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高知市 平和資料館 
高知三菱自動車

:現地に展示中のもの ×:過去のもの :現状不明

 

A7405 高知県 Kouchi Prefecture  高知市 平和資料館 草の家
    
◎ 平和資料館 
 
白菊エンジンカウリング 撮影2006/03/06  にがうり

白菊車輪 撮影2003/07/02第25回戦争と平和を考える資料展にて  かつお
 

投稿 03/08/27
          
二つの白菊車輪の写真を見て 
にがうり

 高知県にある「白菊」展示車輪とかつて東京 都靖国神社で展示された「白菊」前部機体の主輪を見るとタイヤの形がまったく違うのに気づきました。

 高知県のタイヤは全体が丸くバルーン型で低圧です。このタイプは昔の草地や不整地の飛行場用によく使われたものでトレッド面にはリブ溝(縦の複数溝)がなく、風船のようにツルーンとしたものです。日本機にもいくつか見られるタイプです。

 ホイール・カバーも鉄製に見えます。しかし写真をよく見るとただのカバーではなくホイールそのものにも見えます。車軸穴が開いた内側(機体側)と反対側(機体外側)の車軸穴にはメクラ蓋(キャップ)がついた2分割ホイールのようです。

 そして内側と外側ホイールは内側から5本のボルトで内外ホイールが止められています。

 チューブへのエアバルブが外側に見えます。内側車軸穴にはベアリングらしいものがリテイナーから外れて横向きにも見えます。また内外表面には10箇所の小穴が開いていますが目的はなんでしょうか?ブレーキ装着用ボルト穴? ブレーキ冷却孔? タイヤ・バランスの軽減孔か? よく判りません。またタイヤ・ビード部は鉄製枠と一体になってタイヤを構成して、その内側にホイールが組み込まれているように見えます。

 鉄製ホイールは戦中資材不足のためと実戦機ではない「白菊」練習機用に開発されたタイヤなのか? あるいは「白菊」用ではなくもっと一時代古い頃のタイヤなのか?

撮影東京都3607参照
 
一方靖国神社のタイヤはトレッド巾が狭くリブ溝があります。またホイールもスポーク型でタイヤも高圧用に見えます。写真にはブレーキが見当たりませんが、このホイールならブレーキは着いていたはずと思われ高知県のバルーン型よりは近代的なものです。

 しかしストラット・フォークとタイヤの釣り合いがなんとなく合わずタイヤは他機種のものを取り付けたようにも見えます。ホイールの形は日本より米機に近い感じもあります。

 そこで「白菊」のタイヤはどちらが本物でしょうか?

 いろいろ文献、写真などで「白菊」を探しましたが、やはり練習機という地味な機種なのか結果はそれほど多数の資料がありませんでした。

 その上「白菊」のタイヤ、ブレーキまでの記述や詳細写真はほとんどなく確認は出来ませんでした。写真によってはタイヤが太くも細くも見えるし、脚スパッツまでついた「白菊」がありました。

 しかし戦中日本機全体の基本はスポーク型ホイール(ただし形状は数種類ある)が多く、ブレーキはドラム・ブレーキと思います。日本機のデイスク・ブレーキ関係は各種文献にも出てないようです。やはり機体、エンジン開発よりブレーキ開発はマイナーだったのでしょう。

 そして写真や展示説明で見ると、日本機タイヤは同一機種でもトレッド面のリブ溝がある形とない形があります。恐らく舗装滑走路ではリブ溝型タイヤを使用して草地、不整地の未舗装滑走路ではリブ溝のないタイヤ使用かと推測します。

 
手前が零戦、奥中央が隼、両側が疾風の車輪  撮影01/08  Ogurenko

 しかし前線では必らずしも完全に使い分けたとは言いがたいものです。では「白菊」のタイヤは高知県か靖国神社のどちらか?
 結論は残念ながら不明です。靖国神社にあった「白菊」もその後行方不明になっており残念です。どこか人知れず眠っていていつの日か発見される情報を待ちます。


 今回のことから日米のホイール、ブレーキを調べた結果、日本は特に油圧ブレーキ分野でも米国には相当な遅れを取っていたと感じました。

 日本は最後までドラム・ブレーキで終わりましたが、米国では戦闘機もデイスク・ブレーキになっています。それもあの小さなホイール内にマルチ・デイスク(多板式)で例えばグラマンF6Fでは8枚組み(ステーター8枚、ローター7枚)でブレーキ効果はドラム・ブレーキに比べはるか強力です。日本は初のジェット機橘花でさえ零戦主脚の流用でした。

 日本は戦前米国から輸入した機体に装備されていたドラム・ブレーキを模倣国産(アンダーライセンス)しただけで残念ながら米国の新しいデイスク・ブレーキのようなアイデイアは創造できなかったのでしょう。また撃墜米機のブレーキ研究までもいかなかったのでしょうか?

 日本機ブレーキの油圧源は単発機では左右ブレーキ・ペダルごとにボーデン索(ケーブル)でマスター・シリンダー(零戦では岡本工業製NB113型、油圧発生器と称す)を作動させアルミパイプやゴムチューブで車輪まで誘導されドラム・ブレーキを作動させるのが一般的でした。

 同じ単発機でも天山艦攻は双発機に同じでエンジン駆動高圧油圧ポンプから油圧を取っていてさすが単発でも大型重量機です。

 なお零戦11、21型取り扱い説明書では車輪ブレーキに下の文面があって苦笑でした。
≪油系統中ニ使用スル「パッキン」類ハ現在「ゴム」ニシテコレガ耐久性ハ未ダ充分ナラザルニ付随時検査ヲ実施シ要スレバ補用品ト交換スベシ≫と・・苦労が偲ばれます。

 零戦後期は改善されたのでしょうか?気になりますが最後は余談でした。
 

参考

投稿 03/10/07

二つの白菊車輪の写真を見て  FA300

 白菊は、九州飛行機で製作された機体ですが 同じ九州飛行機で製作された対潜哨戒機「東海」の写真に高知の車輪に近いモノが在りました。
http://www.ijnafpics.com/JB&W3/Q1W-19.jpg

表示されなければ下記のページ下から2番目です。
http://www.ijnafpics.com/jbwq1w1.htm

 ただしカバーが付いてます。
 高知のホイールは かなり後から穴を開けている様に思われます。戦後の流用車輪の殆どが大八等の荷車用に使われていますので 航空整備された人で無い限りオリジナルな使い方はされなかったと思います。

 それによって価値が無いとかの話ではなく 一時代の貴重な記録なのではないでしょうか。

 近年の小型機のホイールですが 殆どが鋳造又は鍛造軽合金の2分割モノでした。ディスクもそこにBOLTONされてました。

 また、補強ビードは在りますが スポークタイプでは在りませんでした。調べたモノFA200 セスナ172 T−34などです。


 ふと 思い出したのですが 香良洲の白菊は伊勢湾で引き上げられた機体ではないでしょうか?三重県A5302参照

 かなり昔の話ですが、伊勢湾(どの辺かは忘れました)で 魚網に引っかかったとかで引き上げられた残骸を、 当時、たしか俳優の西村晃さんが発起人で保存運動があったと聞きます。

 西村晃さんは、かつて白菊のパイロットでした。

 

 

A7405 高知県 Kouchi Prefecture  高知市 
 
× 高知三菱自動車前の映画零戦燃ゆの模型展示  撮影1959  かつお

現状は岩国基地参照