラを取り外し、敷地の広い岡山空港に展示していただければなと思います。大人になったら買い取って博物館へ寄贈したいのが望みです・・・。

佐伯から : 地元の中学生がこうした考えを持っていることについて驚くと共に、明るい気持ちになりました。君のようなしっかりした子どもたちが科学日本の未来を支えてくれることでしょう。なお、言わずもがなですが、高校受験を控えている今、大切なことは目指す学校への進路です。頑張ってください。

 

2007年

2007/05/26 更に悲しい結末 モニュメントのプロペラも撤去 Tachibanaさんから 

 現在の状況について、報告しますと、唯一残された、あのプロペラは、看板から撤去されてしまいました。なかなか気付かなかったのですが、「子供がぶらさがって危ないので」と警備の職員の方から聞きました。どこかに保管されてることを信じたいです。

撮影2007/05  Tachibana

佐伯から : エアロコマンダー520が朝日新聞社時代の塗装の上にカバヤ号と書かれていた写真が入りました。カバヤとは、戦後、甘いものがなかった時代に水飴を主原料としたカバヤキャラメルや、カバのボディをかぶせた宣伝カーで全国の子ども達に人気があったカバヤ食品のことです。 カバヤ号が書かれた経緯や、いつ消されたのかははっきりしませんが、岡山空港ビルへ展示するに際して何らかの貢献があったことは確かだと思われます。

 カバヤ食品株式会社はもちろん岡山に健在で、ホームページには相変わらず子ども達に夢を与えるテーマがあふれています。

 しかし、エアロコマンダー520の方は、40年の歳月でぼろぼろの老醜をさらす状態になり、挙句は解体処分され、唯一残されたプロペラを飛行場看板に取り付けて「エアロコマンダーのモニュメントである(岡山県当局)」と威張っていましたが、それも、子どもがぶら下がったりして危険というので取り外されてしまいました。

 その経緯を見続けてきたのは、当インターネット航空雑誌ヒコーキ雲だけです。この情けない結末を目の当たりにして、猛烈な無力感に襲われますが、せめて、展示初期や小学校社会科学習の写真が加えられ、歴史的デジタル永久保存ができたことをもって、貴重なエアロコマンダー量産1号機の墓標にしてやりたいと存じます。

 

2012年  2012

決別  撮影2012/11/04  Tachibana

 プロペラの無くなった看板でも、まだ続いているような気持ちでいましたが、張り替えられたのでこれが自分としてはエアロコマンダーの終わりです。

 

2014年     

プロペラの保管先  岡山県青年館

撮影2014/06/11 




 

2017年  青年

岡山県生涯学習センター 人と科学の未来館サイピアに展示 参照

撮影2017/04/23 HAWK


     


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飛行場空撮 岡南空港 滑走路1200m  撮影2005/05/14 携帯電話機で撮影